2020年をふりかえる。
2020年は本当にすごい1年でした。簡単にですが振り返ってみようと思います。明け透けに書いていますし、5500文字以上あるので時間がある時にぜひ読んでみてください。
コロナの前から。
数年続いていた顧問契約が2社同時に春ごろに終わることになり、比重が大きかったため、春ごろにはとても危険な状態になっていました。あまりネガティブなことは書くべきではありませんが、ただこうしたことがあった上で起こした行動により、自分たちは成長できたと思っているので書くべきだと思いました。
そんな折に、iFデザイン賞を授賞した。
二月に結果発表があったのですが、往信用歯科ユニットと、炭酸水メーカーのふたつがドイツのiFデザイン賞を授賞しました。暗い気持ちの中にすごく明るい光が差した瞬間でした。詳しくは下記投稿にて。
本当にやることがなくなってしまった。
ちょうど緊急事態宣言が出たあたりには、ある程度の業務を見越して時間を空けていたためにそれが仇となりやることが完全になくなってしまった時期が4月と5月でした。コロナが日本に入る前には海外のオファーもありましたが、世界的なパンデミックになりその話も無くなり、連絡がつかなくなる会社もあったりで全ての悪いタイミングが重なり、2か月は本当にやることがなくなってしまいました。
実際には何をしていたか。
2018年に引っ越してきた今の事務所。3階建を一棟丸ごと借りていますが、夏までに自体が好転しなければまずこの固定費が大きくのしかかることがわかっていたので、徹底的に掃除をし物を減らすことにしました。それも2人がかりで数日で当然片づけるところがなくなるほどきれいになり、またやることがなくなってしまいました。
マスクを作ってみた。
当時はマスク不足が深刻な状況で、転売問題なども非常に多くあった中で自分たちの力でどうにかそうした問題を少しでも解決できないかと思い、マスクを作っていました。その時に導入したのがバキューム成型機「Mayku Box」でした。誰に依頼されたわけでもないのに、また仕事があって余裕があるわけでもないのに、そうした設備を買って3Dプリントしたマスクをバキューム成型してマスクを作っていました。
ハンカチやティッシュなどを四角く折ったらフィルター替わりになるマスクで、自分と自分の周りの人の分、また日本が感染が収まったら(当時は年内にはおさまるという専門家の見方もあった)発展途上国への提供も考え、当時は3Dプリントでマスクを作るのが少しトレンドになっているなかで、より小さなエネルギーで短い時間でそのフレームを作ることができるバキューム成型に着目してマスクを作っていました。
ほぼほぼ完成していたのですが、あえてそれをSNSに投稿してという行為そのもに少し疑問を感じてしまい、結果として自分が使うにとどまってしまいましたが、その活動の中でかなりバキューム成型についての特性を理解しました。これは大きな収穫でした。
スラムダンクを読んでみた。
相変わらずやることがほとんどない状況で、それまでずっと働き続けて身体は結構疲れていたのでせっかくなので休息を取ることにしました。とりあえずフリマアプリでスラムダンクという漫画の全巻セットを買い読んでみることにしました。漫画一気読みなんていつ以来だろう。相当やることがなかったんだとこれを読んでいる人には伝わると思いますが、まさしく何もやることがない状態でした。
スラムダンクは今の35~45歳くらいのジャンプ読者にはご存じのバスケ漫画です。ふとしたきっかけでバスケットボールを始めた若者が、その才能と努力により成長し、チームを救済するというお話ですがその中にはとてもたくさんの名シーンやセリフがありました。
実際にスラムダンクは何十回と読んでいて、ストーリーはもう全部頭に入っているし、名セリフもだいたい頭に入っているので一気に読むのに三日もかからなかったですが、とても良い休息になったと共に、気持ちがとても前向きになり(単純)、動き出すことにしました。
ペンを生産することにした。
これまでの仕事のやり方とは違う方法も試してみるべき状況だったので、ずっと忙しさの犠牲になっていたボールペンの制作に本気で乗り出しました。何度も言いますがコロナの状況でなければこのペンはきっと完成していないと思います。詳しくは下記投稿にて。
デザインの最初の扉を開く鍵。
製品の生産に加えて、パッケージ、動画、音楽(一緒に活動しているアーティストのMeng Duに依頼)し、トータルブランディングを行い、初めての自社商品が完成しました。下記で買えます。
