Kai

生きるのは下手だけど、生きてやる

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生きるのは下手だけど、生きてやる

最近の記事

ガッツだぜ

あ、ウルフルズのあの曲のような熱血の話ではないです。 自転車という足を手に入れてから、15年ぶりにテニスを始めた。 とは言え、一緒にプレイする人もいないので、一人で壁を相手に体力を消費している。 ジュニア時代にテニスに打ち込んでいた以上に今の方が道具に負荷がかかるくらい張り切っている。 テニスやバドミントンなどのいわゆる"ガット"を張るラケット競技に使われるそのガットの素材の話です。 自分は2本のラケットを使っていて、片方にはナイロン素材のガット、もう片方にはポリエス

    • 音ニモマケズ

      昨年末に自転車を買った。 一目惚れしたドロップハンドルのミニベロだ。 ミニベロとは小径車と呼ばれるタイヤ直径が20インチ前後のかわいらしい自転車。 巷で流行っているシェアサイクル的な自転車もミニベロと呼べると思う。 この自転車で5年ぶりに自分の足で外に出た。 外に出るのが怖くなってから、時間がかかったような一瞬のような。 今でも怖い。 でも、自転車があれば怖い瞬間も一瞬で過ぎ去る…はずだ。 毎日20kmくらいは走っていると思う。 雨には負けるので雨の日は走らない。 出か

      • 罪を犯していないだけの悪人

        人間の多くは「罪を犯していないだけの悪人」だと思う。 憎しみや苦しみは常に伴い、それに対する復讐心だって沸る。 でも、復讐というのは何らかの形で相手を傷つけ、相手がそれを「復讐に相当し自分は復讐されるべきだ」と認識していない限りは、次の憎しみを生むだけだ。次の憎しみを生まないために、誰かがどこかで復讐を思いとどまらなければならない。 思いとどまれたところで、その人は死ぬまで永遠に苦しみ続けるのだろう。 でも、何かの箍が外れてしまえば、一瞬くらい楽になれるかもしれない。

        • 自分のためだけに生きるのは難しい

          誰かのために生きてみたいのに自分のことで精一杯で、自分のためだけに生きてても素直に喜んで元気に過ごせる瞬間に対して、絶望感の方が深い。 それでも生きなきゃ。

        ガッツだぜ

          間違えてもいいんだよ

          いっぱい言われて、いっぱい言ってきた気がする。 「間違えてもいいんだよ」 って。 勉強する意味もわからないまま、大人から「何度でも間違えていいし、わからなかったら聞いて良い」と言われたし、誰かに勉強を教える立場になった時もそう言いながら教えていた。 勉強する意味は時間をかけて少しずつ理解していくものだと思うので、勉強する意味がわからない状況で間違えてもいいと言われても、そもそも何が間違いで、わからないことなのかさえ説明できなかったりする。 だから「間違えてもいい」と言っ

          間違えてもいいんだよ

          うすっぺらいポエム

          生きることに必要性などないけれど、それでも命あるうちはとりあえず最期まで生きると決めてみた。 最期がいつどのように来るのか知らないけど、最期まで。 すごくうすっぺらい言葉に感じるけど、うすっぺらくても良いや。 うすっぺらいと思える程度の世界じゃなきゃ、寄り道するとこも、休憩するとこも、ちょっぴりでこぼこしてそうなとこも作れそうにない。 寄り道した先に、ぼくを迎えてくれる何かがいると良いな… 何なら、一緒に寄り道するところをつくろうよ。

          うすっぺらいポエム

          あれからのことと、これからのこと

          とてもとても、久々にnoteを書く。 色々なところの仕様が変わって、ヘンな表示になってたらごめんなさい。 最後にnoteを書いてから、世界も色々と大きく変わった。 COVID-19、世界一広大な領土を持つ国による戦争、日本の政治家の暗殺や未遂。 ぼくが世界に絶望して、何もしたくなくなった時の総理大臣は暗殺されてしまった。正直、就任直後からいずれはそうなるだろうなと思っていた。その人の政策や国づくりへの態度の全てが好きというわけでも、嫌いというわけでもないが、敵はいっぱい作

