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『すずめの戸締り』を観た

ロンドンで『すずめの戸締り』が上映されたので早速観てみた。正直観終わった感想として思ったのが、「やーあまり理解できなかった」である。それから家に戻りちょっと考えた。

もちろん本考察は、作者の意図とは異なるかもしれない。後詳細を完全に捉えきれてないかもしれない。その辺はお手柔らかに。是非コメントにでも。

ちなみに、個人的には「正しい」考察などないと思う。映画を含めた芸術作品は、作者と観客がいて初めて成り立つ。すなわち、作者が何かしらのメッセージを込めた作品を披露し、それを観客が認識し、思考する事によって、作品が存在する。もちろん、その一人一人の観客は持つ記憶、感情、価値観など色々と異なる。そういう意味において、異なる解釈が必然的に生まれる。むしろそうであるべきだ。

まずこの映画はすずめとそうたという二人の人物が「扉」を閉める物語。背景にある世界観として、この世界には常世と現世があり、常世は超時間的な空間で死者の世界。現世は文字通り今我々が生きる世界。その両者の繋がりが扉。扉は廃墟に開き、開いた扉からは「みみず」と呼ばれる地震を起こす災いが出てくる。扉を閉めれば災いは起こらない。

扉は基本的に廃墟で開く。それが意味するのは、死と生が近づく場所に開くという事。廃墟というのは「生きている」が「死んでいる」場所。物理的に存在しているし、誰かの記憶のどこかに存在する。しかしそれは物理的風化と記憶の風化によって、死へ突き進む。物も、人も死ねば、常世へ行く。しかしその間で彷徨っている状態が廃墟であり、扉が開く条件。一般論だが、例えば古い神社に霊や妖怪が集まったりなどそういう話があるように、私たちが信じる伝承や物語などでも、廃墟と死はさまざまな所で関連づけられいる。それと同じ感覚だろうと思った。

扉を閉めるプロセスはなんだろう。それは言わば廃墟に生を吹き込むプロセス。すなわち、廃墟の風化(物理・記憶)を止める事。映画では、「この土地にまつわる記憶」を呼び起こす事によって、扉を閉めるための鍵が出てくる。例えば、廃校に通っていた生徒の記憶や遊園地で遊んだ家族の記憶。その土地一つ一つに残る固有の記憶。それを感じることのよって、扉が閉める鍵が現れる。その記憶を呼び起こすこと、記憶を蘇らせることはある意味「生」へと少し近づけるプロセス。死にかけている土地の記憶をすずめ達が感じることで、記憶の風化を応急処置的に止める。もちろんこのロジックでいけば物理風化を止めることもできる。それは非常に簡単で、ただ風化している廃墟を建て直せばいいだけのことである。そうしたら廃墟は廃墟ではなくなり、よって扉も開かない。

ここまでわかったのが、ある場所(物理的存在、物)が風化する事によって(簡単に言えば死へ向かう)現世から常世へ近づく。その中間状態なのが、廃墟。廃墟は常世と現世をある場所が彷徨っている状態で、その曖昧な状態が常世からみみずが現世に入り込む隙を与える。それが扉という形で表現されている両世界の間の亀裂。その廃墟の生を、記憶を読み取る事で取り戻す作業が「戸締り」だと自分は理解した。

『古事記』などを読めばわかるが、死者の世界である常世と現世はそう断絶した物ではない。例えばキリスト教の地上と天国/地獄のように。それはある一定の条件が揃っていれば行き来できる。例えば神は両世界を行き来できたし。実際すずめ達も行き来した。時空のあり方が違えど、両者は行き来できる。常世は永遠であり、時間は存在しない。言い方を変えれば現在未来過去が同時に存在している。他方、現世は一方のベクトルに時間が進んでいる。そんな繋がっていて異なる世界を行き来することは、普通の人間には不可能である。なので作中でもそうたはすずめが扉の中へ入ろうとすることを止めたし、すずめも何度も入ろうとしても入れなかった。それどころか普通の人間はその扉から常世を見ることすらできないかもしれない(みみずを人々が認識できないように)。

ではなぜすずめは子供の頃、常世へ迷い込んだのだろうか。自分が思うに、それはすずめが「廃墟化」してしまったからである。言うなれば、すずめは生きていながら、死んでいた。又は、生きているが死を求めた。からである。すずめの母は震災で亡くなり、すずめは母を探すが見つけることができなかった。すずめが日記を黒で塗りつぶしたように、一人だけ生き残ったすずめ、母を亡くしたすずめに生きる意味など感じられなかったのだろう。すずめは、心のどこかで母が死んでしまったことを理解していた(最後のあたりでそれは明らかになっている)、だからこそ死の世界へ母を探したいという考えすらあったかもしれない。家は消え、母も消えた。母がいない中すずめはどのように生きれば良いのかわからなくなった。幼いすずめにとっては絶望であった。そんな震災の被害と母の喪失によってからぽになったすずめは、ある意味生と死の間に近づけた。それ故に常世に渡れたのだと思う。

