チームのために、自分を犠牲にするな。
「チームのために、自分を犠牲にできるなんて凄いね。」
これは学生スタッフをしている僕が、たまに言われる一言である。そして何気ない一言に対し、普段は「そうかな~。」と適当に答えることにしていた。ただ、言われる度に違和感を覚えていたので向き合おうと思い、1つの問いを立ててみた。
「果たして、チームのために自分を犠牲にしているのか。」
この問いについて考えていきたい。
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考えてみた結果、、
「チームのために、自分を犠牲にするな。」という答えに落ち着いた。
そして、まず「チームのために、自分を犠牲にできるなんて凄いね。」っていうことを別の言葉に翻訳してみる。
僕が翻訳をすると、「チームのために」=「自分を犠牲に」ということになった。
でも僕は、正反対の「チームのために」≠「自分を犠牲に」ということが必要だと考えている。
そう考えるのは、僕が関学サッカー部の一員として「チームのために」活動しているからだ。その中で、1ミリも自分を犠牲にしているなんて思っていない。犠牲はおろか自分の色を出させてもらっている。例えば、事務作業、声出し、コミュニケーション、YouTube活動や練習メニューなど、ありとあらゆる場面だ。
これは、僕に限ったことではない。他の部員も全員自分の色を出している。選手とかスタッフとか立場なんて関係ない。
だから、「チームのために、自分を犠牲にするな。」という答えになった。
しかし、例外になる人もいる。それは、何も考えず日々をこなしている場合だ。これに限っては、確実に自分を犠牲にしている。意味がない。存在しているだけだ。だから、そういった意味では「チームのために、自分を犠牲にできるなんて凄いね。」って言われてもおかしくない。もし心当たりがあるなら、危機感を覚えた方が良い。
いや、それどころか辞めた方が良い。自分の色を出さず、自分を犠牲にしている。さらには、チームのためになっていない。キツイ言葉だが、自分を殺している。これが、僕の考える例外である。
だが、結局何を言われようが「自分を犠牲にしていない。」と胸を張って言えるなら、無視してしまえば良い。それは他人には分からない。自分にしか分からないことだ。
そして胸を張って言うためにも、1人1人が自分の色を知らないといけない。どこの土俵で闘うのかを考えないといけない。例え、自分のためでもいい。嘘をついてチームのために、と思わなくていい。どんなことでもいいから、全力でやれば見えてくる
絶対に、こなすだけにはなるな。やる時はやれ。腹を括れ。仲間がいることを忘れず、困ったら必ず頼れ。少なくとも僕は、仲間を頼りまくる。仲間と手を取り合い、突き進もう。そうすれば、チームが目指す場所に辿り着く。
最後に、明日から最後のシーズンが開幕だ。僕に力を貸してくれ。
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