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ご機嫌よう、せんせい――ところで、『前』ってどっち? / 創作風エッセイ

▼登場人物一覧
1.チユリ……全寮制の某女子校に通う少女。質問好き。
2.せんせい……小説家のような人。チユリの質問に答えている。



チユリです。ご機嫌よう、せんせい。
外国のお友達が、日本語の勉強でちょっと苦労しているらしくって。
その子は賢い子だから、わたくし、どんな難しい言葉なのかなって思ったんだけど――どうやら、『前』という言葉に悩んでいるみたいで。
そんなに難しいようには思えないけど、詳しく聞いてみると、わたくしも不思議と難しく感じられてきたんです。

――From Chiyuri

世界中には、たくさんの言語があります。

その中でも日本語がとりわけ難しいことは、なにかとよく耳にしますね。

小説家は一冊の小説でたくさんの言葉を取り扱うため、一般的な方から見れば日本語に精通しているような感じがします。

実際のところ、『歳の割に言葉はよく知っている方かな……』くらいの自覚はあります。

それでも――いえ、だからこそかもしれませんが、チユリのお友達がなにをそんなに苦労しているのか、初めは私も分かりませんでした。

『前』という言葉はよく使いますし、チユリの言う通り賢い子なのだとしたら、それほど苦労するようには思えせん。

チユリからのメッセージにはもう少し続きがあるので、見てみましょう。

その子がね、わたくしに訊ねてきたの――「『前』はどっちなの?」って。
たとえば『前に向かって歩く』は、現在の位置から正面に進むこと――英語では『Front』になるわ。
でも、本とかで『前のページ』と言ったら、現在位置から戻って読むこと――英語にすると『Back』になる。
まったく逆の意味になるから、それで「どっちなの?」って……。
そう聞くと、わたくしにも分からなくなってしまったんです。
どう説明したらいいと思います、せんせい?

――From Chiyuri

ここまで読むと、疑問点に合点がいきます。

言われてみると、『前』という言葉は時に『Front』であり、『Back』にもなりえますね。

物理的には進む場合が多く、時間的には戻る場合が多い……そう捉えてもいいのですが、それでも真逆に思える二つの意味を内包しているのか。疑問の解決にはなりそうもありません。

そもそもの疑問は「『前』はどっちなのか」ですから、分かりやすく示すにはどちらなのかを答える必要があります。

というわけで、私なりの結論をちょっと考えてみました。

日本語の『前』はどっちなのか――『Front』なのか『Back』なのか。

私の結論では『Front』、つまり『正面』の概念を推しておきます。

より正確に言うと、『正面』ではなく、『表』かも。

あらゆるものはコインのように表裏一体であり、それは人間も本も、時間も同様だと考えます。

たとえば『前に向かって歩く』の場合、人の表――、
すなわち顔がある方を差している、と解釈します。

対して『前のページ』の場合は、本の表――、
すなわち表紙の方を差している、と解釈します。

人間からすれば本を『前のページ』にめくることが進むのではなく、
時間的に戻っている感じがするので混乱しがちですが、
これもちゃんと本の『前』に向かっているわけですね。

どの対象にとっての『前』なのかを捉え直すことで矛盾が起きなくなるわけです。

余談ですが、時間を遡る際にも『前に戻る』と言うのは、
『時間』にとっての『表』がどこなのかを考えるとしっくりきます。

たとえば、これまでの『時間』を一冊の本に置き換えた場合――。

表紙に近いのは今の私たちの時間か、あるいは遥か遠い過去――宇宙の始まりの方か。

さて、あとはチユリのコンパイルに任せましょう。

私の小難しい話も、彼女ならきっと噛み砕いて伝えてくれるはずです。

お返事ありがとう、せんせい。
せんせいにしては分かりやすい説明で、お友達も納得していたみたいです。
ところでね、最後の方――そう、余談の部分を拝見して、わたくしにも疑問が生まれたんです。
時間が一冊の本だとして、その始まりが宇宙の始まりなのだとしたら、宇宙が始まる前には時間がなかったんですか?

――From Chiyuri

宇宙が始まる前、そこに時間という概念はあったのかどうか――。

これはよく聞く疑問だし、個人的に興味深くもあるけれど、考える役目を持っているとすれば物理学者でしょう。

小説家の領分は『言葉』についてまでなのです。あしからず。


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