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夏、三人暮らしの試みとダーウィン博士

◆雑記 2020/夏/某月某日

彼女と同棲を始めてからしばらく経つ。わたし達の暮らすアパートは決して広いとは言えず、私室という概念の持ち合わせがない。
だいたいはお互い共にリビング(リビングなんていう立派な名前で呼んでよければ)で生活を営んでいる。リビングか寝室かトイレにしかゆっくり座れる場所がないのだから、必然的にそうなる。

大抵彼女はリビングの椅子に腰掛け、食事を摂る同じその机で、雑誌をめくったり、仕事のための参考書を広げたりしている。わたしもその向かいに腰掛けるのだが、どうしても目の前にある食事のための机で、勉強したり、本を読んだり、パソコンをカタカタしたりする気になれなくて困った。
ご飯を食べるための机と何か作業をするための机はごっちゃにしたくないという、若干偏屈なこだわりが自分の中にあることに、その時初めて気がついた。実家には自室があり、ひとりっ子なことも相まって、わりかし好き放題やってきたのだからなおさらだ。

家を出て、自分以外の誰かと暮らすようになってから、今まで気にもしなかった自分の中の奇妙なこだわりや偏りによく出会うようになった。
そんな偏りに遭遇するたび、実家とはみんなにとってのガラパゴスで、独自な生態系の下、独自な偏りを進化させる場所なのだとダーウィン流に思ったりもしたものだ。

机についてわたしは単純明快、理路明晰な解決策を思いついた。リビングに机をもう一つ追加したのだ。Amazonで手ごろなものを選んでポチる。実に簡単なことだ。やったことはないがどうぶつの森もだいたいこんな感じなんだろうか(すみません、てきとうです)。
大きな部屋ではないので置ける場所はもともとあった机の横、ちょうどL字型になるような按排で配置し、わたしはそのLにLOCKされた格好となる。
横からミニマリストな彼女の視線が紫外線のように鋭く刺し込んでくる中、作業を遂行した。

正面にブルドックがプリントされたバフッとした部屋着を着た彼女と食事、左にはパソコン(後にはディスプレイも購入した)。
これがわたしの新たな私室となった。

彼女は平気でリビングで勉強できるような子供だったらしい。実際今でもそうだ。わたしは部屋にこもってよく勉強するフリをしているような子供だった。勉強するフリをしながらやるゲームや漫画はなぜ、あんなに面白いのだろう?もはや背徳や秘密そのものが快楽だと言わんばかり。サド侯爵も賛成してくれるかな、電子辞書のカバーにニンテンドーDSを入れ、ポケモンの努力値を必死こいてあげる快楽を。

ある時、わたしは例の机の上に部不相応な大きさで乗っかっているディスプレイでーー27インチのディスプレイが占領してしまうほどと言えば、机の大きさが大体どの程度かお分かりいただけると思うーーギャルゲーをやっていた。
夏、ギャルゲーの季節。『Summer Pockets REFLECTION BLUE』の季節。
リビングの大画面には紬ちゃんのどアップと糖度高めな甘いやり取り。

スクリーンショット (43)

わたしは常日頃の表情筋の強張りが解けていくのを感じながらも、ゆっくりと進行する顔面崩壊をどうすることもできなかった。実際に自分の顔がどろどろに溶け出しているのに気づいたのは、右側から感じる不自然な沈黙によってだった。

振り向くと彼女の真っ白い、意図的に表情を漂白したような顔があった。
そこにはあからさまな非難の眼差しも侮蔑的な口の歪みもなく、ただ淡々と「私はあなたを見ている」という事実だけを伝えていた。誰かに見られているという自覚を植え付けるだけで十分だったのだ。彼女の湖のごとく澄んだ無表情にわたしのどろどろになった顔がうつっていた。

醜い顔だった。自室で自失した者の顔だった。でも当然、彼女の存在を忘れ去っていたわけじゃない。息をしている人間が二人、同じ空間にいて、そんなことは不可能だ。そうではなく、わたしは自室で過ごすように彼女と同じ空間で過ごせるということを自らに証明してみたかったのだ。
ここには何ら閉ざされたものはなく、わたしも彼女も好きなように過ごす。お互いの自室を混ぜ合わせた独自のガラパゴスをここに現出させる。そんな空間があり得ることの証明をしてみたかったのだ。

わたしは自らをモルモットにして実験にのめり込み過ぎた科学者といった所だった。紬・ヴェンダースと彼女とわたしとを共存させる生態系を模索した。わたしたちみんなが笑って過ごせる場所を望んだ。だがしかし、彼女は紬ちゃんの「むぎゅ」がどうにもお気に召さなかったらしい。

スクリーンショット (45)

どうやらアレルギーのようだった。確かに紬ちゃんは女子受けがよくなさそうだ。こうしてわたしたちの三人暮らしの夢はあっけなく崩れ去ったのだった。

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