「覚えられない病」はどこから来てる?
どーもカイゾウ(@kaizo777)です。
今日は土曜日。今週は一週間が長く感じました。
noteで記事を書く時は今の自分の心境をそのまま日記的に書いているので正直とても楽しい。
「書かなければ」と思うよりも「書きたいから書く」に近いのかもしれません。
最近私は何をしても「物事を覚えられない病」に罹っています…。
今日はそんな話を書いてみたいと思います。
記憶に残らない??
正確に言うと記憶に残らない訳ではないと思います。
ぼんやりと輪郭は残っているのに、それを言語化出来ない。
元々人に説明をするのが下手くそなのと、自分の説明に長く相手の時間を使わせるのが嫌なので端的に物事を言う癖があります。
でも、それとは別に「物事」の輪郭がぼやけているので、尚更言語化出来ずに言葉に詰まります。
何より「単語」として思い浮かばないことが増えています。
本の題名・映画の題名・アニメの題名などはすべて出てこない。
最近「クリエイティブ課題解決術」という斎藤太郎さんの著書を読んだのですが、本の表紙のイメージは出てくるモノのタイトルは思い出せず今目の前にある本を手に取って書きました。
内容も所々は思い出せるのですが、言語化して人に説明するまでには至らない…。
ましてや過去数カ月前のことなど全て説明出来ません。
これを繰り返している内に最近学ぶ意欲が極端に落ちているのを感じます。
がむしゃらにやる??
「何かを見つける為にがむしゃらにやる」という表現をしますが、私はこれに近かったと思います。
以前は新しいことに触れることが楽しくて学びを続けてきましたが、最近全てにおいて「物事の輪郭って大体同じだな」と感じることが増えてきました。
これもまた上手く言語化出来ないのですが、私の好きだと感じる本に書いてある事って同じなんです。
未来をイメージ
まずは行動
人との出会いが人生を変える
自分の強みを活かす
自分が見ているモノが世界を創っている
などなど、そんなことが書かれている訳で…。
それらはある程度理解できているのが正直なところ。
物事の輪郭を捉えた上で今感じることは「がむしゃらにやるから何か見つかる」のではない。
「何か目標があるからがむしゃらにやる」が正しい「がむしゃら」なのだということ。
今に満足してきている
私は幸いにも「今」は何の悩みもありません。
仕事は順調。人間関係も良好。暮らしていくに困らないくらいのお金はある。特別欲しい物があるわけでもなく、何か強く手に入れたいと感じるモノもない。
ちょうど一年前は「何とかして今の現状を変えたい」という目的があって「がむしゃら」にやってきました。
その甲斐もあって、今は自分の満足のいく状況になったんだと思います。
これが燃え尽き症候群なのか??
今度は「満足な状態」に対して「これで良いのか?」という思いが出てきているのだと思います。
元々活動的ではない私は満足した状態から行動を起こすという選択をこれまで取った試しがない。
追い詰められるのは嫌いだけど追い詰められないと動かない。
厄介な性格がここに来て仇になっています。
最近何をしても記憶に残りづらいのは、それだけ刺激がないのかもしません。
これはまた一つ自分のレベルを上げる時が来ているのかもしれません。
新しいモノを手に入れるには手放すモノも出てくるのだろうな…。
今日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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