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「私、気になります」を志向する

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夜勤についてのあれこれ

◆雑記 2020/9/21 真っ暗な部屋で目覚める。枕元のiphoneで時刻を確認すると20時過ぎ。 頭はぼんやりとしていて、あまり眠った感じがしない。夢か、とりとめのない思考か、判別のつかない言葉と映像がひっきりなしに脳内を駆け巡っていた気がする。気がするだけで、何一つ覚えていない。 身体が重い。手汗が止まらない。軽い動悸がして呼吸が普段よりも浅いリズムを刻んでいるのがわかる。胃がもったりしている。腸がのたうって変てこなうめき声をあげている。目が覚めた時、窓の外が真っ暗で

    • 夏、三人暮らしの試みとダーウィン博士

      ◆雑記 2020/夏/某月某日 彼女と同棲を始めてからしばらく経つ。わたし達の暮らすアパートは決して広いとは言えず、私室という概念の持ち合わせがない。 だいたいはお互い共にリビング(リビングなんていう立派な名前で呼んでよければ)で生活を営んでいる。リビングか寝室かトイレにしかゆっくり座れる場所がないのだから、必然的にそうなる。 大抵彼女はリビングの椅子に腰掛け、食事を摂る同じその机で、雑誌をめくったり、仕事のための参考書を広げたりしている。わたしもその向かいに腰掛けるのだ

      • 文語における一人称、書くことのエクスタシー

        前回に引き続き、一人称の問題について考えていく。 今回は特に文語における一人称の選び取りの問題についてだ。 私は普段身近な人と話す時は「俺」を、会社では「私」を使っている。(口語での一人称の選択については前回書いた) 友人や家族とリラックスして喋る時は、ほとんど「俺」だ。 なので文章にもそのまま「俺」という一人称を持ち込もうとしてみるが、喋る時に発する「俺」と、書く時に記される「俺」は同じようでいて何処違う。ここに違和感があることに気付いてしまった。 喋る時はほぼ無意識に

        • 着脱可能な一人称とその選択

          この前の投稿のために文章を考えていた時、ふと戸惑いを覚えた。一人称の選択についてだ。 いや、正直な話、文章を書き出す時はにいつでも軽い戸惑いを覚える。 僕?私?俺?どれを使ったらいいんだ? という具合に。 英語圏ならこんな問題は抱えまい。堂々たる物腰で屹立せる「I」をそのまま据えてやればいい。 だが幸か不幸かこの国には、何通りもの一人称が存在する。 僕、私、俺、我、わし、自分、あたし、あたい、ぼき、はたまた自分の名前を一人称で使う場合もある「花子は...」のように。 だか

        夜勤についてのあれこれ

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        記事

          書くことについてのある提案

          これからはどんどん書いていくぞ!てな熱意に溢れた最初の投稿から半年以上もだんまりをキメ込み、今、久々に書いている。 決意表明が逆説的に自己をおじけづかせたり、プレッシャーになったりすることもある。 宣言するにも、その宣言をすでに受け入れられるだけの構えができていないといけないようだ。 それじゃあ、やっと、その「構え」っていうのができたのかい?と聞かれると、 いやあ、そういうわけでもないんだが。。。と歯切れの悪い答えしか出ない。 でもまあそれでもいいじゃないか。 ラップトップ

          書くことについてのある提案

          まず「書くこと」から始めてみる

          初めてのnote投稿になるが、何か特別書きたかったテーマがあるかというと・・・別段、そんなこともない。 書きたいという衝動があった。これは確か。 だったら、まず「書くこと」から始めてみたらいいじゃないかということ で、「書くこと」について自分なりに思うことを書いていきたい。 私にとって書くこととは、ある種のコミュニケーション不全の感覚をともなっている。 私が初めて人に公開するものとして文章を書いたのは、長期旅行中のことだった(もちろん、学生時代、無理やり書かされた作文な

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