あの日自殺していれば。いじめや家族に抗い、大人になって鬱になった少年の話

未来ある子供達へ送る。子育てする親に送る。あの日自殺していれば。

酷い人生だった
運もない
救いもない
なにもない
あるのはただ不幸だけ
こんなことなら、あの日死んでいればよかったんだ

酷い家だった
父親は酒にタバコにギャンブルに。
幼い私と姉と弟を置いてギャンブルに行くような酷い親だった。
母も酷かった。単純に言えば馬鹿だった。物事を深く考えずいい加減にする人だった。子供が苦しんでいても何とかなると根拠のない自信で放置し、自分の事だけを考えていた。お陰で父の虐待紛いの行為を放置して、私たち兄弟はさらに苦しむことになった。
姉も酷かった。子供の頃から私を兄弟でないと言っていた。お前は捨てられていたんだ。拾ってこられた子供なんだと言っていた。本当かどうかわからない。子供の頃の私は怖くてそれを親に聞けなかったからだ。あとはどこの兄弟でもある普通の間柄だった。横暴でわがままで身勝手で。人の物を奪い、自分のものは触らせない。気に食わなければ怒鳴りちらし、暴力を振るう。少なくとも私はそれが普通の兄弟だと思っていた。
弟は。よくわからない。無口な奴だ。何を考えてるかわからないけど、たぶんこんな家族を見てどこか悟ってしまったんだろう。大人びていて落ち着いた子だと言われてる。でも基本的に帰りは遅いし、たまに帰ってこない日がある。きっと家に居たくないんだろう。帰ってこない日は友達のところに泊まってるのだろうか。仲のいい友達がいるといいのだが。昔からよく外に出かけていたし友達は多いのかもしれない。友達がいないのに帰ってきていないのならどうやって夜を明かしているのだろうか。あまり考えたくない。
端的に言って酷い家庭だ。
親は虐待と無視。姉はいじめ。弟は家にいない。
これが世間一般的な家庭だと言うのなら私は今すぐ革命家にでもなって世直しをしよう。そうでもしないとこの国は終わる。
しかし、これで不幸だとはまだ言わない。
少なくとも私は今生きている。最低限育てては貰ったのだ。
近年のニュースを見ているとやれ虐待だ、やれいじめだで、親に殺されたり、自殺してる子が多いと聞く。痛ましい話だ。今私は自分の置かれた境遇にすら苦心していると言うのに、これより酷いものが現実に存在しているなどと想像を絶する。
今こうして筆を取っていても涙が溢れる。親に殺されるなどと。救いを求めることもできず自ら命を絶つなどと。あまりに凄惨な出来事だ。
それが恒常化し、対策も甘いまま放置されているなど到底許されることではない。
話を戻そう。
私は酷い家庭で育った。しかし不幸とは思わない。
なぜなら私より酷い境遇の子供達が多くいるからだ。

