日本で扱う数字の面倒くささ

日本で扱う独特で面倒な数字たち。

例えば時間は日常的に24時制が表示され、それを12時制で読むという高度な言語技術を持っている人がいたりする。ぼくは何となくミリタリータイムというものを日常で使うことに抵抗があるため、設定可能な場面では12時制を表示している。何となくという中身には方角を表すために存在するミリタリータイムは武力を行使する軍人たちに由来しているからというものがあるのだが、武力からなる様々なものを否定すると、おそらく呼吸することも困難になってしまうので、何となくにしている。まあ、呼吸も停まってくれて構わないのだが。

24時制の表示を12時制で読むことが高度な技術であると述べたが、ぼくはそれが苦手だ。そして、同時に使うことも苦手だ。例えば午後3時に医療機関の予約が入っている場合、診察券には大抵15時と書かれている。診察券ではAM・PMを書く欄を省略するために24時制表記を採用しているのだろうが、ぼくに言わせてみれば、15時であることから5時かどうか迷うし、3時と記憶していることから13時かどうか迷ってしまう。都度、診察券を見るという無駄な時間が生まれる。カレンダーに記載しておいても、それは診察券を見ながら記載したものなので、一次情報である診察券に目を通さずにはいられないのだ。

次に、西暦と元号。
これは本当に面倒というか、脳みその長期記憶領域を無駄に消費するので、本当にやめてほしい。元号付きの年が存在していることは構わないし、象徴天皇の存在を国民が認識するという意味で大切だと思うが、日常で使う場合は全て西暦に統一してほしい。自分が生まれた年を西暦と元号で覚えてしまうのは、本当に無駄だと思う。

最後に、お金などでよく使う、3桁区切りのカンマと、日本独特の数え方でもある4桁区切り。これは古来からの言語依存になってしまうので今さら変えるのも難しいが、3桁区切りに慣れるのに多少の時間を要してしまうのは、日本が一十百千という4桁区切りに慣れてしまっているからだと思う。

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