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担任の先生が教えてくれたのは「礼儀」だったと思う


多感な10代前半、私もトゲトゲの反抗期がありました。自分はもう大人だと思っていたし、先生の話は耳には入ってきませんでした。だけど、そんな私の心にそっと入り込んできた先生がいます。


私、子供時代の生活のほとんどを保育園と学童に支えられ、小学3年までは幸せに過ごしていました。母は生活のために朝から晩までずっと仕事をしていたけど、私は母以外の信頼できる大人がいて家以外の安心できる場所があったんだよね。寂しい思いを全くしてないわけではないけれど、まぁこれはこれでありだったなと感じています。

小4で転校して環境が変わり、精神的にフォローしてくれる大人がいなくなりました。家庭環境を知っている友達のご両親が「うちで晩御飯食べていき」と誘ってくれたり、途切れることなく色んな人に助けていただいてたので恵まれていましたが、それでも安心できる時間が少なかった私は学校に行く価値がわからなくなりました。

「将来の自分のために勉強をする必要はあるけど、勉強以外に学校に通う理由はなにか??」と考え始めたのです。母が近くにいない時間の方が長い環境で生活をし、中途半端に自立していた私は「病気のとき以外は学校にはちゃんと行くものだ!」と押し付けてくる大人たちを信用できませんでした。

それは私が納得できる答えはなかったからです。


当時、この疑問の答えを持ち合わせている人は少なかったように思います。
「休みます」と自分で小学校に電話したら「今から来なさい」と怒られたこともありました。小学校の担任の先生は迎えに来てくれたり、話し合いの時間を作ってくれたりしてたんだけど、「学校に来なさい」という基本姿勢は変わりません。なぜ学校に行く必要があるのかも説明してくれず(いや、してくれてたかもしれないけど、私には何も伝わってなかった)。。。だから先生は学校に行く理由を明確に説明できないアホなんだろうと思っていたし、疑問は消えないまま中学生になりました。

当時の私は完全に不登校ではなかったけれど、小4から中1の間は平均して年間50日ぐらい休んでいたと記憶しています。小学校には信頼できる大人はいなかった(と思い込んでいた)し、中学校は荒れていて居心地も良くありませんでした。子供ながらに勉強する必要性は感じていて塾で勉強していたので、学校の授業が分からなくて困ったことはたった1度(オームの法則)しかありません。


中学1年のある日、担任でもない国語のK先生が「学校よく休んでるけど、大丈夫??何か困ってたら聞くからね」と、わざわざ廊下で話しかけてくれました。

国語の授業はいつも寝ていたのですが「みんな眠たくなるのはわかるけど、授業を聞かずに最初から寝るのは失礼で、とりあえず3分でも話を聞いてください。それで寝てしまうのは仕方ない。」と話されていたことを覚えています。授業はなんにも覚えていません。

心を閉ざしていたトゲトゲの私が中学2年になり、このK先生が担任になりました。

担任になったK先生は「別に休んでいいけど、夕方でもいいから自分で学校に電話してきてください」と私に頼みました。「電話してきてほしい理由は、生きているのか事故にあってしまったのか確認したいから。あと教師は学校で生徒が来るのを待っているから、理由は何だろうと休むなら自分でちゃんと連絡するもんだよ。君はもう子供じゃない。」こんな感じだったかな。。。


私はこれで少し心を開いたんだと思います。

初めて学校を休んでいいという大人に出会ったことが衝撃的で、「自分で学校に電話してきてほしい」と「もう子供じゃない」って言われたことしかハッキリと覚えていないんだけど、言われた通りに自分で「今日休みました」と、先生に連絡するようになりました。

そこからK先生は近づきすぎず離さずの距離感で、私との信頼関係をつくってくれました。私は自分の意見がハッキリあるのに現実ではまだ子供で何も出来ないという事実、世間の常識と自分の感覚のズレのせいで精神的に不安定だったと思います。そんな迷子になっていた私に寄り添い、ちょっとづつ学校という社会に戻してくれました。

あのタイミングで先生が担任でなければ違う人生を送っていたかもしれません。

中3になり高校受験を前に荒れていた同級生も落ち着いていったし、信頼できる先生がいるということがわかった私は学校を休むこともほとんどなくなりました。

高校はたまにサボることはあっても何も問題なく卒業しました。「学校に行くのはなぜか?」の疑問のあと「自分は生きていく価値がある人間なのか?」「自分が他人になるにはどうしたらいいのか?」など学校では教えてもらえない疑問に一人で勝手に悩む青春時代をすごしましたが、以前のように精神的に不安定になることはなかったです。


今、積極的に子育てをしているから理解できるようになったのですが、私の行動を肯定してくれたK先生の対応がすごくありがたいです。

・勝手に学校を休む私になんにも文句言わなかった。
・「その行動をとるなら、相手のためにこうした方が良い」と、私が子供扱いされないための社会的なアドバイスをしてくれた。
・学校に行く理由を教えるのではなく、私を信頼して自分で考える時間をくれた。


答えを教えるのが良いこととは限りません。どんなときも子供に寄り添ってあげるのが1番いいです。子供に必要な最低限のことだけ教えて、あとは自分で考えさせたらいいのです。私が学校に毎日行かなかった時期に担任だった先生方が信頼できる大人じゃなかったという訳ではなく、きっと私が信頼しないと決めていたんだと思います。子供にも気持ちがあるからね。

「けいこって半分はびっくりするぐらい大人で、半分はびっくりするぐらい子供なんだよね」
高校生のときに2年連続で担任をしてくれた先生が卒業直前に言った言葉ですが、中途半端に大人だった私のことを適切に言い当てているなーと思います。


子供だけど子供じゃない、まだ完璧な大人でもない」早く大人になりたかったトゲトゲ期の私の話が、誰の役に立つかわかりませんが「#忘れられない先生」というのを見てパッとK先生を思い出して、noteに書いてみました。

K先生が私に教えたのは勉強ではなく、礼儀でした
あのとき、丁寧に私に寄り添ってくれてありがとう。

※礼儀とは人間関係や社会生活の秩序を維持するために人が守るべき行動様式。特に、敬意を表す作法。



うちの長女はハイブリッド登校していますが、完全なホームスクールにしたくないのは学校で得るものが勉強だけではないと知っているからです。先生の影響ってこんなとこまで続くのか!と気が付き驚いています。

長女にハイブリッド登校させている親の私は、子供のとき適当に学校を休んでいても勉強には困っていなかったことと、子供扱いされるのが大嫌いな非常にめんどくさい子供だったという話でした。


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