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私のからだは醜い 2

その日のプール授業のことは、やはり記憶がほとんどありません。プールサイドでみんな並んで、水をばちゃばちゃさせた時、先生にかかって笑いあったことくらいです。もちろん、その叫びをあげた子も笑っていました。私は笑ってなかったはずです。

それから数日後の日曜でした。

家族は皆、出払っていました。父は休日出勤、母は買い物、祖父母は近所へお茶飲み、唯一きょうだいがいましたが、私と共同の部屋でひとりゲームをしていて、私のことは頭にない様子でした。

私は静かな家でひとり、うごめきはじめました。

少し考えた後、祖父母の部屋に這っていきました。祖父母の部屋は仏間を兼ねていて、金箔がくすんだ仏壇と箪笥、祖母の鏡台と姿見があるくらいでした。天井付近にご先祖らしい白黒の写真が三枚ありましたが、どの人も知らない人でした。

そんな部屋で、私は押し入れを開けました。しまってあった祖母の裁縫箱から、裁ち鋏を取り出しました。はじめて手にしましたが案外重く、一旦畳に置きました。

そのあと、私はズボンを脱ぎました。パンツも脱ぎました。失禁防止用の紙おむつもはずしました。細い脚と陰毛の生えた股座があらわになりました。股座の間に、ティッシュを一枚あてがいました。

私は鋏を手にしました。 少し息苦しくなってきました。

息をふうっと吐いたあと、脚を開き、鋏をしゃ、と開きました。

そして、陰毛を、切りました。

ぶつぶつ。ばつん。聞いたことのない音と共に陰毛が切れました。

気づかぬうちにつめていた息を吐きました。中途半端に短くなった陰毛は、道端の雑草みたいでした。

もっと切らなきゃ。私はさらに切りました。しかし、短くはなりますが、完全にきれいにはなりません。これ以上やると傷をつけてしまいそうなところで、私は鋏を置きました。ティッシュにはねじ曲がった体毛がばらばらと散っていました。授業のときの、先生の水着の隙間からのぞいた体毛が思い出され、思わず首をふりました。

下半身を見下ろしているうち、気がつくと私は上着も脱ぎ、全裸になっていました。無意識でした。天井のご先祖が見下ろしていました。

脱ぎ散らした服をのけ、祖母の姿見の前に這いました。

姿見に映る、自分の裸を見ました。

肋骨の浮かぶ薄い胸。対照的に筋肉のついた両腕、手術の影響で恐竜のように曲がった背中、慢性的な便秘で膨らんだ腹、鳥の骨みたいに肉の削げた両脚。

醜い。

その時、そうつぶやいたかは覚えてません。ですが胸を満たしていたのは、確かにそう形容できる感情でした。

右手が動きました。指でちいさな乳首に触れました。また無意識でした。

痛みとも痒みとも、なんともいえない感触が胸をかすかに走りました。数年後、私がからだもこころもぼろぼろに磨耗させながら、それでも追い求め続けることになる感触でした。

物音がしました。きょうだいが部屋を出て、トイレに入ったようでした。私は慌てて服を着ました。紙おむつはいつもよりきつく締めました。毛の散ったティッシュを丸めて、ごみ箱の奥に突っ込みました。

居間に向かうと、ちょうどきょうだいと鉢合わせしました。思わず息を飲みました。しかしきょうだいは特に変わらず、テレビをつけました。大きなあくびをしました。私も一緒にテレビを観ました。いつも通りに。

…あれから私はプール授業にはほとんど出ませんでした。腹や頭が痛いと、適当な理由をつけては見学していました。あの叫びをあげた子がはしゃいで浮き輪で泳ぐのを、頬の裏を噛みながら見ていました。

やがて皆成長し、体も大きくなり、声変わりもし、胸も膨らみました。あの毛があって当たり前にもなりました。

それでも、今でも私は、あの子のあの叫びが、鋏で毛を切った感触が、姿見で見た自分の裸が、からだの奥底に淀んだ水のように残っています。

毛が生えてる!

その叫びは私の奥底で腐敗し、悪臭を放ち続けています。そして、思うのです。

私のからだは醜い、と。

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