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【2】着物記者歴30年のライターも驚く「究極のきもの」とは?  出会い篇

「蚕から糸へ、糸から着物へ」プロジェクト!
《私たちのシルクロード》
第2回 プロローグ「出会い」

お蚕さんから糸を作り、染めて織って着物に仕上げる――この全工程をレポートする「蚕から糸へ、糸から着物へ」プロジェクト。
それは「私たちのシルクロード」でありました。
前回は「ご挨拶篇」として、この企画の概要をお伝えしましたが、第2回は、このプロジェクトが始まったきっかけを語ります。

■コロナ禍の夏、吉田美保子さんに誘われて
2020年、世間はコロナ禍で外出自粛が叫ばれ、会いたい人に会えない、そんな苦しい状況が春から続いていました。初夏を迎えて、一時人の移動が少し許された頃、出会いがありました。

神奈川県で染織に従事する吉田美保子さんが、7月に帰省で熊本に戻られるとのこと。せっかくの帰省だから、熊本在住で友人である安達絵里子(私)に会おうかとメールで連絡をくれました。そして、以前会ったことがある養蚕農家の花井雅美さんを訪ねてみようと誘ってくれたのが、すべての始まりでした。

そもそも、吉田美保子さんと私が出会ったのは2009年、人気呉服店「銀座もとじ」で吉田さんが個展を開催されたときのこと。吉田さんの知人で、私の着物友達でもある染織作家さんが個展を見るようにと薦めてくださったのでした。
銀座の一等地に展示された作品たちは、「こんな着物や帯を着たら楽しいだろうな」と、さりげなくも詩心のある都会的な洗練に満ちていました。

話してみれば、吉田美保子さんと私は同い年。気も合って、折りに触れて食事をしておしゃべりし、彼女の作風に惚れ込んだ私は、着物(しかも完全フルオーダーの誂えで)https://www.fujingaho.jp/uts-kimono/essay/a63287/adachieriko-kimonokurashi18-20181024/や帯、バッグ、ショール、タブロー(額)など次々と手に入れていました。

吉田 安達

2016年、熊本の人気呉服店、「きものサロン和の國」で行われた吉田美保子さんの個展にて。左の吉田さんも、右の安達絵里子も、2人とも吉田さんが染織された着物を着ています。吉田さんが締めている帯も吉田さんの自作。

やっと結ばれたご縁

そんな吉田美保子さんから「山鹿(やまが)の養蚕農家さんを訪ねるから一緒に行かない?」と誘われたのが昨年2020年の夏。
「山鹿の養蚕農家さん」のことは、私も地元のフリーペーパーに掲載された数年前の記事を切り抜いていたので、存在だけは存じ上げていました。また同じ頃に吉田さんが個展をしたとき来場され、挨拶だけさせていただいたことがありました。でも、そんなささいなご縁だけで数年が経っていました。

吉田さんと、養蚕農家の花井雅美さんが出会ったのは、やはり前述の「地元のフリーペーパー」がきっかけだったといいます。それに感動した熊本出身の着つけ師Fさんが「絶対この人に会って!」と薦めてくれたそうです。強力なツテはなく、このような話はいつのまにかスルーしてしまうことが多いという吉田さんですが、何かの力が働いたのか、連絡を取り、花井さんが東京に行ったときにじっくり話し「この人、半端ない、すご過ぎ」とノックアウトされたそうです。「いつかもう一度」との思いが、今回の訪問に繋がりました。

そして運命?の2020年7月3日。小糠雨の降る情緒深い午後に、山鹿市で花井雅美さんが営む「お蚕ファーム」を訪れたのでした。
この日のことは、私だけでなく、きっと吉田美保子さんも一生忘れられない日になったと思います。

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左が花井雅美さん、右が吉田美保子さん

■すごいぞ、花井雅美さん

山鹿市は熊本県北部にあり、良質な「温泉」や、紙製の金灯籠を頭に掲げて舞う姿が幻想的な「山鹿灯籠まつり」、国指定重要無形文化財の芝居小屋「八千代座」で知られますが、古くから養蚕で栄えた地でもありました。

花井雅美さんが住んでいるのは養蚕が盛んだった大正時代に建てられた風情のある古民家で、「熊本県蚕糸振興協力会」から提供されたといいます。この日のことは、婦人画報公式サイトに連載中の「安達絵里子の着物問わず語り」に書きましたので、よろしければご参照ください。

https://www.fujingaho.jp/uts-kimono/essay/g33457106/adachieriko-kimonotowazugatari-09-200805/

テイクアウトしたランチをいただきながら、私たちは花井さんを質問攻めにしました。
だって、現在熊本で昔ながらの養蚕農家をやっているのは、花井さんを含めてたったの2軒。もう1軒は70代の大ベテランで、花井さんはこの道に入って10年ほどの若手です。
養蚕農家に生まれたわけでもない花井さんが、どうしてお蚕さんを育てたいと思ったのか。1年のうち、お蚕さんに相対するのはのべ3ヶ月くらい。その他の月日は、お蚕さんが食べる桑を育成するために桑畑の管理に従事します。これって相当大変じゃない? 写真は夏の桑畑です。

