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今を精一杯生きる子どもたち


この文は、2011年、震災を機に東京・渋谷区から神奈川県の海辺の町、葉山へ移住して少し経った頃に書いた日記です。

かなり前の文章なので拙いですが、当時のまま載せます。



***



ちょっと前から、あるご縁で近くの保育所でお手伝いをさせて頂いている。


保育をする、

というより、大勢の子供たちとずっと一緒に過ごすことさえも初めて。

おむつを変えることも、抱っこするのもほぼ初めて。

でも、楽しい。

その保育所はご飯も玄米菜食。

おやつがオニギリだったりする。

とても、勉強になる。



子供たちは「今」を精一杯生きていた。

自分に正直に、好きか嫌いか、したいかしたくないか、それだけで生きていた。

「今」という時間軸、それだけしかないのだ。

大人になった僕が遥か遠い昔に置いてきてしまったような大切なものを

子供たちは全部持っていた。

子供たちと遊んでいると、
かたくなっていた心がほどけていくような、そんな気分になる。


大人になるって、いったいどういうことだろう。


虫をとってぎゃーぎゃー騒いだり、

高いところから思いきり川に飛び込んだり、

自分のしたいことを一生懸命したり、


子供の頃、一番大切だった宝物を全部置いて、人は大人になっていく。

あんな頃もあったね、こんな頃もあったね、
あの頃は何も考えなくてよかったね。

そうやって、人は大人になっていく。


でも、大人になるって、いったいどういうことなんだろう。



先日、保育所のお庭にひまわりが咲いた。

僕よりも高く伸びた茎の一番先に、太陽みたいに黄色く咲いていた。

震災後に植えたひまわりなんだそう。
ひまわりは放射能の土壌汚染から守ってくれると言われている。


子供たちは覚えたての言葉で、開花した事を一生懸命僕に伝えてくれた。

「咲いた〜!」と朝からずっと大喜びしていた。



きっと僕たちは、ある時全てを切り替え「大人」になる。

「大人」になった時点で、人は「今」ではなく「未来」を生きるようになる。

大人になるって、たぶんそういうことなんじゃないかと思う。
今この時ではなく、まだ来ていない「未来」のために生きる。

でも、大切なものを全部置いて、「待っているであろう」未来に向かって
走って走って、ひたすら走ってたどり着いたその先には、

いったいどんな世界が待っていたのだろう。

連日の暑さですこしうなだれたひまわりは

なんだか儚げで、とてもキレイだった。



ひまわりが咲いたことも、

ちょっとうなだれたひまわりがきれいだったことも

走っていては見ることも感じることもできない。


ちょっと歩いてみる。

周りの景色を改めて見てみる。

「今」を精一杯生きるって、
もしかしたらそういう事なのかもしれない。

たったそれだけで、世界はきっと変わっていくのだろうと僕は思う。


子供達と出会えて、とても良かった。


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2011年撮影



2011. Sep
Photo & Writing by kai



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