見出し画像

優しさの先になにを望むのか(読書感想『川のほとりに立つ者は』)

無償の愛。それは
見返りを求めずに相手を思いやる気持ちや行動のこと

その無償の愛は必ず相手に受け入れられると思いこんでいないだろうか。

困っている人に手を差し伸べれば必ず掴んでくると思っていないか。

その優しさの中に見返りや私利私欲は少しも入っていないのだろうか。


***
これより先は書籍の内容にも触れています。
 ネタばれはしないよう注意して書いていますが、気になる方は書籍を読んでからまたこのページに戻ってきていただけると嬉しいです。
***


来週発表の2023年本屋大賞。
10作品にノミネートしている書籍『川のほとりに立つ者は』を読ませていただきました。

初めて寺地はるなさんの作品を読み、
登場人物たちの日常や感情が細やかに描かれ、そして繊細で、読んでいて柔らかい作品だと感じました。


物語の舞台は、新型コロナウイルスが日本に迫ってきたあの頃。
正体不明の見えない敵に怯え、人と人とのつながりを断たなければいけなかったあの時を、少し懐かしいと感じながら読了しました。

主人公の原田清瀬はカフェ「クロシェット」で店長として働く29歳。
ある日恋人の松木圭太が意識不明の重体であると知らせを受けます。
病院に駆けつけると松木ともう一人の男が横たわり、聞くと二人は喧嘩をしていたと。その様子を見ていた女性まおは「悪いのは松木だ」と証言する。
松木は喧嘩をするような人ではない、ただ私は松木のことを本当に知っていたのだろうか。そして松木が清瀬に隠していた「ある約束」。
清瀬は本当の松木を知るために彼の身の回りを調べ始める…。


この物語の中には多様性や個性、正しさ、必要な努力、本当の自分等日々生活する上で感じる問題や疑問が多く描かれていました。

中でも私が印象的に感じたのは人への優しさについてです。

清瀬を攻撃してくる天音に清瀬は助けたいと思い
手を差し伸べますが拒絶されます。
天音「あなたの救済物語に私を巻き込まないで」

手を差し伸べられた人間はすべからく感謝し、他人の支援を、配慮を、素直に受け入れるべきだと決めつけていた。歪みを抱えたものはみな「改心」すべきだと。
誰の手を選ぶかも手を取るタイミングも、その人自身が決めることなのだ。「せっかく助けてやっているのに」と相手の態度を非難することは、最初から手を差し出さないことよりも、ずっと卑しい。
Chapter8 7月30日の原田清瀬


清瀬の気づきに私は心が痛みました。
私にも心当たりがあったからです。


高校時代の友人がうつ病になり、会社にも友人との集まりにも出てこれなくなくなったことがありました。
私はなんとか助けてあげなければと思い
彼女の気持ちを伺いながら
短時間でも外に連れ出してみたり
美味しいごはんを食べに行ったり
とにかく気持ちを楽にしてあげたいと手を尽くしていました。
私は趣味が多い方なので、彼女の好みに合う趣味を一緒に探してみたり…
ただそんな中彼女から心無い言葉を投げかけられる事が多くなったのです。

「かほりは幸せだから…」
「かほりは満たされているよね…」

直接的な表現ではないけれど、黒く濁ったこの言葉にどんどん私は疲れていきました。

人それぞれ苦しいことはあって、その重みを他人が図っていいものではない。
なぜ私の人生を彼女に言語化され比べられなければいけないのか

私は彼女が職場復帰することができてから
少しずつ距離を置くようになりました。

でも、じゃあ、わたしはどんな言葉をかけてもらうことを求めていたのか。


何かを求めていた自分が恥ずかしくなりました。
苦しい想いをしている友人を助けて気持ち良くなりたかったのか。

もしかしたら私の手が邪魔だったのかもしれない。
お節介だったのかもしれない。
彼女の気持ちを想像できていたのだろうか。


傷つけられたと被害者意識を持っていた自分は…

卑しい。

手を差し伸べれば掴んでくれて感謝される。
いい行動をしたとどこかで思っていたのだ、私は。


ではどうするべきだったのか。

彼女が苦しんでいるのに何もしないのはやはり
違うと思う。
お節介なくらいが丁度良く、間に合わないのは絶対に嫌だ。


物語の中で清瀬は決断します。
先ほど引用した一節には続きがあるのです。

天音さんは清瀬の伸べた手を振り払った。今はその事実を事実のまま抱えていようと決めた。事実の重みに両腕が軋み、激しい痛みに襲われても、今はそのまま。
清瀬はせめて願う。天音さんがこれから迎える明日が、よい日であり続けますように。
あなたがわたしを嫌いでもいい。それでもわたしはあなたの明日がよい日でありますようにと願っている。
Chapter8 7月30日の原田清瀬

誰かが誰かの明日を願っている
それは相手への最高のやさしさに感じました。
私の明日の幸せを誰かが願ってくれていたら、私はうれしくなります。

私は友人の選択肢の一つとなれればと思いました。
必要とするかは友人の選択次第。
SOSを言いやすい関係として遠くから見守り、
彼女の明日が良い日でありますように、と今日も願おうと思います。


誰かと共に生きるのは心が痛くなることがある。
生まれた場所や環境が違えば分かり合えないのはあたりまえ。

いっそひとりでいた方が楽なのではないか。

それでも人と人とが関わり続けるのは
誰かの役に立ちたいから。
誰かに必要とされたい、その欲求は自分を含め多くの人の原動力になります。

役に立ちたい。だから優しくする。

そんな想いを持った優しさでもいいと思います。
そこに相手の気持ちを十分に思いやる心があれば大丈夫。

清瀬が出した手を天音が必要としなかったとしても
私はその想いは必要だったと思いたいです。



雲一つない青空を見ながらこの小説を思い返し、
私の隣の人たちの明日が、良い日でありますようにと願いたいと思います。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?