では何故冒頭で私は不幸と言ったのか。
それはまだまだそう思える事があるからだ。

私は学校でいじめられていた。小学校1年生の時からだ。
理由はわからない。何か気に障ることでもしたのか。
いや、大した理由などなかったのだろう。初めは名前をいじられていたわけだし。子供のいじめに論理的な解などありはしないのだ。ただなんとなく気にくわないから。みんながやってるから。ストレス発散できるから。
私に原因があるかもしれないし、虐める側個人が何か溜め込んでるものを吐き出したい為にやってるのかもしれない。
私に原因があるなら甘んじて受けよう。自業自得だ。
だが冷静になって自分の一挙手一投足を思い返してみても思い当たる節がない。
あるとすればクラスの女子から人気の男子と私が仲が良く、私がいると女子が会話できないからだろうか。思えばクラスのボス的な女子(今風に言うとカースト1位の女子と言うのか、女子グループのリーダーで気に入らない奴をはぶったり虐めたりして男子の前では可愛子ぶってる、そんな感じの女子)に執拗につっかかれた気がする。
しかしその前から虐められていたし、それは後付けな気がする。
やはり陰キャは理不尽に虐められるものなのだろうか。
理由が彼ら彼女らのストレス発散ならそれこそ許しがたい事だ。端的に言ってムカつくからぶっ殺したい。
少し話が前後したが、私は低学年から虐めを受けた。さっきの女子の話は6年生の時だ。そしてその間にちょっとした変化がある。
3、4年生頃、私は暴力に訴えた。
理由もなく理不尽に虐められ、教師や親は役に立たない。多勢に無勢だ。
正直手段を選んではいられなかった。今思えば最善ではないが最悪ではない判断だったと思う。あの時あのままいじめに抵抗しなければ私は報道されている自殺者よろしく過激になる虐めによって心身を病み自殺していただろう。自己肯定ではあるが抗ったのは間違いではないと思う。
というわけで私は私を虐めてくる奴を殴り飛ばした。クラス替えでいじめグループが分散したのがキッカケだ。1対1ならやれるんじゃね? という気持ちでやった。
まぁ効果はあったが先程も述べた通り最善の手では無かった。
長くなるので端的にまとめると、教師に怒られ、将来的に先輩や他校の生徒に目をつけられることになった。
酷い話だ。虐めを訴えても適当にあしらう癖に、殴った時は執拗に怒ってくるのだ教師は。まぁ怒るのは教師としてが当然だが。
何が不満だったか。殴って私が悪くて虐めてた側は悪くない、被害者だと言う。
私はこれに憤った。殴ったのが悪いのは認めよう。ちゃんと謝った。
そしたら殴られた方はどうだ。虐めている側なのにさも自分は悪くなく正義であるかのような上から目線だ。
そしてそれを後押ししたのは教師だ。
殴られたから被害者。被害者だから悪くない。そう言ってのけたのは教師達だ。
虐めていたと言う事実は無視。結果だけで判断した。
そうするとどうなるか。
虐めていた側は私に殴らせれば何をしても怒られない。
だから彼らに行為はエスカレートした。犯罪を犯しても被害者になれば刑が免除されるのだ。そりゃ喜んで罪を犯し加害者から被害者に成りかわるだろう。
これは虐めに対する教師の対応としてもっとも多いケースだと私は考える。
いくつか自殺事件を調べた。
大抵教師がめんどくさがって相手にせず、自分たちの行為が容認された加害者が行為をエスカレートさせ、虐められていた子は死ぬ。
教師のいい加減な行動が加害者を助長し、生徒を死に追いやるのだ。
絶望の淵に立つものは藁にもすがる思いで救いを求める。すがる藁があればなんとか踏み止まれる。だがすがるものがなければ踏ん張りが利かずに堕ちるのだ。死の底に。
家族、教師、友人。何かしら助けてくれる人がいれば大体死のうと考えてる精神が衰弱しきった人間はすがって踏みとどまれる。
しかし家族に頼れず、教師相手にされず、友人に虐められてる被害者はただ奈落に転がり落ちるだけだ。
虐められてる子は親には言えない。心配されたくないから。
残るは学校のコミュニティだ。しかし友人は敵。
頼るべき大人、教師が、苦労を背負い込みたくない、面倒ごとに巻き込まれたくない、責任を負いたくない、怠い、辛い、めんどいと生徒を捨てれば。
彼ら彼女らに残されたのは死という選択肢だけだ。
話を戻そう。
私は虐められていた。殴り返した。私は怒られた。
彼らは虐めていた。私に殴られた。彼らは許された。
私を断罪し彼らに無罪を言い渡した裁判長は教師だった。
この瞬間から私は教師を敵とみなした。
彼らは教育者じゃない。生徒を想い、立派に育て、真っ当な人間として巣立たせる為にここにいるんじゃない。
ただ仕事として金のためにここにいるだけだ。彼らは私たちのことを考えていない。仕事のことを考えているのだと。
私は教師というものに抱いていた幻想を捨てた。
ここにいるのは敵だ。味方じゃない。

それからは楽しい日々だった。
私を虐めてくる連中を殴り飛ばし。
虐めは無視して私を叱る教師に反抗し。
あっちこっちでトラブルを起こして怒られた。
当時のクラスメイト曰く、私に話しかけたら殺されると思っていたそうだ。
小学3年生にそんな事を考えさせる私の人生のなんと悲しいことか。自殺したい気分だ。

