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最終的なゴール設定

何をもって幸せであるか。何をもって生きるとするか。
これは実質的な日々のテーマとしても、医学的・倫理的な分野においても、あるいは哲学的な意味合いでも永遠のテーマであるかもしれません。

またこれらはその場面場面において変わるものだとも思うので、一概に定義できるものではありません。
個人的には将来を考えると、やはりできるだけ家族に迷惑を(手間を)かけないように、最期まで自分自身の生活を終始する、というのがこの2つのテーマに共通した最終防衛ラインです。

生涯、食べ物や行動に制限がかからないということは、大きな幸せの一つです。
自分の人生を生きるという意味では、肉体的に衰えることなく行動範囲や様々な局面における選択肢に制限なく生活できる健康を維持することも重要でしょう。

運動嫌いの人間でしたから、ジムや教室に足が向かない気持ちはよく理解できます。(笑)
それに今も
「仕事後、これからまたトレーニング?!」
「本当に好きなんだねぇ!」
「若いっていいね!」
などなど言われます。

断言しますと、45歳、そんなに嬉々としてジムのドアをくぐることはほとんどありません。(苦笑)
もちろん、トレーニング後は爽快な気分になりますし、活動的・行動的にもなりますし、良いことを挙げればキリがありません。
それでもジムまでは足が重いものです。
そんな自分を駆り立てるのは、目の前の爽快さや快楽ではなく、その先にある目的に全てはあります。

今回はその全ては語りませんが、プロとしての矜持以外に多くの目的があります。
いつまでも自分の足で歩き、食べ、トイレに行く。
家族を様々な脅威にから可能な限り守ること。
子どもたちと自然を駆け回り続けること。
そして
プロとして信頼に足るコンディションを維持すること。
格闘家として刀をいつでも抜けるよう備えること。
などなど…。

ちょっと欲張りなようですが、これくらいトレーニングの目的って深く掘り下げた方がいいです。
モチベーションがどうのとか、そういう部分も大事ですが、もっと根底にある潜在意識にこそ、今ここに努力・継続する価値があるんだという意味そのものが隠されているかもしれません。

そうすれば、インチキな運情報や商品に惑わされないばかりか、自分に自信をもっていつまでも健康に過ごすことができます。
力が全てではないですが、筋肉は多くの可能性を秘めています。

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