27歳 あくまでも推しは他人

『推し活』

すっかり一般社会に馴染んだ文化

Q.
『推し』とはどんな存在ですか?
A.
自分の原動力になる存在
自分に幸せを与えてくれる存在
生活に彩りを与えてくれる存在

推しに会える日のために勉強や仕事を頑張る!
稼いだお金を推しに費やすことが幸せ!
推しと一緒に夢を叶えたい!目指すは武道館!

推し活は楽しい趣味である。
いや、生き甲斐でさえある。

ただ、そこに

①義務感
②疲れ
③将来への不安
④不満足な出費

が発生するのであれば、

この推し活は本当に幸せなのか?

と疑問を持つべきである。

私の話をしよう。

私は14歳の頃からヴィジュアル系バンドが好きで、推し活には熱心に勤しんだ。
ヴィジュアル系バンドのファンのことは
通称『バンギャ』と呼ぶ。

〜バンギャ全盛期時代の記録〜
2015年 ライブ8本 リリースイベント4本
2016年 ライブ10本 リリースイベント3本
2017年 ライブ12本
2018年 ライブ15本 リリースイベント3本

2018年がMAXだった。
2泊3日のファンクラブ旅行にも参加した。

この4年間は、毎月必ずライブやイベントに行っていた。
今が楽しければそれで良い。
この先もずっと推しバンドのことが好き。
バンドがあれば将来のことは何も問題ない。
当時はそんなことを考えていた。

27歳の今はどうだろうか?
引き続きヴィジュアル系の世界が好きであることは変わりない。
今年2024年は、応援していたバンド(2015年に活動休止)が8年半振りに活動を再開した。
これからも、ライブやイベントへ行く機会は溢れている。

ただ、推し活への向き合い方はすっかりと変わってしまった。
私の気持ちを正直に話すと、バンド側からは悲しまれるかもしれない。

引っ越しやコロナ禍を通して、
バンドとの物理的距離ができてしまった。
心にポカンと穴が開いたような感覚に陥り、無気力な日々を過ごしていた。
しかし、視点を変えてみると

①義務感

から解放される機会でもあった。


ツアーの度に必ずライブに行く
推しとの写真撮影のために同じCDを何枚も買う
部屋の隅に放置される未開封CDたち
推しのグッズを持たなければならない
推しのインタビュー誌やSNS投稿は漏らすことなく確認しなければならない

誰が決めたルールなのだろうか?
これらを成し遂げないとファン失格なのだろうか?
重く考えすぎているだけなのかもしれない。
私は考えすぎてしまう性分だから仕方がない。

そして、この暗黙のルールに対して、

②疲れ

を感じていた。

また私は、良くも悪くも大人になってしまったのかもしれない。

昔は心のモヤモヤがあっても、ライブやイベントで推しに会うだけで吹き飛んでいた。
現実での問題を無かったことにできていた。

しかし、今では大きな問題を抱えている。

年月の経過とともにコロナが終息し、今までと同様に推し活ができるようになったものの…
経過した年月の中で、
交際・結婚・出産・仕事・転職・資格取得等
ライフステージにまつわる、たくさんの悩み事が生まれた。
悩み事によるモヤモヤは、ライブ中やイベント中であっても脳内を離れてくれない。
悩み事が解決していないのに、推し活をしていても良いのだろうか?
現実での問題から逃避しているような気持ちになってしまう。

③将来への不安

に支配された精神状態で、本当に推し活を楽しめているのだろうか?

バンドと言えど職業の一つである。
利益が必要だ。
利益の大切さについては、コロナ禍を通して顕著に現れた。

クラウドファンディング
ツイキャス配信
チケット代の値上げ
バンド存続のために、様々な方法を使っていた。
やはり、より多くのお金を支払ってくれるファンには助けられるであろう。

そんな時代背景と相反して、
私は徐々に、バンドを中心とした出費を不思議に思うようになった。
これも、時間の経過とともに私の価値観が変化したことが関係する。

コロナ禍により、ライブやイベントに行けない毎日の中、私は新しい楽しみを見つけた。
内容は、医療脱毛・自爪矯正・歯のホワイトニング・整体・コスメ収集・書籍購入等
ずっと後回しにしてきた『自己投資』と分類されるものだ。

自己投資を通して、また違う種類の幸せを手に入れた。
推し活は、人を応援することによって得る幸せ
自己投資は、自分を可愛がることによって得る幸せ
推し活の幸せ指数が80ポイントだとしたら、
自己投資の幸せ指数は100ポイントくらい。
今の私を満足させてくれるものは『自己投資』

人は日々多くの情報に触れ、様々な経験を経て、刺激を受けながら生きている。
何に投資をするべきなのか?
優先順位は変動するものだ。

④不満足な出費

は抑えたい。


随分と長く語ってしまった。
そろそろまとめよう。

推しはあくまでも他人である。

自分の精神がどうなろうと
自分の将来がどうなろうと

推しは責任を取ってくれない。

推しから与えてもらう幸せに頼らず
自分で自分を幸せにできるようにな選択をしたい。

この軸を踏まえた上で、
私は行きたい時にライブへ行く。
会いたい時にイベントへ行く。