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大人の前でだけ良い子のふりをするんだよ。

大人への振る舞いを心がける子に対して、最近納得がいかないことが多そうなむすこが、このところ連発する言葉。

「大人の前だけで良い子のふりをするんだよ。」

むすこ曰くなので、真相は分からずですが、子どもたちだけの時に見せる表情・行動・発言と、先生や大人がいる場所での態度があまりにも違うのに、その子が先生や大人から良い子と言われることに不服を申し立てる。

これは、完全に勝手な経験値からの想像なので真相はどうかは分からないけれど、そんな良い子のふりをしてしまう子ほど、良い子でいなさいとご両親や周りの大人に言われていたり、無言の圧力を感じてしまう場所で育っているのかもと思ってしまったり。

そもそもにそのご両親や大人も良い子でいなさいと言われてきたのだろうなと思うのです。

でも、良い子ってなんだろうと、ずっとすっきりしないでいました。そんなときに、鳥羽和久さんが書かれたこのコラムに出会う。

今まで、言葉に出来ずモヤモヤしていたことが、とても分かりやすく言語化されていてうなずきながら読み進めてしまいました。ぜひ、全文を読んでいただきたいのですが、

その中で、

「意見に流される」というとさも悪いことのようですが、相手の意見を参考にして自分のモノにすることは必要だし、より高次だと思える結論を志向することがなくては、考えを深めることなんてできません。だから、彼らが大人の意見にたやすくなびいたように見えたとしても、それを弱さとして一面的に非難することはできません。むしろその弱さこそが考えを深めるための条件とさえ言えます。
それを踏まえた上で、みんなにひとつだけ覚えていてほしいのは、みんなはとことん自分の生きる実感を大切にしたほうがよいということです。周りに歩調を合わせて「いい子」になろうとすることは、周りの人たちのためにはなるけれど、深いところで自分を支えてくれる根拠にはなりません。だから、自分が感じていることをちゃんと感じられる環境にいること、そして、感じていると気づいたときにできるだけ嘘をつかずに、それに対処できる環境を確保することが肝心です。
こうして、生きる実感を大切に育てていけば、あなたはいつかきっと曖昧(あいまい)なことを曖昧なままに受け入れることを知ります。白黒つかない現実の中にこそ、生きる楽しみがあることを知ります。

最後に、こう締めくくられている。

社会に適応できないと、生きていけない。そんなことを言う大人は噓つきですよ。そんな大人の言う「社会」なんて、その人が見たせまい世界の断片でしかなくて、彼らはいまあなたが見ている世界を見ていません。自分を窮屈(きゅうくつ)な枠組みに閉じ込めることでしか生きることができない恨(うら)みを、子どもを通して晴らそうとしているんですから、そんな言葉に聞く耳を持たなくてよいのです。


こんなことを、きちんと教えてくれる人が周りにいたならば、もっと生きやすい世の中に、もっと活気溢れる世の中になるのだと思うので、かあさんとしても、むすこへはこうありたいと。

自分が感じていることをちゃんと感じられる環境は、親の責任として大事に心に留めていくぞーい。




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