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自分自身の「常識」から逃げ出す

真面目な人が多いです。真面目なのは良いことなんですが、生真面目すぎるとでも言えばよいのでしょうか。そのせいか社会全体に寛容さや遊び心がなく、昔に比べて窮屈に感じることが増えてきたように感じています。

さて、そこにあるのが「常識」です。

以前noteにも書きましたが、僕の仕事人生は逃げることから始まりました。

当時の僕は非常識な人間だと思われていましたし、僕自身もそう思っていました(笑)。

でも、その後、逃げて逃げて必死で逃げているうちに、幸運にもその道が自分の仕事になったという次第で、これが僕の人生です。今となっては、逃げたことで本来の自分らしい生き方ができたと感じていますし、当時の選択に後悔はありません。

社会には様々な常識があります。皆さんも時には「この常識はおかしいんじゃないか」、もっと言えば「こんな常識は嫌だ」「逃げ出したい」と感じること、ありませんか?

僕自身がまさにそうでした。28年前、僕は大学卒業を前にして会社勤めをするのが嫌になり、就職もせず起業するという選択をしました。社会経験が乏しい当時の僕にとって、この判断はもちろん重いものでした。

しかも、決してその判断に信念があったわけではありません。大学を卒業したら就職して会社で働くのが常識だと思い込んでいましたし、そうしようと努力もしていました。ただ、就職活動中、ふっと会社勤めが怖くなり、就職という道から逃げ出しました。

自分で常識だと思っていたことから逃げ出したときは、罪悪感も強く、自分を惨めにも思ったものです。そんな人生を歩み始めた当時は、自分は常識外れの異端児だと思っていました。

ところが、28年経って気がつけば、実は僕も、自分で作った会社ではありますが、その一員となり、あのころ就職活動をしていたような会社と取引をしたりしています。いつの間にか、かつて逃げ出したと思っていた社会の常識の中で生きています。

「あれ? 全然、逃げてないやん。」

西遊記に、孫悟空がお釈迦さまの手のひらから遥か遠くまで逃げたと思っていたら、実はまだ手のひらの上だったというお話がありますが、まさにその通りなんです(笑)。

つまり、社会の常識は、自分で考えている常識よりも、実はけっこう広いということです。あのとき逃げ出したと思っていた常識は、狭い自分の頭の中にある思い込みだったのです。

「社会人の常識」「大人の常識」「会社の常識」…。社会には様々な常識があります。どんな常識でも、それなりに先人たちの経験によって磨かれてきたものですので、常識を踏まえて生きることも大切です。でも、その常識というのは、実は自分の勝手な思い込みによる“狭い”常識かもしれません。

「常識に背く行動は身勝手ではないか?」「周囲に迷惑を掛けるのではないか?」と心配にもなります。ついつい無難に常識の中で生きていこうと思いがちです。でも、安心してください。社会の常識は、自分で考えている常識よりも、けっこう広いのです。

最近、社会が窮屈と感じるのは、みんながみんな、狭い自分の常識の中で生きなくてはいけないと思い込んでいるからかもしれません。もし今、目の前の常識に違和感を感じ、素直に「違う」「嫌だ」と感じるなら、心の赴くままに行動してみましょう。もっと広い常識に気づき、自分や社会にもう少し寛容になれるかもしれません。


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