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8というワイングラスができるまで。

あるワイン専門店のワイングラスをデザインさせていただき、それについてのプロセスやコンセプトの深いところなどをインスタグラムやフェイスブック、ツイッターなどに書ききれなかったので、読む人は少ないかも知れませんが書いてみました。ざっと6000字以上なるので興味がなければスルーしてください。

ことの経緯。

大阪西区京町堀にインポートワイン専門店の「イル・ソッフィオーネ」はあります。イタリアでソムリエの資格を取った三吉隼人さんが店主をされている、こだわりのワインばかりがある際立ったお店です。

イルソッフィオーネ

実は今年の年明けくらいに三吉さんから「実は8周年がもうすぐなんですが、何か記念になるものをデザインしてくれませんか?」とお話を頂いたとき、その記念日まですでにもう二か月を切っていました。その中でできることを色々試しましたが、やはり少し時間を作ってちゃんとしたものを作るという共通認識に至り、8/8に向けて何かをしよう。ということになり、そうなればとワイングラスを作るのはどうか?ということを提案しました。

大阪中のワイン通が通うソッフィオーネの記念ワイングラスをデザインするということは自分の中で少しプレッシャーでもありました。今回はそのワイングラスができるまで何を考えたかのお話。

8という数字に付帯する要素を集めて並べてみた。

店主三吉さんとのディスカッションの中で、8という数字に関わる何かになってほしいという要望がありました。自分もデザインスタジオを12年やってきて、8年目というのは少し特別な意味もあります。起業して最初の区切りは1年。その次は3年、5年と続き、5年の次は10年となんとなく区切られています。深い根拠はきっとないと思いますが、経営者の想いとしては5年できたから次は10年だと、そこで一気に山が高く感じ始めます。同時に5年やってきた自負もあって、気持ちは晴れ晴れしていました(自分のときは)。ただ10年まで進むためには結構な障壁も多く、その中休み的な意味での8年はすごくポジティブなイメージがまず個人的にあること。

それから、コンセプトの文章にも書きましたが8という数字は日本では縁起がよく、また海外でも8を横に向けると無限大∞となることから、ポジティブな時間軸としてのいい意味性があること。

また8という形は、基本形状の○△□のうちのもっとも基本的な形状を二つ重ねた形状であり、幼い子供も描けるくらいの簡単さを持っていること。

そしてそれらは時に人に見えたり、深い意味を見いだすのであれば二つの良好な関係性を一本の線で描くことができるということ。など、良い面を見れば枚挙に暇がないほど要素に富んだ数字だということ。

あとおまけ的に言えば、ワインはぶどうからできていますが、ぶどうの造形的な特徴は球の密集です。そうしたメタファーもデザインには少し入っています。

最初の三つの提案。

結果だけを見れば、8周年だから8の形したグラスか。安直だな。と思われるでしょう。実際に客観的に見ればそのように見えると思いますし、僕自身も人に説明する際はそのように説明することもあります。想いとは少し違いますがそれもひとつの側面には違いないですから。

ただこのデザインに行きつく前に話を戻すと、実はあと二つ提案がありました。それらはもう少しマーケティングめいたものを持っていました。簡単に言うとそれらは「無難なくウケそう」なものでした。それはテーブルワインの流行から、脚部がないワイングラスが流行していることなどを三吉さんからお伺いした結果、そのあたりの提案も実はしていたということ。それらはガラスの特性等も踏まえて普通にいい物だったと思いますが、ディスカッションの中で結局現在のデザインに決まったことは、「数を売るためのものじゃない」という制約がそうさせたのかも知れません。実際にこの記念品は8脚しか生産されないことも早い段階で決めていました。ですので想いの強いものになる方がいいという結論に至りました。

数と深淵の関係について①。

ここから少しデザインに取り組む姿勢についてお話します。というのも、プロダクトデザインはそれらがどの程度の数量生産され、どの程度の供給を計画するかで手法が変わってくるので、そうした時に何を考えるべきか。というお話です。これはデザイン業界では当たり前のことかも知れませんが、いざ業界の外側のデザイン通の人とお話すると案外浸透していない「デザインのはなし」です。

例えば世の中に多くのものがあって、それらは総じて似ているとき、人はそれへの興味を減らしてしまいます。そして近しいものが密集している場合、本質より価格を優先する人が増える傾向にあるため、スピードや効率ばかり優先され、既にあるものの姿からトレースするようにデザインの旅をはじめてしまうことがきっと多いと思います。

数を考えればそれは自然なことなのかも知れないし、そのくらい新たに物を生み出し、ビジネスにするのは難しい時代だと思います。そういう意味では今回のワイングラスは初めから数をかなり限定して生産することが決まっていました。そうしたときにどのようにプロジェクトを進めるべきなのか。そのことについて少し話そうと思います。