仕事を得るために動いてみた。
ただそんなことをしていてもなかなか仕事は見つからないので、さらに動くことにしました。ここに関しては、多くは語れませんが今年一番がんばったことはここだと思います。6月7月にこの行動に多くの時間を使ったことが今年大きかったように思います。
自分たちのルールを変えてみた。
独立して12年。様々な経験をする中でこれまで拒否してきたことがいくつかありました。まず一つは相見積もりを作ること。相見積もりとは、ある案件に対し発注者がいくつかの発注先に見積もりを依頼し、その見積もりの結果で発注先を決めることですが、これまでは値段で決めるということと、デザインをするということに違和感があり、相見積もりであるということがわかった段階で辞退していました。ですがそれも今年は参加することにしました。だからといって値段を変えるわけでもなく、これまで通りの自分たちの人工計算により算出している見積もりをそこに出すということにまずルールを変えました。
また指名コンペにも以前は積極的に参加していませんでした。デザインはクライアントとデザイナーの二人三脚だと思っています。その距離感になるまでにまずアイデアを出すという指名コンペということにも以前は違和感がありました。またコンペに参加した際にもコンペ参加費用が出なかったり、アイデア(知財)はコンペの勝敗にかかわらず譲渡という厳しい条件のコンペが過去にあったために、いかなる場合においても参加を見送ってきましたが、このルールも変え、コンペ参加費用が存在し、知的財産権の譲渡は採用案のみという説明をした上でなお参加の依頼があった場合には参加するということにしました。
結果、コンペに勝利しその次の実施デザインに進んでいるものが多くルール変更して良かったと思っています。
スタッフと危機感を共有してみた。
当然経営のことなので、スタッフには状況をありのまま説明しました。少なくともお互いがきちんと生活をしなければならないため、夏までに自体が良くならないと解散もある。という話もしました。赤裸々に語っていますが、当時はそういう空気感でやられていたのは実は僕の方で、スタッフからは「がんばりましょう!わたしもがんばります」と逆に励まされたので、6月頃の行動につながりましたが、その一言が無ければ諦めていたかも知れません。
この危機感を共有したことでよかったことは、スタッフの仕事に対する気持ちや行動があきらかに変わったこと。アウトプットへの意識が高まったこと、自分でできることを常に率先してやるという意識になったこと、アイデアの展開量が増えたこと、精度があきらかに上がったこと、そしてちゃんと教えを乞うようになったこと。枚挙に暇がありませんが、とにかくスタッフと危機感を共有したことによって、スタッフが成長し、事態が好転しはじめたこと。
当たり前のことかも知れませんが、たとえば事務所の前に小さなゴミが落ちている場合、これまでの過去のスタッフの中でそれに気が付いて掃除をするという人はあまりいなかったように思います。ですがそうした細やかなことにも気が付けるようになったのは、危機感を共有したことによるスタッフの成長なのかも知れません。とにかく人が変わったようにレベルアップしました。まさしく覚醒といってもおかしくないです。
先に結果を話すと、年末にかけて仕事が増えてきたので年末に寸志をスタッフに支給できるようになったことは今年一番よかったことかも知れません。
徐々に事態が好転し始める。
営業活動のせいもあったり、またコロナウィルスの社会へのショック段階が終わったこともあったりで秋ごろには仕事が少しずつ増え始めました。とはいえまだまだ余剰がある状態だったので危機感は維持されたままでした。
そんな中でも色々面白いことはやっていた。
春から夏にかけて、友人のワインショップのノベルティ制作を行っていました。8の形をしたワイングラス。ここも2019年に行ったイタリアツアーで得たことが結構反映されたものになりました。
東京の展示会に呼ばれる。
夏頃に東京のデザイナーの友人から、「東京で感染症対策のプロダクトデザインの展示会をするのですが、参加しませんか?」とお誘いを頂き、とても興味があったので参加しました。これが後のNEW NORMAL NEW STANDARD展となるのですが、その出展作として作ったのが現在発売を控えている消毒液スタンドです。詳しくは下記投稿にて。
NEW NORMAL NEW STANDARD ウェブサイト。
