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エンドロール


「最高だ~~~~~~~~」

映画館で最高の映画を観た上映の終わり、エンドロールを眺めながら頭の中でそう叫んでいる。人がいなければ叫んでいるかもしれない。
ポーズで言えば、眉間を押さえて天を仰ぐポーズをしていると思う。

「エンドロール見ない派」の人たちがポツポツと席を外す中、わたしは大体目だけで流れゆく文字を追い、頭の中では「最高だ~~~~~~」と思っている。
「こんなにもたくさんの人がこの素晴らしい映画のピースとなって制作したんだ、誰一人欠けてもできなかったんだ、ありがとうございます」と思うと顔も見たことがないスタッフさんのことを考えて涙が出ることもある。
時として、製作途中で演者さんやスタッフさんが亡くなったことや、誰かの遺作ということが表記されていることがある。涙がダバダバ止まらなくなる。もうすぐ客電がつくけど涙が止まらなくて「こいつ、なんでこの映画で泣いてるんだろう」と思われたことも1度や2度じゃない気がする。
私の涙ポイントは感動シーンだけではないのだ。

とにかく素晴らしい映画を観た後は、ヤバい薬を飲んだあとってこんな感じなのかなと思うほどに脳内麻薬が出ている。エンドルフィンというらしい。

エンドロールの時考えるのは映画のことだけじゃない。

今日は映画を観に行くぞ!と決めている日は朝から映画の始まりなのである。

いつもは大体TシャツにGパンしか着ないが(冬はトレーナーにGパン)(トップスの厚みが変わっただけ)
映画を観に行く日は「映画を観に行く日の洋服」を着る。ちょっとだけ良い靴を履く。

友達と一緒ならば、友達と落ち合う。
余裕があれば近くで軽くご飯を食べたりする。

先日友達と映画を観に行った時は、映画が20時からだったので、外で軽く飲める昔ながらの居酒屋に行き、二人で映画のあらすじを予習したりした。
ビールを飲みながら生牡蠣は食中毒にならないかなあ、なんてことを話しながら、お互いにこの前見た映画の話もする。
あれはネットのレビューは低いけど最高によかった、あれはなんであんなにみんなが良いというのかわからない、けどあの映画にはあんあ良いところがあって~とか、学校のディベートの時間みたいに次々意見する。
秋が近づいてきて陽が落ちるのが早くなって、少し空気が冷たくなってきた頃、私たちは映画館に向かった。
きっとお互いに今日二人で観る映画は「次のこの時間」に、どんな感想を言い合えるのか、楽しみにしていたと思う。

先日映画館で「LEON」を観た時は、その「次の時間」が待ちきれず、近所の居酒屋でLEONの感想をつまみにLEONの打ち上げをした。
「最高すぎる~~」「こんなに良い映画はない」
しばらくこれしか口が利けなくなった。語彙力の死である。
きっとあの時食べたこぶしよりも大きい唐揚げはずっと忘れないと思う。

最高の映画を観たその日、朝ワクワクしながら着替えたこと、その映画を観た街の景色、秋の入り口の気候の中でビールを飲んだこと、生牡蠣にちょっぴりびびったこと。
はたまた鑑賞後に語彙力をなくしてこぶしより大きい唐揚げを食べたこと、
そしてその日一日が最高の一日だったと思える最高の映画に出会えたこと。

何年経ってもその映画を観ると、その日一日の記憶が全部蘇ってくるのです。

もしかしたら、「最高の映画を観た日」なんていう映画の中に、自分がいたのかも。

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