見出し画像

【ひとりごと #5】人はみな熱心な仕事人でなければいけないのか?

こんにちは。
職場の窓を開けたら秋の虫が泣いていて、
なんて穏やかな一日なんだろう・・・
と平穏を噛みしめています、kaitephです。


最近、働くって何だろう?って思考をめぐらすことが多々あります。

今私は、派遣会社から紹介してもらった大学で職員として働いています。
そしておそらく、
大学職員の中でも、1,2位を争うほど
仕事が少ないポジションにつくことだと思います。

今の仕事はもっぱら、館内に発生するカビを掃除することです。笑

社会人になってから4年近く経ちますが、
今までで一番心が穏やかでいます。


前職である学習塾を正社員勤めしているときは、
仕事に忙殺されて、「仕事をする意義って何だろう」とか、
根本的なことを考える余裕がまったくありませんでした。


今、初めて「仕事」について考えている中で、
一つ思ったことがあります。

それは、
「必ずしも仕事に熱心である必要はないのでは?」という問いです。

去年まで正社員として会社のために働いているころには、
一生懸命働くことに価値があると思っていました。

もちろん、
やりたい仕事に熱心になれば、
喜ぶ人もいるし、それ自体否定するつもりはありません。

ですが、みんながみんな、その姿勢を貫く必要があるのか?

そう思ったのです。

なぜか。

それは、
「一生懸命働くことに価値がある」という思考が根底にあることで、
日常が辛くなってしまったという経験をしたからです。


ここから書くことは、

今仕事をすることがものすごくしんどい
また、私と同じように教育業界で働いて、そう感じている
今の会社をやめようか迷っている

など感じている方に届いたらなと思います。

これまでのこと



まず最初に、
私のこれまでの経緯をお話させてください。

経歴としては、
群馬の塾 → 東京の塾 → 東京の大学
ざっくりこんな感じです。

私は新卒で入った会社は
群馬県にある学習塾を経営していました。

群馬県内ではかなり有名で大きな塾で、
特に中高一貫への進学率はトップクラスの成績を誇っていて、
おそらく県内で知らないご家庭はいないのではないかと思うくらい、
圧倒的でした。


ちなみに私は、この会社が今でも一番好きです。

会社が目指す方針は、

「主体的な行動をし、自由な発想で世の中を拓いていく子供を育てる」

就活時にこの教育方針を見て、
驚くほど自分の持つ理想とマッチすることに感動して、
内定されてから即入社を決めたのを今でも覚えています。


毎週のように社員が一同に集まり、社長の言葉を聞く機会があったのですが、
社長は常に社員の半歩あるいは一歩先の時代を見据えているような方で、ある種カリスマ性もありました。


私はその会社で英語講師として採用され、
授業研修やその他イベント、ありとあらゆる仕事をして揉まれていきました。

ですが、そこに入社して2年ほど経った頃、
東京にある実家へどうしても戻らなければならず、
お世話になった方々とのお別れを惜しみながら退社しました。


東京へ戻ったあと、
転職をしたのが、これまた別の学習塾でした。

元々愛知に本社を置いている会社で、
数年前に東京へ進出したばかりの、ある意味ベンチャー要素もあるということで、
興味を持ち中途入社しました。

もう退職していますが、今でも文京区に根を下ろして活動しています。

ここで働いている頃がまあ辛かったのです。。

去年の夏前に入社しましたが、結局半年ほどで辞めてしまいました。
おそらくその半年間が、一番忙殺されていた時期だと思います。

ここからは、ただの愚痴になってしまわぬよう気を付けながら書いていきます笑


理想とのギャップに苦しむ東京の転職


会社がやろうとしていたことは、
「生徒のことを、勉強面から生活面に至るまで、徹底的に管理すること」
でした。

形式は個別指導塾。
私は新規校舎の教室長としての任務をいただきました。
個別指導なので、実際に生徒を指導するのは、アルバイト形態で雇った講師の方々でした。
たまたま優秀な講師ばかりに恵まれたのでそこはラッキーだったのですが、


日々やることは目まぐるしいほど多く、、

・授業準備(講師の方へ指導方針を伝えるため)
・授業の合間に行う生徒面談
・そのたびに報告書(手書き←)
・授業後の保護者への報告電話

これに+して教室の管理もやってきます。
掃除スタッフを雇う余裕などないので、
テーブル、イス、棚の掃除やトイレ磨きに至るまで、自分で管理します。

そして夏期講習や冬期講習の前には、
テキストの選定をしなければなりません。

塾での共通テキストのようなものは存在していないので、
テキストはすべて社員が選ぶことになっていました。
「個々のニーズに合わせる」を売りにしていたので、そういう形のままだったのでしょう。


その合間を縫って、新規事業の話し合いもしていたというのですから、
もう他のことを考える余地などありませんでした。
そして、
これらのことをすべてこなせたか、といえば、
全くそんなことはありませんでした。

会社としては、
とにかく顧客を増やしたい、ということだったので、

私が担当した校舎は、
・普通の小学生
・中学受験を控えた小学生
・普通の中学生
・高校受験を控えた中学生
・中高一貫の中学生
・普通の高校生
・大学受験を控えた高校生

そう、
小・中・高といった学年を問わず、
公立/私立を問わず、
求められるニーズがごちゃまぜな状態だったのです。
事実、私が担当した校舎は、
上にあげた7種の生徒、すべてコンプリートしていました。


教育業界においては、
中学受験、高校受験、大学受験
そのどれもがきっちりとリサーチを重ねた上で
戦略を立てるのが定石です。

おそらく私一人が全生徒のニーズに余すことなく応えるには、
24時間捧げても足りなかったと思います。

ちなみに、
社員は当時私を含めて3、4人。
校舎は3校舎。
受験ノウハウは、ぶっちゃけゼロに近いです。


もうとにかく辛かったです。


「働く」ってなに?