          あれからのことと、これからのこと

          不可解なシャイニングの点を結ぶドクタースリープ

          平成生まれで20代の僕でも映画 SHINING(1980)くらいは観た。これはゆとり世代にありがちな読解能力の低下によるものかもしれないが、正直、シャイニングを何度観ても、結局理解不能な点が数多く残り、ホラーとしての恐怖感もほとんどなかった。読解能力の低下である可能性を排除できるとすれば、年代によって恐怖を与える手法も少しずつ異なってくるだろうから、80年代のホラー映画が90年代に生まれた僕には恐怖に相当しなかっただけとも言えそうだ。 本題に移る前に、SHININGで恐怖を

          不可解なシャイニングの点を結ぶドクタースリープ

          ハードルを下げる

          「自分は生きる必要があるのか」 すべては11歳の頃の自分が持ったこの疑問から始まった。 あれから15年以上が過ぎ、その途中で様々な回答を用意し続けてきたが、現状ではこう答える。 「すべての生き物に、生きる必要などは、ない」 あらゆる有機生命体は地球上のエネルギー循環の一部として生まれて死んでいく。 それだけの話なので、いつ、だれが、どのように、生まれて死んでいっても、すべてのエネルギーは保存されて、何も問題はない。仮にエネルギーが一部欠落などしてしまい保存則が成り立たな

          ハードルを下げる

          某SNSのフォロワーが一人、別の世界に行くことを望んで旅立っていった。素敵な場所に辿り着けていると良いなあ。

          某SNSのフォロワーが一人、別の世界に行くことを望んで旅立っていった。素敵な場所に辿り着けていると良いなあ。

          自分との再会

          ある程度は薬の力にも頼りながら自分を圧し殺して静かに過ごした1年。減薬を試みる中で、幼い頃の自分が見ていた世界に潜む恐怖や不安の原因が、より誇張されて見えるようになっていた。改めて、社会に適合したヒトに擬態していた過去の自分を褒めたくなる。えらい。一方で、無理してまで擬態していたことは、褒められたことじゃあないなあ。 しかし、もう擬態することに体力も気力も使わなくて良い。恐怖からは、まずはとにかく逃げること。それが、生物として、自己の生命を守ることに最も優れた状態だと思

          自分との再会

          ぼく、とてもよくがんばっったよ。

          ぼく、とてもよくがんばっったよ。

          人の命の誕生を無条件には容認できない

          親から虐待を受け続け、自尊心や愛着心を育めなかった子ども。 学校でいじめられ、社会で自分の居場所を失った子ども。 自分の性自認と、生まれた時に判断された性別に違和感を覚え、自分を見失った子ども。

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          人の命の誕生を無条件には容認できない

          命が燃え尽きる音ってどんな音だろう?

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          たまには他人のnoteに感想を

          まずはじめに、ぼくのコメントは瀧波和賀さま、および、似たような境遇の方を傷つけてしまう可能性があることを謝罪させてください。ごめんなさい。 率直に、尊厳を悉く破壊し尽くす存在が、親であったことを羨ましく思ってしまいました。 なぜなら、生き物が種の保存をすることは、本能だからです。自分の尊厳を破壊する親を見て育ったから、自分が親になるときは、そんな表情は子どもの前では見せまいと心がけることができます。 ぼくは小学校の時に教室中のあらゆる児童から、同学年の多くの児童から尊厳を

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          人の尊厳とは

          人間社会で生きるには相対的に認められる努力による成果を生み出さないといけないわけだけれど、そこに価値を感じない人たちにはどのように生きる道が残されているだろうか。 独自の価値観だけで生きるにも、衣食住のうちの食と住は満たされなければいけない。しかしそのために必要な土地を保持するにはお金が必要。お金を生み出すには最初に述べた成果が必要。これは前提に矛盾してしまう。 地球上に人間として産み落とされてしまったが故に勝手に社会の一員扱いされて、社会的な生産活動で成果を生み出すこと

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