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# 自分だけの世界

広い意味で、研究の世界は”自分の世界”だと思っている。

各々愛してやまない研究対象があって、日々そのことで頭がいっぱい。だけど、”俺が好きだからいい”とあってはならないと思っている。つまり、社会課題解決に貢献することが研究者の至上命題であり、社会に受け入れられない研究と認定されてしまうと、その研究の先行きはなかなか厳しいものになる。何をするにもお金は必要だ。

だから研究は常に外に開かれているべきだ。さっきも言ったけど、”俺が好きだからいい”とあってはならない、と思っている。

とはいえ、研究者の日常はそうではない。常に自分と研究対象(僕の場合は燃料電池)との世界である。圧倒的にあいつと過ごす時間は長いし、生き物ではないけど、”頼むから上手くいってくれよ…”とか念じながら日々実験に勤しむ日々を振り返ると、そこには常に自分と燃料電池がいる、それだけである(なかなかクレイジーな発言はご容赦願いたい)。

そして実際の対人関係についても自分だけの世界が広がっている。これは、俺オリジナルの世界、という意味。無論、教授のコネクションを使い倒している点で自分で構築したもの、と胸を張って言えるものではないのかもしれない。でも、ドイツにいってできた友達、先輩ドクターや博士先生との信頼、他国の研究者とのコネクションは、僕が一定数成果を研究業績をあげ、それを評価してくれて築くことができた点で、”自力で構築した”コミュニティ、ということになる。

これまでそこにはいつだって既存のコミュニティがあって、その中で人間関係をはぐくんで、かけがえのない友達に出会って、成長した。コミュニティは常に僕にとって”既に用意された”存在であった。これから会社に入ればやはりそこにも用意された存在なのだろう(無論、学生時代とはけた違いに幅は広がるとは思っている)。

ところが今回研究者の端くれとして他の研究者とやり取りをする中で、信頼を勝ち取ったり仲良くなることができた。これはいわば、”僕の、僕による、僕のための”コミュニティである。

自分にしか出来ないことを追求した結果、自分にしか作れなかったコミュニティを作ることができた。その舞台は世界全部であって、なんて素敵なんだろう。

燃料電池との世界も、自分だけのコミュニティも、捨てるにはちょっともったいないなぁ、と思って、これからどうしようかな、ということを悩んでいる。

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