# ”記憶する能力”の需要と向上について

僕はものを憶えることがとことん苦手である.このことを認識しだしたのは高校生活の終盤だろうか.理系だから,と謎の理由をつけて納得していたものの,理系だからものを憶えなくてもよい,なんてことはない.知識は多いに越したことないと僕は考える(一つ言い訳を加えるなら,定理や公式を憶えることは理解することであり,一度理解したことは忘れない.逆に言えば理解できずに”とりあえず憶える”ということができないということである).

話は少し変わって,最近僕はメモ代わりにOnenoteを使っている.インターネットを使って調べたこと,研究を進める上で必要だったことはなるべく足跡を残すようにしている.調べた末に行きついたURLをOnenoteに貼り付け,一口メモを残してそのブラウザは消去.こんな作業が僕のPC上では何度も繰り広げられる.

このOnenoteを付ける作業を続けていると,自分で知識を蓄える必要を益々感じなくなってきた.勿論テスト等のときは話は別だが,今現在生きていてクラウドにアクセスできない環境にいることは本当に稀であり,アクセスできない環境にいるときはそれはアクセスする必要のないときである.

つまり僕のOnenoteは今,僕の脳みそ以上に僕の”記憶媒体”としての役割を担ってくれていて,記憶をさかのぼることも僕の脳みそより得意,というわけだ(人間は思い出すまでに若干の時間を要するものだが,クラウドサービスはキーワードを入力すると勝手に探してくれる).

ただ,この投稿をする時点で僕は自分の脳みそに対して危機感を抱いている.記憶することをほとんどクラウドサービスに依存してしまっている今,僕の脳における”記憶する”機能の使用頻度はどんどん減少し,ますますその機能の低下は進んでいるだろう.

勿論便利なものを利用することはいいことだし,効果的に利用することで生活や研究を助けてくれることに間違いない.ただ,いざ自分の頭で”考える”,”考察する”ときに,このクラウドサービスは活用できない.少なくとも今の僕の知識では不可能である(自分のプログラムへの知識では考察をさせるようなAIは作れない).

つまり結論としては,記憶する手助けに利用することはあっても,完全に依存してしまってはいけないと思う.脳本来の機能を失ったり,それと同時に別の機能(先に述べた考える,考察するという機能の例がそれ)を失う危険もある,かもしれない,と思った.

自分の経験ベースでの話だから推測しか話できないけど,改善されるべきことだろう.紙ベースでの読書,語学学習で鍛えなおすとしよう.


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