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写真を撮るとき何を考えているか考えてみた。

表参道の裏の路地を通っていたら出会ったちいさなお部屋。窓際に飾られた絵画と花壇のフレームが画になるので1枚。これがだれなのか、なぜ道沿いに飾られているのか経緯はわからなかったものの、単純にいいな、とおもったから写真を撮った。

シャッターを切るときってそういうことな気がする。そこにはなんの深い考えもなく、ただただ自分の感性がいいな、と判断したら自分の指がシャッターを切っている、という具合。カメラマンとかそんなたいそうなものでもなんでもないけれど、自分が写真を撮るときってどんなことを考えているのかなーなんて考えていた。

今日、ご飯を一緒に食べていたともだちに

「なにも予定がない日もカメラを持ち歩いているの?」

という質問をされた。

たしかに自分のなかではすでに当たり前のようにカメラを持ち歩いていたのだけど、それは「何もなくても何かあるかもしれない」からなんだよね。逆に、偶然出会った残したいもの、を残せなかった時の悔しさを感じることが何回かあり、(というか何度もある)それ以来常にカメラを持ち運ぶようになった。

というわけで実は会社にもカメラをもっていくときがある。道中なにかすてきな出会いがあるかもしれないから。笑 別に禁止されているわけではないからいいかな、とか思っている。スーツで写真を撮っているから変なやつだとおもう。


小学校のときから家族の中ではカメラ担当だったわたしだけれど、いま思えば「家族が一緒にいたことを残しておきたい」という思いが小さいときから強かった。だってほら、人の記憶には限界があれば、いつかいなくなってしまうでしょう?

写真を見返すだけで、「こんなことあったねえ」と思い出すきっかけになる。なんか、人に伝えたい、よりも人と共感したい、が強くて写真を撮っている気がする。

明日はどんな写真が撮れるかなあ。


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