数と深淵の関係について②。

みんながなんとなくイメージできる、あるいはイメージが近似位置で揃うデザインが多くある場合、つまり「おおよそこういうものだ」と多数の人が言い切れる飽和した物を新たに取り組むとき、僕はその自明の当たり前を疑ってみます。中心を疑いながら深淵を旅するのです。ワイングラスというのは、自転車や椅子のように古くから構造そのもののイノベーションは起きておらず、ほぼ形の変化だけが評価され続けているいわば完成されている世界です。そうした世界ではもうすでに名作と呼ばれるものが多く存在し、改めてデザインする必要は中心には残っていない可能性が高い。

自明を疑ったのちに結局中心あたりにあるイメージがやはり優れていると立証されることがたしかに多いですが、時々深淵の方が優れたポイントを発見してくれることもあったりします。つまり「完成された当たり前」は「未完の当たり前」だった場合です。当たり前が構築された歴史的プロセスに問題があったか、あるいは時代が変化したことで本質性の評価軸がずれてしまったか。深淵を旅したときに自明より優れたアイデアにたどり着いたとき、進化の種を撒いたような気持ちになったりします。いずれにしてもそうした隙を探すには深淵を歩かなければなりません。

皆さんはどう思うかわかりませんが、僕は世の中は混沌としていると感じるときがあります。自明を疑わずに一見それらしいもので溢れています。とある5歳の物知りの女の子が毎週叱るかのごとく、その混沌を深く考えることなく社会は受け入れているようにも見えます。その上で過去をトレースし、マーケティング的にそれらを利益を減らしてでも販売していく。中心に物が集まり、それらの少し外側にもっと物が集まっている状態。ただ根本的には近しいと判断できる物が群生している混沌としたマーケット構造になっているように感じます。マーケティング用語ではレッドオーシャンと呼ばれたりもします。

数と深淵の関係について③。

逆に人々が思うイメージの集積がない場合、「こういう物だ」と断言できないものをデザインする場合、それらは極めて新しい分野で、馴染みのないものになると思いますが、その際に自分は先ほどのプロセスとは真反対の行動を取ります。つまり、自ら基準軸を探しに行く。この2つの行動は相反するように感じる方も多いかも知れませんが、根本の思想として「デザインで内側から良くする」という内服的なデザインを意図する場合、どちらも実は同じなのです。少なくとも僕はそうした意識でデザインしています。

一見デザインされた物の造形や意匠に一貫性が無いと捉えられがちですが、根本の意識は同じなのです。それは昔ながらのデザイン評価が今もフレームになっていることもひとつの原因となっています。

クリエイターを取り巻く一般の評価軸の問題。

デザイナーに限らずクリエイティブな仕事を生業とする人たちは、良くも悪くもその成果物で評価されてしまう。このように根っこで繋がっていたとしても、表面的なデザインがバラついている場合、作風の一貫性が認められないとして、クリエイターとしての評価を下げられてしまうこともあります。していることは、その文脈に背景に状況に1番相応しいと思うものを具現化したに過ぎませんが、受け手にそこまで伝え切れていないのは伝達フォーマットの更新の必要性を感じさせます。同時にそのギャップが生まれることがが怖くてスタイルを固めるクリエイターもいるかも知れません。名前とスタイルを近似させようと努める人もいるかも知れない。そうした状況も積み重なって結果、表面的にデザインを評価する社会になっているのかも知れない。

イタリアの家具見本市ミラノサローネという所に4度出展したことがあります。その時に日本との違いを痛烈に感じたことは、一般の人から投げかけられる質問や感想が極めて深いことでした。彼らは一般の消費層でありながら、デザイナーの意図などを理解納得するまで聞いた上でそれらに対して批評する。その中には僕自身が日本のデザイナーやデザインメディアにもらったことのないような角度の意見すらありました。あの人はいったい何の仕事をしていた人なのかわかりませんが、尋ねると犬を連れた散歩中の近所のただの老夫婦でした。

「あなたはなぜこの結論に至ったのか。」というある種哲学的とも言える一般層の認識は、そこで活動するデザイナーの思想をより深いものにします。またその問いを学ぶことにより、自らの暮らしを考える一つのヒントにしているのかも知れない。デザインが消費されず、栄養となっているような印象を持ちました。これからのデザインは、暮らしの栄養となるデザイン議論が起こることが必要なのかも知れないという認識が、ミラノサローネから持ち帰った物で一番大きなものでした。

8脚しか生産しないグラスの社会的な役割。

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今回のグラスはたった8脚しか生産されないためにその8脚には、ワイングラスの領域や可能性を拡げる役割が必要で、また同時に中心付近にある「みんながイメージするワイングラス」の素晴らしさを立ち上げる存在であってほしいという気持ちになりました。通常のワイングラスは確かに優れているし、その文脈、歴史から見てもワインを飲む時には本来新しいものはもう必要ないかも知れない。ただそれがすでに当たり前になってきていていて、その尊さは薄れているという危惧があること。