そんなこんなで5年生。またクラス替えだ。
新しい敵と友達ができた。
あとで知ったことだが私は教師運が無かったらしい。他校の友人曰く成人まで生徒のことを考えてくれるいい教師にしか当たらなかったそうだ。教師ガチャでSSRしか引かなかったらしい。
逆に私は虐めは無視して私を叱る理不尽な教師だけに当たった。ガチャ運はないらしい。ギャンブルはやらない方が良さそうだ。
5年生。新たな友人。それがさっき言ったイケメンくんだ。
なぜトラブルメーカーの私に友人が出来たかというと、イケメンくんがイケメンだったと言うことと、私が基本専守防衛しかしていなかったからだ。
私は基本的にやられたらやり返すを信条にしていた。つまりやられなければやり返さないと言うことだ。ただでさえトラブルに愛されてるのに自分から面倒を起こす気にはならないし、そんな余裕もない。第1初めから私が仕掛けたわけでもないのに、なんで自発的に殴りに行く必要がある。私は戦闘狂じゃない。
何もしなければ何もしない。
そのことを理解していたイケメンくんと愉快な仲間たちとともに卒業まではいい学生時代を過ごせた。女子からの陰湿な嫌がらせや根拠のない噂、悪意ある噂を流されて精神的にジワジワやられるのは辛かったが。

ここで1つ丸くなった。
とはいかないのが人生である。
中学生になり、私はもっと落ち着いた、大人びた環境になる。そうと思っていた。
だがそうはならなかった。
他の小学校からも生徒が来て、小学校時代より人が増えた。
その増えた人種が問題だった。
不良だった。
私は自分の小学校の虐めてくる連中に疲れ切っていた。ただ自分が楽しいから、ストレス発散できるから、そして怒られないから悪くないという身勝手で道徳のカケラもない連中に疲れていた。しかし中学生になれば大人になって少し変わると思ってたんだけど他校の連中はもっと酷かった。
うちの学校はアレでもまだまともな方だったらしい。あまりにも辛くてこれより酷いものなんてないと思ってたけど下には下がいたらしい。嘘だろおい。
人生に絶望した。
さ小学校での道徳の授業はすごく大切であると私は子供ながらに思っていた。道徳の授業で他の教科の補填なんてやってるから正常な精神が身につかないんだと虐められていた私は嘆いていた。
道徳がちゃんとした実施されるようになるとニュースで聞いたのはそれから数年後だった。今更遅いよと。もう道徳のない、人の痛みをわからない子供たちは量産されたよと私は思った。
話を戻そう。
中学に上がったらみんな大人になると思ってたけど小学校以下だった件。
他の小学校から来た子。他校の生徒たちはとてもやんちゃだった。授業はまともに聞けない。暴れまくる。態度が酷い。
あーもうこれダメだわ。と私は思った。
私は自分の幸福に気づいていなかったのだ。
アレでもまだマシな方だったのだと。
中学に入ると上下関係が厳しくなる。
私は先輩に目をつけられた。
おかしいな自分からは何もしてないのになんでマークされてるんだろ。
さらに新学年始まって一週間。
他校の生徒に絡まれたので胸ぐら掴んで壁に押し付けたら不良たちに一気に絡まれるようになった。
なんでも絡んできた奴が他校のヘッドで偉いらしい。
「俺相手に胸ぐら掴んできたのはお前が初めてだよ」と言われた。
ふーん。
お前何様だよ。
こうして私は晴れて不良と先輩に絡まれる学生生活が始まりました。
虐めの次は不良ですか。なんでだよ。
後になって暴力に訴えたのは失策だったと気づいたのでした。
さてさて。小学校から引き続きネチネチやってくる連中。中学で勢力拡大。
中学で絡んでくるようになった連中。火力が高い。
いや。ほんともう。最高だね。
私は喧嘩は強くありません。だって数いなきゃ何もできない虐めっ子しか相手してないもん。タイマン張ってきた連中の相手なんてしたことない。
というわけで逃げる日々でした。
なぜか喧嘩できると思われてた私はやたら絡まれましたが逃げました。
逃げてればいつか弱いと判断されるだろうと。
しかし定期的に虐めっ子を殴っていたのでやっぱあいつヤベー奴って目で見られました(小学校から引き続き教師に敵意を抱いていた私は場所も構わず殴ってました。不良連中の中でも教師の前で人を殴るほど荒れてるやつはそんないませんでした)。
一度教師に諭され、しっかり思いを伝えなさいと言われました。
なので私は言いました。不良には喧嘩したくないと。いじっめ子には嫌だからやめてと。教師に卑怯者と。
しかしそれで変わった者はいませんでした。当然です。言ってわかれば苦労しない。
言葉でわからないから私は暴力に訴えたのです。
またある時、ここでは言えないほどの、と言ってもそれほど大きくない事件を起こしました。その事件の真相を私は黙りました。友人のために。
しかし数年前の担任が秘密を守るから自分にだけ教えてくれと言いました。その教師は比較的良い人だったので私は喋りました。その教師はそれを上にバラしました。
私もまだまだ子供だった。甘言に惑わされ簡単に信じてしまった。
このことで決定的だった私の教師嫌いが盤石なものに変わりました。
あいつらはやっぱり教育者なんかじゃない。
金のためにご高説を垂れる詐欺師だ。
中学生の思い出は不良から逃げて虐めっ子を殴り教師に反抗し友達の家で麻雀してたことくらいしかありません。絶望的な人生。