まさか東京では新聞に、大阪ではテレビに出演するとは。
話題というのはすごいもので、感染症対策のプロダクトデザインの展示会はとてもセンセーショナルなものとなり、東京展では朝日新聞に、大阪ではNHK大阪にこの件で出演しました。テレビ放送の翌日にはいくつかの大阪のメーカーの方が来場され、テレビというメディアの強さを実感しました。
今維持をがんばっているこの事務所は一回がギャラリースペースになっており、過去にはトークショーや展示会を行ってきましたが、ここを借りた目的の1つに東京の展示会を大阪に持ってくるという大きな目標がありました。NEW NORMAL NEW STANDARDによってそれは実現され、多くの大阪の人たちに東京などの他の地域のデザイナーのデザインを見せることができました。コロナじゃなかったらきっとこのことはここまでうまく進まなかったと思います。東京のすごいデザイナーたちが大阪に搬入に来てくれたりということもすごくうれしかった。
ペンが海外でふたつの賞を授賞した。
先ほど書いた自社商品のボールペンが香港のDESIGN FOR ASIA AWARDのシルバー賞、また中国のWENZHOU INTERNATIONAL DESIGN BIENNIAL(温州国際設計双年展)にてシルバー賞を授賞し、自分たちのコンセプトは間違っていないということを確信しました。
また海外からもこの件でいくつかの魅力的なオファーがあり、課題は本当に多いですがどうにかクリアしていきたいなと思います。
ブルーのふせんが増えてきた。
使用しているPCモニターの左側の縁に、するべきことをブルーのふせんに書いて優先順位順に貼っています。以前からの癖というかこうしておかなければタスクミスが起きたりするのであえてこうしていますが、それこそ春にはこのブルーのふせんが一枚もない状態でした。
11月からありがたいことに今にかけてはブルーのふせんがとても増えてきて、今日もこの投稿を終えた後には(最近増えてきた)アイデアワークをし、明日は休息を取って明後日からもう2021年の業務をしようと思っています。こんな一度ほぼ失って、残ったわずかなものでもう一度それを再生していくという一年はこの先あるかないかわかりませんが、あまり経験できない貴重な一年だったと思います。
またこういう状況下であるために出会えた人、廻りあった仕事、成長したスタッフなど様々な「良い面」もありました。これはいつも言うのに躊躇する言葉ですが、「コロナウィルスはもちろんない方がいいに決まっているけど、自分にとっては全てが悪いことではなかった」ということを講義やスタッフにはいつも言っています。
未来はコントロールできないが、受け止め方はコントロールできる。
まとめると今年はこれにつきます。コロナウィルスがここまで世界的なパンデミックになるとは去年の今頃は誰がわかっていたでしょう。自分も含め対岸の火事くらいに思っていた人は多かったと思いますが、現在は未曽有の危機に瀕しています。未来はコントロールできない。
ですが、今年は受け止め方をコントロールし、それによって行動を続けたことにより、少し自体は好転してきています。明け透けにこのようなことを書くのは恥ずかしい気持ちが少々、また興味がないときっと最後まで読んでくれないとも思いますが、それでもこれを今ここに書くことには未来的な意味があるように思います。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。いつもいつも長文で申し訳ないです。
2021はどんな1年になるだろう。
自分のスタジオの経営環境はどこまで改善維持できるかわかりません。明るい話題は多いですが油断できない状況には変わらないので、そこは精一杯やるとして、新しいことにチャレンジできる1年にしたいと思います。
また、かわらず人とのつながりや仕事に感謝し、一つ一つに全てをぶつけるように全力を出し切って行きたいと思います。
2021はどんな1年になるだろう。不安と期待はまだ不安の方が大きいですが、終わる頃にはまたこうしてブルーのふせんがたくさんあって、笑っていられる1年であればいいなと思います。
今年もたくさんのnoteを読んで下さりありがとうございました。
皆様にとって健康で素晴らしい1年になることを祈念しつつ、自分もがんばる次第です。来年も宜しくお願い致します。
江口海里
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