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教職課程をとる一大学生としての教育観

一大学生として教職について、引いて今の世の中に対して思うことを書き繕っております。どこかあなたの心に引っかかってくれる部分があると幸いです。


教職ってまだ終わっていないんやな

大学で教職課程を履修するときに、今の教育が問題があるという視点を持つことができていて、そこを改善するやり方について模索できていることは、それ自体で教職に遅かれ早かれ変化が起きていく、もしくはすでに起こっていることを意味するのではないかと感じている。例えば、ブラック校則に関してもですが、もしブラック校則をこれからも維持する流れがあるのなら、教職課程の段階からその意味を無理やりでも教え込む体制があるはずだが、むしろ大学ではその逆であって、講師として授業する現場の教員も、大学の先生もそこには教員個々が納得して指導ができ、説明ができる必要があるという認識を持っていた。お分かりいただける通り、ブラック校則は時間の問題で解決していくと思います。逆に言えばこれまで変わってこなかった要因って何かと考えてみると、生徒を力で押さえつける時代からコンプラが騒がれる今の時代へのシフトが起こるにつれてパラダイムシフトが起こったといえるのではないでしょうか。その時代に合わせて教育も変わっていく。ブラック校則がのこっているというのは時代に乗り遅れた学校がまだ存在していることを意味する。ってことは、、、もしまたそういう時代が来たら、、、?と考えるのは怖いので止めておきましょうか。

コンプラ・ポリコレの時代

コンプラもポリコレも確かに大事ですよ、それはそうなんですが、厳しくしすぎると言語を奪い、文化を奪いかねませんよっていうのはやはり思うところではないですか?
学校現場で、悪口を言ったり、なにか不適切な発言もあるかもしれないが、それを言ってはいけないというのはもちろんそうだし、その中でやっていくべきというのはあるが、ある程度友人関係を作ったり、その関係が構築されていくなかでそう言ったものも一部あってもよいのではないかと僕は個人的には思うんですよ。今、これを読んでいるあなたも友人に対して全く持って衝突がなく、悪口を言い合ったりした経験がないってことはないはずです。だからそういった何でも不適切なものは完全に排除することですべてがうまくいくというのは「理想論」です。問題の解決としてその要因を排除してしまうことも効果的ではありますが、それによって失われることが多いことを今の大人は気づくべきです。なにが本質にあるのか見えていないのは我々の方ではないですか???
ついでに一つつけ足しておくと、そう言ったコンプラ・ポリコレは文化を破壊します。芸人がテレビでやっていることが代表例でしょう、今でさえテレビは昔より規制が厳しくなって面白くなくなったといわれる中、ある種笑いはどこか人間の裏側をはらむ部分があって我々は面白いと感じるのではないでしょうか。日々から面白さが消えていきますよ、いいんですか?

今の教育に感じる違和感

個人的な話をすると、国立大に進学して、世間一般からは入試で生き残った、いわゆる「勝ち組」なのかもしれないですが、僕は違和感を感じています。あえて理想論から入ります。大学は職業訓練校じゃないです、研究したり、自分の知見をひろげる場所で開かれた学問へのアクセスの場であるべきだと思います。「勝ち組」になればいいところに就職できて、給料が良くて、一生困らないっていうのはちょっとズレてませんか?もっと言うと大学に入ると遊べる、人生の夏休みなんて言うこともありますが、それでいいのかなと僕個人としては思っています。自由な学びができるからこそ、差が一番つきやすい時期だと僕は思っているのでもっと大切にしようよ、、、とは思います。(勉強するもしないも自由なのが大学でそれはそれでいいとは思いますが)
少し脱線してしまいましたが、受験をゴールととらえる今の教育制度は本当に良い教育といえるのでしょうか?僕は各々が自分でやりたいことを追求すればよいと思っている派の人間なので、もしそのベクトルが勉強に向くならさらに高等な教育を受けるべきだし、それがスポーツに向くなら、もちろん全員に必要な義務教育を受けたうえで、さらなる努力ができる場にむかえばよいと思っています。これが理想論となっている原因は明らかに収入が関係しているでしょう。大卒と高卒の給与が大きく異なること、高学歴になればなるほど収入が上がること、これがすべての原因だと僕は思っています。それは教育の力だけで変えていけることではないと読者の皆さんはすでにお気づきでしょう。
そう言った意味では僕はまだまだ学歴主義的な世の中は変わっていかないのかなと感じています。(最近の推薦入試型の選抜方式は僕個人としてはさらなる格差を生み出すのではと危惧しています、、、アメリカの入試スタイルを見てもらうとすぐにわかるはず)

まとめ

教育は時代によって変化するなかで、あるべき姿を大人が押し付けるべきではないでしょう。そして時代が変わっていくなかで、あなたはその考えに流されることなく、一度立ち止まってなにが本質にあるのか考えてみてください。根が深い教育の問題が少しでも良くなるようにと思って僕は先生になる道はおそらく選ばないもののどこかで教育をよくしていきたい、そう思って今しんどい思いをしながら教職課程をとっています。以上、一個人の一大学生としての教育に対する思いでした!!読んでくれてありがとう、ほな、また。

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