8.桑畑 夏

その経緯は簡単に書きますが、ご両親が山鹿市に移り住んだのをきっかけに山鹿を訪れた花井さんは、この土地が養蚕で栄えたことを知ったそうです。最盛期の昭和初期、熊本県の養蚕農家は7万軒に及び、数多くの製糸工場があり、西日本一の規模だったといいます。調べてみると、お蚕さんの神秘的で不思議な生態、工夫を重ねて伝えられる養蚕の技術に心を動かされて、「養蚕農家になりたい」と思ったそうです。

でも、普通、おいそれと見知らぬ土地でやったこともない農家になる?
近い将来に絶えてしまうかもしれない、手作業で行われる養蚕技術。
科学の時代に、こんなことを言うのはためらわれるけど、私は、花井さんに「神の意思」なるものを感じました。
お蚕さんの神様が花井さんを選んだ、と。

なぜそう思うか?
それを次回から13回ほどかけて花井さんの養蚕をご紹介することで答えとしたいと思います。
でも、ここで答えのひとつをお話ししましょう。
花井さんがとても幸せそうに養蚕の仕事を語るからです。

日に焼けて、無駄な肉のない引き締まったお顔付きの花井さんがふっくらと笑うと、後光が差すように思われました。
「人って、美しい。こんな美しい人に、私は今まで会ったことがあっただろうか
そんな敬虔な思いに打たれて、私は尊いものを見るように花井さんを見つめていました。吉田美保子さんも、きっと同じ思いだったでしょう。

「妄想」を「現実」に
そんな花井さんが言うのです。
「群馬の製糸工場に出荷する繭とは別に、昔から地元の組合の方々が繭を買ってくださり、繭人形を作ったり、ショールを織ったりして使ってくださいます。とてもありがたいことです。そして、たまに妄想することもあるんです。私が育てた繭が、吉田さんが織られた着物になって見ることができたら、どんなにうれしいだろうって。」  

25.織り機

         (写真は花井さんの織機) 

え? 妄想?
それって、実現したら、面白いのでは?

そんな思いがよぎります。
吉田さんも、染織作家として国産の紬糸を手に入れて制作されていますから、願ってもない話なのではないでしょうか。

絹糸を供してくれるお蚕さんを育てる花井さんと、絹糸を使って染織する吉田さんと、絹の着物を着て、その魅力を書籍や雑誌を通して伝える私。
「絹が共通する縁で、何か面白いお話でも」と思っての集いでしたが、思いがけず「仕事」の話になってきました。

「仕事にしましょう。仕事にすれば密に連絡を取れるから」と吉田さん。
「わあ、今まで妄想だったことが、現実になるなんて」と感慨無量の花井さん。
「早く梅雨が明けてほしい! 農作業を頑張りたくて仕方がない」と意欲満々です。
どこまで純粋な方なのかしらと、なぜかほろりとなる私。

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中島愛さんの登場
プロジェクトの発想を得た2020年7月3日から間を置かずに、吉田美保子さんは花井雅美さんと私に中島愛さんの存在を知らせてくれました。

中島愛さんは、2015年に吉田さんが東京で個展を開いたときに訪ねてくれて出会ったそうです。座繰り糸を引いているとのことで、もらったサンプル糸はとても良かったけれど、手作業で糸を引く座繰り糸は高価なので取り引きするまでには至らなかったとか。

今回の話が出て中島さんに連絡を取ったところ、現在は繭の入手が困難で、入手できても高価で手が出ず、今は友禅染や服作りをやっていると返事があったそうです。国産の繭を生産する養蚕農家はたいてい国からの補助金を得ており、大部分の流通ルートが決まっていて、個人ではなかなか良質な繭が手に入らないのです。花井さんの繭の話を聞いて、俄然興味を示してくれたとのこと。

20201104吉田さんと中島さん

話はトントン拍子に進みました。吉田さんが話を取りまとめて、2020年9月に行う秋の育蚕で、花井さんが自身で買い取れる分量、5㎏の繭を中島さんに送って製糸してもらい、それを吉田さんが染織して着物を作るということになりました。つまりは吉田さんの人脈のなせる技なのですよ! 写真は2020年11月に吉田さんが企画&出品した二人展での吉田美保子さん(左)と中島愛さん(右)。

この出会いが、着物記者歴30年、毎日着物を着て16年の私が培ってきた「きもの哲学」を根本から揺り動かすことになろうとは、このときまだ分かっていませんでした。

さあ、いよいよプロジェクトの始動です。
次回は4月8日(木)にお会いしましょう。

*本プロジェクトで制作する作品の問い合わせは、以下の「染織吉田」サイト内「お問い合わせとご相談」からお願いします。



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