【再編|絶望三部作】第3話 ①:Evermore(第1章:猫のいる風景)
第1章:猫のいる風景
◆ 第3話:遠い国
連載中のエッセイを、締め切り前に書き終えた。
遅筆の俺がそんな ” 快挙 ” を成し遂げるなんて、一体、いつぶりのことだろう。
一段落ついたその何とも言えない開放感が、この身をどこか遠くの世界へ連れて行きたい気分にさせていた。
つまりは、その… ” 旅 ” にでも出たくなった、ということだ。
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そして、今回の旅には、どうしても「ハル」を連れて行きたかった。
ふたりきりで出かけてみたいという意思は前々からあったものの、これほどまでに強い意志のようなものへと変わったのは、つい最近のことだ。
それは、彼があの病気に罹患してしまったことと無縁ではないだろう。
とはいえ、猫を連れての旅行となると、そうも簡単にはいかない。
公共交通機関を利用した長距離の移動はハルにとってかなりのストレスになるだろう。
そして、重いキャリーケースを持ち歩きながらの旅だなんて…、想像すらしたくない。
キッチンで、昨日届いたばかりのイタリアンローストのコーヒー豆をミルでザリザリと挽きながら、猫との旅をどうするか問題について考えていると「そういや、久しく運転してなかったな…」、そんな情動が、ふと目を覚ました。
そうだ、マイカーでの旅なら、きっと彼とだって ―。
パソコンを開き、ネットで車の販売店を検索してみた。自宅近くのディーラーで、秒で惚れた中古車を一台、見つけた。
早速、店舗に問い合わせてみると「車庫が確保できていて、書類が揃っていれば1週間ほどで納車できますよ」と、担当者に告げられた。
すぐさまマンションの管理会社へ連絡した。
そしてその勢いのまま駐車場の月極手続きも行った。インターネットバンキングで貯蓄額を確認し、車の契約に必要な書類を片っ端からかき集めた。
用意周到に ” 仕込んだ ” 甲斐あって、ひとつの不備もなく手続きは進められ、晴れて、念願のマイカー(中古の軽自動車だけれども…)を手に入れることができた。
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車の運転は、昔から好きだった。
若い頃は運転そのものがしたくて、時々、レンタカーを借り、ふらっとドライブへ出かけたこともあった。
車はたいてい深夜に走らせる。2時とか3時とか、草木も眠る丑三時に、その時の気分でセレクトしたCDを3、4枚持って、こっそり家を出たものだった。
往路はいつも1960年代のオールディーズを流していた。子供の頃、むさぼるように父親のレコードを聴いていた習慣の名残なのだと思う。
そして、ザ・スプリームスの『Stop ! In the Name of Love』は、いつどんな状況でどんな気分で聴いても、最高だった。
無言で深夜の東名高速道路を走っていると、無数の長距離トラックと何度もすれ違う。
漆黒の闇の中、赤や橙のヘッドライトやテールライトたちを眺めていると、星もまばらな何億光年先の銀河の果てを、心許なく航行しているような気分になった。
NASAの元宇宙飛行士「ゴードン・クーパー」ですらこんなに孤独で虚空な宇宙を見つめたことはないだろう。
そんな妄想にふけりながらハンドルを握っていると、段々、闇に覆われていた夜の膜が剥がれ落ち、くすんだ薄紫がすっと姿をあらわす。
車の窓を開けてみると、つんとした海藻の香りが鼻に届いた。生理食塩水で希釈された血液のような匂いだった。
おそらく伊豆や熱海はもう、俺のすぐそばにいてくれるのだろう。
波が叫んでいる。
季節が冬ならば、それはさしずめ断末魔だった。威勢よく飛沫を上げ、白く濁った波たちは時の経過と共に雄大なパシフィックと同化する。
そのダイナミックな営みの連続を、俺はただ茫漠と見つめる。
斯うして俺は、ひとりの ” 愚者 ” であることをいつだって潮騒に教えられるのだ。
海のない町で育ったせいか、渚や潮風にやたら憧れる。
車を降り、まだ誰もいない浜辺をひとりで歩いていると、フランソワ・オゾン監督の映画『まぼろし』の世界へ迷い込んだようだった。
海鳴りや遠雷が妙にしっくりとくるこのシチュエーションがたまらなく愛しい。
朝焼けも大好きだった。神々しい日の出を呆れるほど、延々、眺めたこともある。
さんざめく太陽の光を真っ正面から浴びると「あぁ、俺も自然の一部なのだ」と嬉しくなる。病んだこころにしっとりさらさら雨が降る。
そんなルーティーンをひとしきり終えた後は、温浴施設へ立ち寄って、ひとっ風呂、浴びる。
口をぽかんと開けて湯船につかっていると、硫黄やナトリウムみたいに自我がすっかりお湯に溶け、すべてとひとつになれるような気がする。
こんな風に死ねたらいいのに、とも思う。
死はきっと怖くない。うん、怖くない。そう勝手に信じて、俺は今日も生きている。
風呂の後は、売店で買ったご当地サイダーで乾いた喉を潤す。
海辺全体を見渡せるテラスに出ると、炭酸のはじけるサウンドが波音に重なって愉快だった。
そして、サイダーを買った売店の奥にはうらびれた食堂がひっそりと営業している。
明かりは薄暗く、空調も十分な機能を果たしていない。景色がいいとか、従業員がはつらつとしているとか、そんな取り柄があるわけでもなく、ただ開いているというだけの食堂ではあったが、ここの海鮮丼がとりわけ絶品なので、来れば、必ず立ち寄るようにしている。
つやつやと光る魚類に貝類。甲殻類の一種や海生軟体動物たちが豪勢に盛られたどんぶりを、もりもりと頬張る。
あぁ、美味しい。なんて幸せなのだろう。きっと胃袋は、こころの一部で出来ているに違いない。
衝動的にドライブしたくなるのは、孤独に浸ったり、自然や大地や大洋のサディスティックさに気圧されることが目的なのではなく(いや、それも確かにあるのだが…)、大概は、オペラント条件付けによるものだろう。
報酬をもらったねずみの方が、そうではないねずみより自発的な行動が強化されるという、大昔に実証されたあの古典的な心理学のことだ。
俺も ” 報酬 ” ありきで、真夜中に車を走らせている。
そんな風に万物を捉えると、俺もちっぽけな一匹のねずみと何ら変わりない地球の乗組員のひとりなのだという気がしてくる。
これからも本能どおりに生きよう、と、思った。
東京までの帰路は、学生時代にヘビロテで聴いていた「globe」のアルバムを大音量のままエンドレスで流すことにしている。
それは、時を経た今でも変わらない。
特に『FACES PLACES』が大好きなのだ。Sinceのあとに続く年号を任意に変えたりなんかして、ひどく移ろった音程で、憚ることなく大声で歌う。
これで俺の心は、すっかりととのう。
<第1章:猫のいる風景|第3話 ①:遠い国・続>
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