なぜ辛かったのか。


ここからは、「働く」ことに対する自分なりの価値観と共に記します。

私は、
「働くこと」 = 「価値の提供」
だと思っています。

おいしい料理を楽しみたい
音楽を高音質で楽しみたい
もっと仕事をスムーズにできるシステムはないか

それぞれが望むモノ・サービスが存在して、それをくみ取って提供する。

それが「働くこと」の本質なのではないかと思うのです。


東京の会社で働いていて辛かったのは、
この「価値の提供」が、あまりにも疎かになっていたと感じていたからです。


私の理想と食い違っていたのです。

「主体的な行動をし、自由な発想で世の中を拓いていく子供を育てる」
群馬での企業がこのように掲げているように、

私は、


将来子供が自分の力で社会を生き抜いていく、
その種まきをする

というのが教育の理想でした

では、東京の転職先ではどうだったか。

一応、「価値の提供」にあたるものがありました。

「生徒のことを、勉強面から生活面に至るまで、徹底的に管理すること」

これが会社の提供する価値でした。

そしてそれは、

【希望の進路を実現させる】
【「勉強を頑張る子供」という理想を実現させる】

という目的を内在させていました。


でも、
これってはっきり言って、
保護者の望むこと
なんですよね。

塾にお金を払ってくれるのは、保護者です。
つまり、この企業が売りに出しているものは、
「売上を伸ばす」ことのみを前提に据えた価値、ともいえるのです。


入塾をしてくるご家庭は、

子供に自分の望む方向をむいてほしいと思う保護者

好き勝手にさせてほしい子供

というギャップを抱えた家庭が多いように感じました。

それも、
会社が売りにしていた「価値」が、
保護者にとってのものでしかなかったからなんだと、
今になってから思います。


そしてさらに悪いことに、
上層部は、提供するその「価値」ですらおざなりにして、
売上と店舗拡大のことしか考えていなかったことも苦痛でした。


その証拠に、
統括部長と呼ばれる上司が口にする言葉は、
「数字」
の2文字のみだったのです。

毎月社員が集まる全体会議なるものがありましたが、
そこで統括部長は、ものの見事に「数字」のことだけ。

企業理念やミッションといった、
企業の持つビジョンについて(一応ホームページにはそれとなく書いてありました)は、
一切触れなかったのです。

しまいには、
英語教育が急務といわれるこのご時世に、
「英検ってそんなに重要なの?」
と言い出す始末でした。

また、
アクティブラーニング、プログラミング教室、など様々な事業を展開しようとしていましたが、
そのどれもが、お金を落としてくれる保護者をターゲットにするための「手段」でしかなかったため、
どれも内容はおざなりのまま。
世に出すことがなく、お蔵入りになった事業も多くありました。

その他諸々のことに耐えかねて、
今年の2月、退職しました。



イマドキの生き方


「働くこと」 = 「価値の提供」

これが私の中で思っている理想ですが、
困ったことに、
実際に自分のやっている仕事が、誰かの役に立っているのか?
と思う瞬間もあります。

でもふと、
熱心に働く理由がとくにないのであれば、
熱心にやる必要もないんじゃないか
と、
そう思ったのです。


もっと言えば、
やりたくなった時に思う存分やればいい
そう思うようになりました。

今、自分は大学職員として、
自習室管理を主な仕事としてやっています。
お給料は前職より多いです。

毎日それとなく仕事をしていて、
それとなく生きていける分だけ、
なんならちょっぴり楽しい余暇に充てられるぶんだけのお金をいただいています。

それでいいじゃないか、と。


「価値の提供」というミッションに対して情熱を注ぐのは、
それだけ誰かに喜んでもらえるチャンスがあるということ。

それ自体素敵なことですし、
あこがれます。

けど、
特に今、自分にとってのミッションを見出す状況でないのなら、
そうしたくなるまで、待ってもいいと思います。

今私は、大学職員の仕事をしていますが、
時間の余裕が出来た結果、

esportにハマって格闘ゲームの世界大会を観戦するのに夢中になったり、
遊戯王カードにまた注目して、どんなデッキが今強いのかをネットで探ったり、
前まで気になってたアニメを一気見したり

余暇を楽しむだけの時間が生まれました。

めっちゃ楽しいです。

熱心に働くことは素敵だと思いますが、
そうしなければならない理由は、どこにもありません。


ベーシックインカムなるものが実現すれば、
好きなタイミングで働くことを選択できる時代が来るかもしれません。


でも、今は現実として、
生きていくにはお金が必要です。

であれば、

生きていける分だけ稼ぐために仕事をする、
これでいいんじゃないでしょうか。


とある本に出会ってこんな考えに至りました。
その本については、また今度、お話できれば、なんて思ってます。

なんだかまとまんないけど笑


ちょっとでも気楽に生きることができる人がたくさん増えればなと、
日本の片隅でひっそり思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?