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書評『通俗小説論』。学問のルールがこわれる書。(追記あり)

目次
①はじめに
②本題
③結論
④参考文献
⑤追記

①はじめに
広岡守穂『通俗小説論』(有信堂、2018年)を読む。あまりに酷い書なので、筆誅を下す。

②本題
「あとがき」と「本文」のズレが酷い。

あとがきにはこうある。たいへん意欲的な研究であると期待できる。

「日本では恋愛がデモクラシーをおし進めてきた。といったらものすごく変に聞こえるに違いないが、 わたしは大真面目である。この本はその考えを実証しようとした研究の成果である」
「政治的な対立を緩和してデモクラシーを安定させる力はどこか別のところからきている。最も根底にあるのは家族観が根底から変わったことではないか。先祖代々つづく家を基本単位と考えるのではなく、愛し合う男女が夫婦になることを基本にする思想が定着したこと。すなわち恋愛がデモクラシーをおし進めてきたのである」

なぜ期待できるかというと、日本の議会政治が安定した理由を、社会、それも家族のあり方に求めたからである。このような説は、プラトン『国家』にもあったが、いかんせん証明が難しい。だからこそ、家族が安定すれば政治が安定するとの説には、価値がある。

しかし、期待はずれだった。
本文は1890年~1960年の新聞小説における男女関係の変化についての記述に終始している。どのような過程を経て、一般私人の考えや家庭生活が永田町の議会に影響するのか、その記述は見当たらない。
具体的に言えば、「誰々の書いた新聞小説のストーリーはこうで、そこでの男と女はこういう風に行動する。そして結末はこうなる」といったことしか書かれていない。

全く「日本では恋愛がデモクラシーをおし進めてきた」ことを実証できていないのだ。

「うまく論証できたかどうかは、もちろん読者の判断にまかせたいと思う」と、あとがきの最後には自信を伺わせるような一文があるが、私の判断はノー。全くダメである。

なお、一応著者をフォローしておくと、確かに新聞小説内に登場する人物達の男女平等(社会的デモクラシー)が進んだことは証明できる。
しかし、実際の日本人男女の意識や実生活に関する記述はほぼ無いし、議会の動きはさらに記述が無い。やはり、擁護のしようがない。

著者の広岡教授には、『新版 論文の教室』を読んで、学問的な文章の書き方を学んでいただきたいところである。

「論文には問いがある。論文というのは、…明確な問いを立てて、それを解決することを目指す文章だ」
「論文には主張がある。問いがあるということは問いに対する答えがあるということだ」
「論文には論証がある。…問いと答えだけでは論文にならないのである。論文には、自分の答えを読み手に納得させるための論証が必要である」

著者には、本書で論証を書いて欲しかった。

③結論
学問のルール無視。読む必要無し。2200円返せ。

なお、『論文の教室』は学生のレポート作成におすすめ。某学者からのお墨付き。

④参考文献
戸田山和久(2012)『新版 論文の教室』、NHK出版
広岡守穂(2018)『通俗小説論』、有信堂

⑤追記
本書のような論証の欠如、すなわち知的誠実さの欠如には、我慢できない。
さらに、そのような意見は、耳障りの良い中道左派的意見であるせいで、論証なく受け入れられている。許すまじ。
以上の私憤は、中道左派全体への怒りに繋がり、最後には私を思想転向に追い込んだのである。

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