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領域展開

トロントに来て5ヶ月が過ぎた。 

遅延した電車のアナウンスも、
街で見かけるカップルの喧嘩も、
ふとマックのポテトが食べたくなった時も、
ベッドから聞こえる窓の外の喧騒も、
全部が馴染みの無い言語によって行われる。

そんな環境下の僕の英語力は相変わらずで、
オンライン英会話に登録してしまおうか、
なんて本末転倒な考えすら頭を過ぎる。

ただ唯一、海外に染まったなあと思う事がある。


幽霊の存在に疎くなった事だ。


薄暗い所で感じるあの奇妙な居心地の悪さや、
誰かに見られてるような根拠の無い感覚はまるで無い。
日本に居た時は、
単なる暗闇への本能的な畏怖とは違う、
目に見えない何かにいつも怯えていた。


はっきり言って僕はビビりだ。
シャワーを浴びる時はなるべく目を開けるようにするし、禍々しさ漂う夜の神社には入らないと決めている。
1人で家にいる時に恐怖心を抱けば、
ち◯こを出して場を和ます。
心霊スポットに行く奴とは友達にもなりたくない。

そんな僕がこの国で怖いと感じる事と言えば、
急に英語で話しかけられる事くらいだ。
それくらいこの国に来てから何も感じないというのは、言語の違いという事以上に、日本特有の神秘的な存在を僕は信じていたからかもしれない。

日本人は無信仰者が多いなんて嘘である。
神様、霊魂、祈願、成仏、祟り…
どんな国よりもスピリチュアルなモノと良くも悪くも密接な社会の中で暮らしている。
そんな国に何年も生活していたら、
無意識のうちにそういった類に敏感になってしまう。

考えてみたら、
日本人は目に見えない存在を呪力や怨念というモノと結びつけがちな気がする。
それを象徴するように、鬼滅の刃、チェンソーマン、呪術廻戦などのような、念や呪いをテーマにした漫画やアニメがヒットしている。

『呪術廻戦』は特にそれが顕著な作品だ。
呪霊という、人間から湧き出る怨念や負の感情が具現化した怪物が人間を襲う、という設定で、
人の負の感情が強い程より強い呪霊が生まれる。
何故か呪力という負の念を力の源にして術師(主人公たち)がその呪霊を祓うのだが、
そんな王道バトル漫画で最も盛り上がる瞬間が、
呪力を使ってある一定の空間に心の中を具現化する「領域展開」という必殺技が放たれた時だ。

この漫画を読んでいていつも思う事がある。
フィクションとは言え、どこか現実的であると。
魂を供養する祠や慰霊碑や神社が多いのは日本人が怖がりなのか、はたまた執念深いからなのか、そんな事を思うと同時に、
つくづく人間の負の感情というのは強く残ってしまうんじゃないかと嫌になる。
そもそも正の感情はこの世に残存せず、成仏という言葉通り、ゼロになって残らないのだろうか。

鬱病、いじめ、嫉妬、自殺…
単なる昔話では無く、
現代社会が直面する深い闇として色んな統計が裏付ける負の感情もまた、同じようにこれからも強く残るのかと考えると、僕は見えないモノへの恐怖心からいつまでも抜け出せないんじゃないかと憂いてしまう。


数日前。

最近一緒に朝活を始めた友人とカフェでコーヒーを飲みながら、
今年は夏らしい事はしなかったという話になった。

「夏といえば怖い話だね」

僕がそう言うと、

「私怖い話いっぱい持ってるよ」

と彼女は自慢げに頼んでもない怪談を語り始めた。

彼女には、兄と姉がいて、
兄には若干の霊感があるという。

そんな兄がある日、不思議な夢を見た。

夢の中で3人の子どもたちが手を繋いで遊んでいる。
そのうち2人はよく知っている子たちで、
姉の息子と娘、
つまりは彼にとっての甥と姪だ。
ただその2人の間で手を繋いでいる少年だけは、
見た事が無かった。
誰かは分からなかったが、
彼が夢から覚めた時、
何故か彼の目から涙が溢れていた。
何の涙かも分からぬまま彼は仕事へと向かった。
仕事の間、ふと夢の事を思い出しまた涙が溢れ落ちそうになった。
どうしても気になって彼は姉にその話をした。


姉は込み上げる感情を抑えられなかった。
「やっぱり、そんな気がした」
男の子だということはなんとなく分かっていたようで、ずっと話していなかった話を彼にした。
彼が見たものは、
もう1人の家族との繋がりだった事を知り、
また涙が止まらなかった。
そしてこの話を聞いた彼女も。



産まれて来れなかったけど、今までも、これからも、
家族になれてずっと幸せだよ。

そう伝えたかったんだと、
何の繋がりも無い僕ですら、感じられずには居られなかった。

そして、
目に見え無い存在に対する僕の怖さの根源を忘れさせてくれる程に、
温かい気持ちになれた。

「もう私も皆もめっちゃ号泣してさー」
「あれ、怖い話じゃなかったっけ?」


彼女にかかれば……いや。
この家族にかかれば、
怖い話ですら優しい気持ちにさせてしまう、
そんな領域展開を放ってしまうのだと、 
半径1メートルの世界が一瞬平和になった。



それからカフェを出て直ぐの事だった。 

彼女の職場に向かって歩いていると、
一羽の鳩が僕らの前に飛んで来て、
彼女のすぐ足元まで寄ってきた。
彼女は顔をしかめながらしっしっと手で"払い"、
鳩は逃げるように飛び立った。

「あいつ嫌いなんだよ」

彼女は平和の象徴に容赦なく領域展開。

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