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【3】着物記者歴30年のライターも驚く「究極のきもの」とは? お蚕さん篇①

「蚕から糸へ、糸から着物へ」プロジェクト!
《私たちのシルクロード》
第3回 お蚕さんを育てる桑畑

お蚕さんから糸を作り、染めて織って着物に仕上げる――この全工程をレポートする「蚕から糸へ、糸から着物へ」プロジェクト。
それは「私たちのシルクロード」でありました。


前回は、このプロジェクトを始めるきっかけをご紹介しましたが、本プロジェクトのストーリーは、主人公・お蚕さん登場の前に、蔭の功労者たる「桑」の出演なしには始まりません。「美味しい桑」をボナペティ!

■「良い繭は良い土から」

お蚕さんは桑の葉だけを食べて成長し、繭を作るので、桑の出来によって繭の量や質がまったく違ってくるのだそうです。そのため、養蚕農家の仕事は育蚕期のお蚕さんのお世話だけでなく、その餌となる桑の葉、ひいては桑の木を育てることが大事になります。

お蚕さんを育てる、前段階としての桑の育成。

花井雅美さんが管理する蚕室の周囲や裏山には、桑の木が約5000本植えられています。
これを1回の育蚕でお蚕さんたちが食べ尽くすので、1年に2回「熟桑」(じゅくそう)をお蚕さんに提供できるよう世話をするのです。

桑の木が育つ要因は3つ。「太陽」と「雨」そして「土」なのだそうです。
「太陽」と「雨」は天の恵みで人知が及びませんが、「土」だけは人間が手を掛けることができます。

春の育蚕が終わると、桑の木は根元まですべて伐採します。春に残った葉の残りは秋には使えません。次に行う秋の育蚕にちょうど良い葉質にするために、急いで伐採するのです。←これ、聞いたままさらっと書いてしまったけど、すごい大変なことのような・・・・・・。

秋の育蚕後は、腰の高さまで揃えます。伐採もすべて花井さんひとりの作業で、日々少しずつ進めます。伐採した枝は、放置しておくと虫が付くので、すぐに燃やします。燃やした灰は桑畑に撒きます。

⑰堆肥

その後、堆肥や石灰の散布を行います。それも1回だけでなく追肥もして土壌作りに手間をかけます。上の写真は、冬期に18トンもの堆肥を桑畑に施す花井さん。下の写真は冬の桑畑。

10.桑畑 冬

そうして桑の葉が芽吹いてくると「うれしく、いとおしい」と思う花井さん。下の写真は、春の桑畑。だいぶ成長してきました。

7.桑畑 春

この桑畑に生育する、伸びやかな桑の葉を見たとき、吉田美保子さんは「ああ、この葉っぱを食べて育ったお蚕さんなら大丈夫だ。極上のいい糸を吐いてくれる」と確信したそうです。

夏場には桑畑の草刈りも。刈払い機と手作業の併用です。「鎌を使って根こそぎバリバリと刈るのは大好き」だそうですが、熱中症や腰痛との闘いでもあります。下の写真は夏の桑畑。

8.桑畑 夏


草刈りは端から行うと、終わった頃には最初のところがもう「草ボウボウ」となり、夏の畑仕事はやってもやっても終わりが来ることはありません。気が遠くなりそうです。
そんなとき、花井さんはどうするか?

「心が折れそうなときは、育蚕のイメージを頭いっぱいに浮かべます。お蚕さんが良質で潤沢の桑をはむ姿。そうやって、どっこらしょっと重い腰を上げるのです」(花井さんのブログ2017年8月12日)

「これってすごくない?」というのが私の第一印象です。
私も可愛い我が子に良いものを食べさせたいとは思うけど、自分で畑を耕して野菜を作ったり、鶏を飼って鶏たちに良質な餌を食べさせたり、やったことありません。
せいぜい新鮮な旬の野菜を買ってきて手作り料理をする程度。

しかもお蚕さんたちがモリモリと食べてくれるさまを思えば、炎天下の草刈りも頑張れるなんて・・・・・・。

繭という恩恵をいただく人間として、お蚕さんに対して精一杯務めるのが農家の責任」と考える花井さん。
「散らかった頭を整理するのに草むしりはてきめん」と、日々の労働を前向きなパワーに変えて頑張る花井さん。

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「誰か文科省か文化庁の人を連れてきて! こういう人を総理大臣顕彰するべきでしょ! なんなら教科書に載せてもいいわよ!」
と思わず叫びそうになりますが、花井さんの喜びはそこじゃないよね。

ひとりで黙々と桑畑を管理する花井さんは、いたって謙虚。
「自然の摂理には逆らえないけれど、日々畑で過ごしていると自然の営みやサイクル、そしてそれによって生かされている人間。少し忘れかけていた当たり前のことをいろいろ思い出し、大地の恵みや人や物への感謝の気持ちがふつふつと湧いてくる」のだそうです。彼女のブログに書いてありました。

