人生2度目の休職日記(4か月目)
5月初旬に休職してから、ついに4か月目となってしまいました。
一度は退職を決意し地元企業に就活したけど、翻って内定辞退し復職を目指すも、やはり見えない壁にぶち当たり復職まで辿り着けず、ダラダラと時間だけが過ぎていく状況です。
50歳を過ぎた契約社員なんだから、さっさと切り捨てればいいのに、と思いながらも、退職願を受け入れてもらえず、いつまでも待つと言って下さった上司に感激しているのに、中々復職に向けての一歩を踏み出せない、そんなもどかしさと葛藤しながら怠惰な日々を過ごしています。
やはりモームリを使って電撃的に退職届を出したのがネックとなっていて、しかも現場での職務放棄という社会人としてあるまじき行為をしているので、これまで短期間で辞めていった勤務先に対しては感じなかった罪悪感で中々復職する勇気が出ません。
1回目の休職の時もそうでしたが、2/3にカットされた傷病手当金だけですが、金銭面では困っていないので、すぐに復職しなければという危機感が無いのも理由の一つです。
それから、もういっその事、数年間は仕事をしないで生きていこうかとも考えていて、MAX1年半は傷病手当金を貰い、その後半年間は無収入で耐え忍び、その後11か月間は失業給付を受け、12か月目からは障害者向け職業訓練校にまた入校して1年間失業給付を延長させる、という、4年間働かない計画なんかも考えてしまったりしています。
この計画を遂行したら、私は55歳になっています。55歳で4年間も働かないで生きていければ、間違いなく社会復帰は絶望的でしょう。そもそも4年間のブランク期間を何していたのか問われた時、建設的かつ生産的な事を言う自信がありません。まぁ、これはほんの気まぐれジョークとして汲み取って下さい。
しかし1年近く、まだモラトリアム期間がある訳なので、この時間をただ無為に過ごすのは、さすがにもったいないと思います。1度目の休職時には大学院に進学しましたが、レベルの高さに挫折して中退してしまいました。
今回は十数年間に貯めまくった自宅アイテムの大規模な断捨離を行いましたので、ひと段落ついた今、中小企業診断士試験勉強とオンライン英会話を頑張ってみようかと思います。あと、毎朝の近所のお社様への参拝と、水中ウォーキングも継続していきたいです。
しかし、何ともこんな「療養」生活、適応障害を患っているうつ病障害者とは思えませんね。自分でも「僕、本当に精神障害2級手帳ホルダーなのか?」と疑ってしまうほどです。
今は、とりあえず復職や退職という選択肢は忘れて、やりたいようにやっていこうと思います。
あと、出来るだけ自宅に引き籠らずに、図書館とかに行き、日中にクーラーをつけないようにしたいです。7月の電気代、独身者なのに2万円ちかくなりました・・・
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