もう一つは深淵の中で、見つけたものをユーザーへの体験として提供できるという役割があること。

深淵で見つけたもの①。

ワイングラスは通常上から、リム、ボウル、ステム、プレート(フット)という四つの部位でできています。飲むワインによってそれらの高さやボウルのサイズ、バランスなどは変わっていきます。ステムは細い軸状になっており、それが見た目の優美さや飲む人の作法を美しくしていることに異論はありませんが、同時にワインを注いだ時に極めてアンバランスな状態になること。これがまず自明を疑って見えてきたことです。つまり持ちやすさよりも優美さが優先されています。家庭で一般的にワインが消費されるようになり、そのグラスにもステムとフットが無いものが増えてきているのが、誰かが自明を疑って変化させたひとつの結論かも知れません。

ワイングラスを客観的に見た時、その特徴はステムとフットにあります。他のガラス製品とのもっとも大きな差が特徴となるのです。ですのでステムやフットを変えることにより上記の問題のクリアの体験をしてもらいたかったということが一つ。

深淵で見つけたもの②。

製造は大阪府和泉市にあるガラス工房フレスコでお願いしました。フレスコさんには過去に5度ほど制作を依頼しました。デザイナーズブローというサービスがあり、こちらがお願いした図案を3時間みっちりクラフトマンが挑戦し続けてくれるというサービスです。そしてそれをリアルタイムで見ることができます。僕の事務所でも新人の研修として採用しようと思ったくらい学びの多いサービスです。

過去に何度もデザインしたものを目の前で作ってもらう中で、客観的にガラスはどのようにすれば美しくなるのかを理解してきました。ガラスは自然物を自然の法則で作る作業です。それに抗えば見た目は悪くなります。

具体的に言えば、垂直軸を持った円筒のデザインをガラスで生産する場合、吹きガラス(宙吹き)という少量生産の為の型を使わない方法では、火ばさみのようなものの側面で回転させながら直線断面に作っていきます。つまり自然の力に反して強制しながら作っていきますが、その代償としてツールマークと呼ばれる線が表面に入ってしまいます。

ガラスは本来どろっとしたものに空気を入れて自然と膨らんで行くものですが、そこにモダンな直線的なラインを入れると表面に筋が入ってしまい結果外観として人によっては良くないと判断される物になっていきます。型を使えばそれらは解決しますが、別の線が入ることと、数が少ない場合は型を作るのは必要以上の投資が多くなってしまうため、通常は選択しないということから、直線断面との相性は極めて悪いという条件がすでに過去の経験からわかっていました。

また目の前でクラフトマンがどろどろに溶けたガラスを炉から取り出し、ぷっと吹いてそれが軸を伝わってガラスが膨らみ始める時、またそれらの行為をした際に自然とできた「張り」がガラスを最も美しく見せる方法であることも過去の経験として理解してきていたので、今回提案した三つはできる限り「手垢のない」ように自然の摂理で完成する形状を目指しました。結果的に別の学びにつながりましたが、以前よりは出来上がったもののガラス素材の魅力は増したように思います。同時に世の中のガラス製品がなぜぷくっとした形が多いかも改めて学んだのでした。

クラフトマンが何度となく行う、基本的な動作の中に最高に美しい瞬間がすでにあったということがもう一つの深淵で見つけたものでした。その基本的かつ最も美しい瞬間を二つくっつけたもの。これに挑戦したくなったということ。

実際には思ったほど簡単なことではなく、かなりフレスコさんには苦労を強いてしまいましたが、さすがの仕上がりになりました。余談ですが、二つの球のうち一つだけグレーになっているものがウェブサイトに掲載されていますが、これはクライアントの意向ではなく僕がやってみたいと思ったので別途制作してもらったもので、これは販売されていません。

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様々な条件を樽に入れて醸す。

デザインは一つの条件をクリアすれば成立するものではなく、今回のようにこれまでの状況や社会背景、意味性、生産方法や素材の魅力の引き出し方など、言い出せばきりがないほど様々な条件と同時に対峙することだと思います。

それらを一つの樽に入れて醸すことで、今回のデザインは成立しています。他のデザインについても要件が一つや二つというシンプルな世界ではないことをデザインに興味がある人には知ってほしい。これらは僕らを苦しめると同時に僕らに光も与えます。全体にバランスをうまくとりながら、その中で様々精査しながら、退くところは退くが、行くところは行く。ということの結果が一つのデザインを生み出していること。

さてここまでのかなりの長文を読んでいただいた方は、改めてこのデザインを見て「8周年だから8の形のワイングラス」に見えるでしょうか。そうでないことを祈りますが、もしそう見えたとしてもそれはこれらの条件を知ったうえでもそちらが立つ、強い魅力なのかも知れませんね。

コロナで思う存分遊べない、窮屈な夏で世間にネガティブな空気がウィルスと比例するように蔓延していますが、その中で飲食業界の人とデザインで何かを成し遂げられたことが何よりうれしいです。来年もどこかのお店と何かしたいなと思える夏のできごとでした。

8(otto) forイル・ソッフィオーネ(大阪市西区)

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