それは、彼女本来の人柄の良さによるものだけではないみたい。
「自然と向き合う仕事を始めてから、目に見えるすべての見方と感じ方が少しずつ変わってきている」のですって。
「食べ物、生きもの、大地、人間、全ての物事に感謝すると同時に、自分の小ささや非力を実感」する花井さん。

高山長五郎という、全国標準となった「清温育」の飼育法を確立し、養蚕に多大な貢献をした明治時代の養蚕家は「桑の根に魂はとどめて枯にけり」という句を残して亡くなったそうです。どうやら桑は養蚕をする人にとって、人生の根幹をなすものであるようです。

知らない人にも「ありがとう」

そうして育蚕の時期が近づくと、蚕室や使用道具をピカピカに整えます。
準備万端で育蚕の時期を迎えるにあたり、うれしさと緊張で震える思いを、かつてのブログでこう記しています。

「やりたいことを挑戦することを許してもらえるいまの環境に、ただひたすら感謝です。私一人の力ではどうすることもできません。今は感謝、ありがとうが全身からダダ漏れ状態で、道行く人全員の手を取り『ありがとう』『ありがとう』と言いたい気分です」(花井さんのブログ2017年3月17日)

③蚕台

上の写真は、お蚕さんを迎える準備を整えた蚕室。この蚕室は稚蚕(ちさん)飼育を終え、脱皮を3回終えた後の「4令」から使用します。

密着取材をしない理由

そんな花井さんの2020年晩秋蚕の飼育は9月1日から始まりました。
私は、連日通って取材するつもりでした。
実際に見聞きしたものでしか記事にはできない、というのがライターの基本姿勢だからです。
しかし、それを断念しました。

花井さんからのメール(一部)
「養蚕(特に稚蚕飼育所)は、基本的に見学など他者が立ち入ることはありません。理由は、自然界の菌やウィルスなど外部からの持ち込みを防ぐ為です。特に稚蚕期は(孵化~3令)まではとてもデリケートで病気になりやすく、道具や蚕具・蚕室・建物内などの消毒を徹底し、飼育者も気を付けています。(略)5令期(終令)頃になるとお蚕さんの体もだいぶ強くなるので、大丈夫かなとも思うのですが、この時期は育蚕の中でも忙しくなる時期でもあり、私の中での一番の理由が、育蚕期は気持ちが張り詰め、少しピリピリと神経質になっていて、他者を受け入れる心の余裕が全くないということです。」(2020年8月18日)

この10倍以上もの言葉を費やして花井さんが丁寧に説明してくださった中から、大事な2文だけ抜き出しました。それまでの花井さんとの会話から予期できたことですが、かえって気を遣った返事をいただいてしまいました。

つまりお蚕さんに全神経を集中したいということです。前述の「繭という恩恵をいただく人間として、お蚕さんに対して精一杯務めるのが農家の責任」という姿勢が、まったくぶれず、私はまたしても感動してしまうのでした。

下の写真は、秋の育蚕を迎える準備として、蚕室を消毒する花井さん。

⑤蚕室消毒

花井さんのメールに対する安達の返事の一部。
「それこそ昔話の『鶴の恩返し』でも、『見てはいけない』領域がありましたね。あれって、鶴という人間でない姿形を隠すためというより、人の身を守る衣服を作るために他の生き物の命を頂戴して制作するような尊い仕事は、神に仕えるがごとく、誰も立ち入らせることなく集中して取りかかるように、という意味なのではないかと思っています。染織作家の方でも、『織る姿は撮らないで』という方がいらっしゃいます。今の時代、カメラがあらゆるところに入り込んで私もその一端で仕事をしているわけですが、横で写真を撮られていては真剣勝負な仕事は難しくなりますよね。他人が立ち入ってはダメな場合もある、承知しました。」(2020年8月18日)

と、いうことで、ここでご紹介する花井さんの育蚕は、花井さんから提供していただいた写真で構成します。
ついでにいえば、コロナ禍の今、次のプロセスである製糸や染織も、ご本人から提供された写真でお伝えします。

いよいよ次回からお蚕さんを育てるプロセスに入ります。

ふうっ、やっとだね!(←私がおしゃべりし過ぎなだけ)


*まさか桑の話だけで、その桑だけを食べたお蚕さんの絹糸で作られた着物を買おうなんて奇特な方はいらっしゃらない気がしますが、定番の形式として・・・・・・                                    ↓ ↓ ↓
本プロジェクトで制作する作品の問い合わせは、以下の「染織吉田」サイト内「お問い合わせとご相談」からお願いします。



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