すずめは常世に完全に渡ることもできたが、最終的に大きくなったすずめに会い、現世に戻る。子供すずめは高校生すずめに会うことのよって、自分は生きれることを知り、また誰かを愛せることを知り、母の形見である黄色い椅子と共に戻る。仮にそこで帰らず母を探し続けていれば、それは本当の意味ですずめの死を意味する。すずめは常世に入り、そこで暮らす事になり、現世のすずめは死ぬか消える。

生と死の狭間(物理的、精神的)な状態になれば人は常世へ入れる。しかしそれは多くの場合、死へと続く。すずめは、未来の自分によって死なずに戻って来れた。そして、戻ったすずめは環に育てられ、大きくなり、そうたに恋し、戸締りに巻き込まれる、幼き自分を導く。ここにはある種の決定論的世界観がある。決定論、すなわち運命論、宿命論。ある出来事は運命によってすでに決まっていて、人はそれを歩む。言い換えれば、運命を変えることはできず、人はその決められた結果の中で生きることを意味する。なので『君の名は』の様な「運命変えますストーリー」とは違う(ちなみにあれもまた、宿命論的と言っても過言ではないだろう)。災害に遭い、絶望し、死の世界へ迷い込み、未来の自分に遭い、大きな傷を負いながらも生き、過去の自分を救う。というのが多分すずめの宿命なのだろう。

この宿命を歩む上で、ダイジンが大きな役割を果たす。そしてダイジンの存在がすずめの二つ目の宿命を示す。ダイジンは一体なんなのだろう。簡単に言えば神。ただ普通の神というよりは、常世と常世の繋がりを管理する神と言った方がいいのだろう。小さな子猫の見た目をしたダイジンは要石からすずめが解放した。作中に出てくるもう片方の黒猫がサダイジンと名乗っているため、白い方はウダイジンなのだろう。ダイジンはどうやら、大臣、大神と大尽として変換できる。小説版におけるダイジンは大尽として表されていて、招き猫的な力もあるという考察もある様に、ダイジンは常世と現世を繋ぐ扉の番人でありながら、両ダイジンで異なる能力を持っている(例えばダイジンは人の注目を集めることに長けている、性格もおおらか。他方で、サダイジンは環に本音を吐き出させた様に、人の心の奥底の闇を吐き出させることができる)

どんな能力を秘めているにしろ、作中のダイジンはまさに日本神話的世界観における「気まぐれな神」である。同じ神様扱う系アニメとして物語シリーズとどことなく世界観が合う。神は気まぐれ、助けたければ助けるし、助けたくなければ助けない。アメリカのプロテスタンティズムに見るような契約論的な神(信じる人と神との間における契約的な関係によって、前者は神を信じそれに従い、後者はその信じる者を救う=信じる者は救われる)とは異なる。叡智万能でもなければ、神的でもない、人間とはそう変わらない無邪気な神。それが日本神話的な神。その神の存在を支えているのが人々の信仰。物語シリーズにおける怪異を考えてみてほしい。怪異と神は紙一重であり、怪異は人々がそれを信じるから存在しうる。

そのダイジンが果たしている大きな役割が、つばめを導く事。ダイジンはふざけている様で、最終的にはつばめを結末まで導いている。や、むしろこれは、神が導いているというより、神もまた宿命によって導かれているのだろうか。そこは定かではない。

説明が下手だが大体このようにこの映画の世界観をとらえた。

最後に感想

いい意味でも悪い意味でも、震災の爪痕の重さしっかり表現しながら、未来志向的なメッセージを送ったのではないだろうか。震災で誰かを亡くし、それによって「傷」を負った人は多い。ただそれによって生きる意味を見失ったり、自分の命をサバイバーギルト的に軽視する(すずめは死を恐れていなかった。それは自分が生きる意味をかつて見失ったことと、母の死に対するサバイバーギルトに由来するのだろう)人に対して「傷を背負って強く生きろ」というメッセージを送っている気がする。それがどう響くかは人次第だし、批判を招きかねないことは否定できない。

「戸締り」は一見常世との決別。自分が喪失したものとの決別。しかし常世は常にそこにあるように、喪失の記憶は常に傷として残っている。その記憶が薄れた頃、扉はまた開く。その扉をできるだけしっかりと閉める為には、逆説的であるが、それを記憶し、風化することを防ぎながらも、強く、明るく、未来へと歩むこと。

震災の記憶を風化させてはいけない。でも同時に震災に取り残されてもいけない。だからこそ記憶して進む。そんな感じのメッセージを受け取った気がする。

2時間だったが体感1時間程度で、個人的には楽しめた。背後のある世界観が興味深い。

以上。



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