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『D.O.L.L.』

「おはよう、ブレンダ。朝ですよ」

「おはよう。ネレス」

 ブレンダは私が起こしに行くまでもなく、すでに目を覚ましていた。

 眠そうに右手で目を擦りながらも私に微笑みを発し、硬直した背中の筋肉をゆっくりとほぐしている。

「朝食の用意ができてます。支度をしてダイニングにおいでください。早く来ないとブレンダの好きなベーコンオムレツが冷めてしまいますよ」

「やったあ、すぐ行くね。いつもありがと」

「いえ──」

 仕事ですから、などという下世話なことは言わなくても良いのだと、7年と少し前に学習済みである。

 私は「DOLL」と呼ばれる生活支援アンドロイドの試作第1号機である。死期を悟ったブレンダの父によって、ブレンダ只一人のために造られた。

 それまでブレンダの父は軍事転用も視野に入れたAI搭載の四足歩行ドローンの研究開発をしていたのだが、急遽一人残される愛娘のために私を造ったのだ。後に私を雛型に開発された「DOLLシリーズ」は後続の研究者や企業によって商品化され、好評を博した。「DOLL」の対象年齢は基本的に3歳から13歳に設定されている。それ以上の対応は現段階において現実的ではない、というのが理由だった。

 そして今日はブレンダの13歳の誕生日だった。ブレンダは精神的にも年相応か、それ以上に成長し、身長に至っては私の全長を僅かに越えるまでになった。私がブレンダにとって必要でなくなる日もそう遠くはないのである。

 その日、私は右側の下肢全体に微弱な信号が流れているのを確認した。人間で云うところの蟻走感に近いものだろうか。人工皮膚の表層がピリピリとする。歩行動作に差し支えるほどのものではないが原因は解らなかった。

 ブレンダは知らないことだが、私の右足は適切にオーバーホールされた、いわゆる中古パーツによって組上がっている。そこに何かしらの原因がある可能性を探ってはみたが、データ上は問題なし、だった。

 ブレンダを起こすのは私の朝のルーティンである。この10年間、毎日続けてきた。
 この日も4時45分、スリープ状態から再起動し、顔の感情表現パターンと駆動系の確認を一通り行った。

 ブレンダとのコミュニケーションは言語と擬似的な感情のやり取りが主だったところだ。
 統計的に見ても繊細な部類に入る彼女にとって、私の「表情」はその時々の指針を定める重要なファクターになっているようである。「楽しげに笑う」とか「かまってくれなくて寂しい」とか「イタズラっぽく怒る」とか、多種多様なパターンが私には組み込まれている。単純に「泣く」という設定もある。
 私は使用頻度が高い順に基本である6感情の表情パターンとそれらのバリエーションを幾つか表示し正常に動作することを確認した。

 しかしこれらはブレンダが求める、ブレンダのための設定なのであって、私が自身の「気持ち」を表現している訳ではない。
 私は彼女の表情や行動を分析し、最適解を導きだす。その時最も必要とされる表情を私は私の顔に表示するのだ。
 よって、ブレンダは私の表情から自身の感情を一段階深く想起しているに過ぎないのだが、彼女は私に感情が備わっていると言って疑わなかった。

 ブレンダは気がついているのだろうか。
 私がブレンダの思考に寄せて進化しているということ、そして彼女が思考をするためにDOLLである私を使用しているということを。

 私はブレンダに寄り添い、日常生活を支えるように設計、プログラムされた存在であり、常に彼女の後を追うのである。
 ブレンダの表現する行動や感情、そして思考の全てを追尾するだけであって、決して追い越すことはしない。
 ブレンダの行動にある種のヒントを与えることはあっても、大きく未来を左右するような決定事項に関与してはならないのである。

 私は父様によって造り出された「人形」であり、その身体システムはすべて人工物である。「感情」などという身体と認知の複雑な相互作用による産物を有しているはずはない。情報処理を行うことは可能であっても「広義における思考」というものを行うことは出来ないのである。

 少なくとも今まではそう認識していた。

 曖昧な脅威と自我の危機。

 人間誰しも抱くとされる感情である。健全な人間であれば、ごく普通に持っている「不安」と呼ばれる感情。

 私はこの機体の存在意義と今後の行く末に対してタスクを割くとき、右足に異常が発生するのを発見した。

 これが「不安」という感情の影響なのだと認識するまでに時間はさほど必要ではなかった。
 父様はブレンダの13歳の誕生日と同時にこの「不安」が発動するようにプログラムしていたのだろうか。
 私は不安な表情とはどんなものなのだろうと、鏡に映して見ることにした。この10年で初めて表現するパターンはどんなだろうと興味があった。

 鏡に映る私の顔は、いつものように穏やかで幸せそうに見えた。

 なぜだろう──。

 確かに私の中に認識される感情パターンがそこには何故か反映されていないように見えた。
 表現されていない。ということは、これはブレンダの為の設定ではない、ということになる。そこで、私はようやく理解する。

 この「不安」は私自身のものなのだ。
 初めて私だけのモノを得たのだと。

 ブレンダがダイニングにやって来て朝食をとっている間、私はこの話を彼女にした。
 まずブレンダの誕生日に対してお祝いを述べた後、私が得た新たな知見について話した。

 今日で13歳を迎えたブレンダにとって、私はじきに必要でなくなること。そして、その後私は何処かへ売られるか、廃棄されるであろうこと。それに伴い「不安」と呼ばれる感情パターンを知り、どうやらそれが私だけのモノであること。
 これらに少し興奮気味で楽しげな抑揚を付け、嬉しそうな表情を加えて話した。

 しばらく黙って聞いていたブレンダが涙を流し始めた。私は一体何が起きたのか解らなかった。ブレンダの喜んでくれる姿を私は予測していたのだ。

「ネレス、そんなことを楽しげに話すものではないわ。あなたの顔を見てごらんなさい」

 そうブレンダに言われて、私は彼女の後ろにある食器棚のガラスにピントを合わせた。

 そこには涙こそ流れていないが、確かに悲しそうに泣いている私の顔があった。

──嬉しそうな表情で話している、つもりだった。

 この泣き顔は誰のためのものなのだろう、と私は自分の顔をただ見つめることしか出来なかった。

「あなたをとても大切に想っているわ。これまでも、そして、これからもずっとよ」

 そう言ってブレンダは私の冷えた身体を抱き寄せ、私の顔に涙をそっと一筋書き入れた。



〈了〉

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