見出し画像

【まんが少年日々記】44話 こーろを割るとたにぶら~になるど~【コラム】

近所に、まいつばうたき(真乙姥御嶽)があった。
巨木や灌木がおいしげり、毎年豊年祭りがとりおこなわれた。
低い塀に囲まれた広場には白砂が敷かれた神聖な場所だ。
今じゃ、綺麗さっぱり味気ない光景に変貌させられた感がある。
検索するといい。この文章から想起する空気感が薄い。

なに「風情って様変わりするのよ。どこの田舎もそうよ」ってか。
そうね。住まうはやがて発展的になるか過疎化になるかの背中合せだからね。

神聖な場所も子どもたちにとっては、広場同然の遊び場だったのよ。
蝉の幼虫探し、あこう木やがじゅまるの木登り、広場でのゴムボールでの野球。
だむねふうやー(ビーだま遊び)、パッチン(めんこ)など、境内でよく遊んた。
森羅万象、皆遊びの元で遊び道具だった事ははまちがいない。

まいつばうたきの隣に我母校の石垣中学校がある。
そこの不良たちが茂る木陰で隠れて、も〜や〜(煙草)を吸っていた。
たまに、広場で不良おじーたちが金銭を賭けて、たうちーのおおらさー(シャモの闘鶏)をしたりして見いったものだ。
血だらけのたうちー(シャモ)が怖かったな〜。
平日の朝とお昼には、おばーや姐さんが日傘をさして低い囲い塀に座って、沖缶(パイン工場)のバスを待ちながら世間話にほがらかに笑っていた。

沖縄の人々の営みにウガン(御嶽)は密接に関わっている。
現代のようなデジタル情報化社会全盛であっても、年間祭事や豊年豊作の祈願の拝所としての役割を持たされている。
おじーや、おばーは、子どもたちや青年たちに、土地の随所にあるウガン(御嶽)に祀られた神さまの伝承を語り、とてもありがたい事なんだぞと畏敬の念を育ませている。
かとおもえば、真逆な恐ろしい祟り話を饒舌に語り、子どもたちや青年たちを青ざめさせたりもする。

そうした伝承話しは、拝所の尊厳と存続に一役かっている。
が、風習や因習、生活風俗も日進月歩の時代に薄れて消えていく昨今。
情報の少ない時代に残っていた伝承口伝も、やがては消滅する事だろう。  
方言とよばれる言葉や町のスラングもしかり。
過去って書こうにも忘れ事多しで、じじーも地団駄。

ふ〜。シメが寂しいな〜。

神聖な場所のお話には神々しいシメが必要ではないか。
しんせいのしに濁点をつけると、人生と読る。

なに「語呂遊びで、神の場所を冒涜するんじゃねー」ってか
タバコの銘柄にだって過去には「しんせい」ってあったのよ〜。

神や仏って寛大なのよ。
騒がしい世の中のずーっと端っこで、こうしてのたまうじじーを大目に観て下さるって。
やや書きすぎてしまった。
お付き合いなすって感謝。拝。




【標準語版】は こちら
【方言・スラング版】は こちら

次の更新は 45話の標準語版 です。

初めて読む方へ → まんが少年日々記について

ブログにも掲載してます。他の漫画もあるので良かったらみてなー( ´ ▽ ` )

この記事が参加している募集

#スキしてみて

527,285件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?