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「自由な教育」を与えるために必要な子供の発達について考えてみた


未就学か義務教育の違いはありますが、年長さんと小1は何が違うのか??と、なんとなく思ってしまったところから、かなり深堀りしました。

長いですが、お付き合いください。


子供の(大人も)成長はグラデーションで、いきなり変わるわけではありません。

どんぐり倶楽部は5才、モンテッソーリで6才、シュタイナーで7才、人間は5才から7才の間に幼児から児童にかわるらしいです。もちろん個人差があると思いますが、この時期に幼児ではない別の物に進化するという認識です。思春期にも児童から学生に進化するよね。

このグラデーション途中の時期ってすごく難しいです。

乳幼児期以降の成長についての情報はかなり少なくて、トイトレや離乳食みたいなわかりやすい課題もないので、3歳児検診で配られるような冊子もありません。「入学準備のドリルして、とりあえず学校に預けたら、あとは全てお任せしてオッケーみたいな風潮」です。
でも、小学校の先生は未就学児の生態について詳しくありません。
そして学校は永遠に子供の面倒を見てくれるわけでもありません。

だから結局は小学生になっても子供を育てる人は保護者で、学校はサポートしてくれるところだと私は考えています。

わかりやすい記事を書いている方を見つけたので、ぜひ読んでみてください!!


森のようちえんで自由のびのび教育を受けた長女は、もうすぐ8歳です。幼児期は完全に終わり、児童に進化しました。習得するまでに反復を伴う勉強も、ムラはあるけど、とりあえず頑張ってるようです。

長女が児童に進化したということは、私の対応も今までと同じで良いのかどうかを考えないといけないんですよね・・・

今は通学とホームスクールのハイブリッド登校をしているけど、それでいいかどうかも検証しないといけません。

だから最近「幼児期の自由な教育」と「小学生に与える自由」の何をどう変えるのが良いのか??ずっと考えてます。

大日向小学校で教員をされていた方が「扱い切れない自由は子供を堕落させるから、大きな枠は必要だよ」とお話しされていました。
その通りだと思います。自由とワガママも違うし、自由だからって何でも許されるのも違う、「自由に勉強して良い=勉強せずに遊んでいい」ということではありません。超えてはいけないラインがあります。それも考えた上で、大きな自由を扱いきれる状態に子供を成長させるには、どうしたらいいんだろう?

気が付いてしまった問題を解決するため、まず「幼児期と児童期との発達の違い」を探し求めて数週間。

自由な環境に置かれても、絶対に大事にしないといけないと私が感じるものです。

幼児期

絶対に大事にしたい視点は「私」だけ。

幼児期は自由を与え、自分を発見する練習をたくさんした方がいいし、ちょっとずつ成長する自分を感じてほしいなと、私は考えています。この時期はある程度のワガママは許しても良いと思うし、意見が衝突し殴り合いの喧嘩になっても幼児はヒョイっと持ち上げて強制終了させることが出来ます。
誰かにしてもらったことを「自分がどう感じるのか?」自分のことを理解できるようにする時期。


小学校(低学年)

身に着けたい視点は、「わたしとあなた」

小学生になると学校という社会に属さなければならないのです。幼児期のように単なる自分のワガママを言うだけでは、友人と過ごすのが困難になります。ワガママな小学生をヒョイっと持ち上げて強制終了することは大変です。30キロは重いよ〜。
だから、幼児期の「自分のことを知る」に「家族や友達の考え方を知る、相手の気持ちを知ること」が追加されます。相手に寄り添うことは出来なかったり、逆に寄り添い過ぎることもあります。それでいいと思います。

「あなたはこれがしたいのね、あの子はどうだと思う??」と一緒に考える時期です。


小学校(高学年)

必要なのは「対話の練習」

「学校は勉強だけではなく、人間関係の練習もしてます」と言いますが、この人間関係って、自分のことをしっかり観察する→相手の気持ちも知る→意見が衝突しても困らないように対話して構築していくものだよね。学校でありがちな形式的なものは大人になってあまり役に立たないように思うけど、いきなり対話って言われても難しすぎます。だから、「相手を知る」と「話し合う」はわけてみました。低学年は生徒会に入れないのも「相手を知る」練習中だからじゃない??(と、こじつけてみた。)
ちなみに「表面上、みんな仲良し」になるための対話ではありません。嫌いな人がいてもいい、どうやったらお互いが安全に過ごせるかの話し合いです。

「私はこう思う、あなたはこうなんだね、じゃあどうする??」と考える時期。


中高生は、残念ながら近くにいないからわからないけど、この流れで行くと「第三者の視点を持つ」かな??と予想しました。

そして、ここにつながる ↓↓


もちろん幼児でも「相手に気持ちがある」ことは伝えるし、話し合いもします。積み重ねなので練習は必要です。だけど、幼児期に1番大事にしたいのは誰かの気持ちではなく「本人の気持ち」です。「私の気持ち」がわからない人が「他人の気持ち」もわかるはずないと考えます。だから、いちいち確認します。(うっとしがられるけど、あなたの気持ちは理解しようとしているよというアピールにもなります。)


低学年の子には「相手の気持ちを知る」というところまではキチンと教えたいし、わかるようになって欲しいですが、対話するには手助けがいると思います。対話が出来る子も、いるけどね。
成長していく途中で「自分の気持ちを観察すること」を見失うときもあるだろうけど、また再スタートするときも、この順番が大事だと思います。

いろんな失敗をしながら、最終的に自分と他者のバランスを取れるようになる状態を目指してみようかな。

完璧にする必要はないし、失敗してもやり直せばいい。


まとめ

子供が自由を正しく扱えるようになるために、選ぶ力が必要になります。ということは「自分がしたいことを感じる力」が必要不可欠です。それ無しには自由は扱えません。

大きくなるにつれ、相手はどう思うのか?自分のしたいことをするにはどう交渉するのか?考えて、やっと自由が手に入るのかな??
なんだか「自由が大事だ!」といって大人が無条件に与え続けていいものではないような気がしてきました。

これから発達にあわせた「与えていい自由」と、超えてはいけないラインの設定を考えようと思ってます。ひでこやさんの言う「大きな枠」になるような気がしています。

「幼児期の自由な教育」と「小学生に与える自由」の何をどう変えるのか??っていうテーマが大きすぎて、沼に浸かっちゃった気分。苦笑。



最後に。

私は単なる保護者で、なんの根拠もありません。私が自分の周りにいる子供たちを観察して、感じて、考えたことを自由きままに書いています。ご了承ください。


ひでこやさん、素敵な方です。ぜひ、読んでみて!!


最後まで読んでくれてありがとうございます。 スキ、コメントは私のやる気になります!!それだけでとっても嬉しいです♪♪もしサポートしていただけるのなら、娘達の野外活動に使いたいと思います!!