前途の通り、
家庭はやばい。
学校もやばい。

これはもう不幸と言っていいのではないでしょうか?
え、まだダメ?
しょうがないな?じゃあ、とっておきの話をしよう。


私は小学生の頃、社会を生きていくためには勉強は不可欠だと考えていました。
頭が良い方が良い。単純な考えです。
なので小4の時、親に私立の中学に通わせてくれと頼みました。
スイミングスクールで同じだった私立小学校に通う友達が、私立は虐めも少なく良いところだと言ったのが大きくもあります。
虐めから逃げたい。勉強したい。
なんで日本には義務教育があるんだろう。
なんで飛び級がないんだろう。
いじめから逃げたい私はそんなことを考えてました。
そこで私立です。
「お金ないから無理」
是非もなし。私立にどれくらいかかるかを当時の私は知りませんでした。
仕方ない。仕方ないんだ。そう言い聞かせました。
奨学金の存在を知らなかったのです。当時はネットも普及してない時代でした。今のように家にいながら、他人との交流なしで情報を得られる時代ではなかった。
小5の時、塾に通おうと思いました。
前途の通り勉強をもっとしたいです。あとイケメンくんも塾に行ってました。
将来のために。今の友達と交友を深めるために。
塾で学ぼう。
「お金ないから無理」
是非もなし。スイミングスクールもう行ってないんだけど。
しかしまだまだ諦めません。
私立がなんだ。塾がなんだ。
独学でだって勉強はできる。
家で頑張って勉強すればなんとでもーー
「ワーワーキャーキャー」
……こいつ親じゃねぇな。
家での親の態度や姉の傍若無人ぶりに勉強に集中できませんでした。
家に個人の部屋はありません。
オワタ。
いいやまだだ図書館や学校でだって
「クスクス。何やってんのあいつきもーい」
そういや外や学校には虐めっ子と不良がいました。
諦めよ。
どうせ何やったってダメなんだ。
勉強しなくてもどうとでもなるべ。
私は喧嘩と遊びに明け暮れました。
ムカつくから殴って、楽したいから遊ぶ。
私立も塾にも行けず、家にも学校にも集中できる場所がない。
やってらんね。
やる意味もねぇよ。
紙切れの点取りゲームができるからなんだよ。
将来なんの役に立つんだよ。
そう言って私は学ぶことを放棄しました。
後からわかったことは学校の勉強は確かに使わないが頭が良い方が人生で大いに役立つという事でした。勉強の本質は内容を覚え問題を解くことではなく自分で脳を動かし論理最適解を導き出す思考パターンを養うことだと思いました。

不幸自慢はまだ続きます。

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