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次世代を生きる子ども達へ 君たちはどう生きるか 【映画感想文】

結論


一旦作品の良し悪し好き嫌いは置いといて結論を書くなら、宮崎駿が提示した「君たち」に私は含まれてないなってのが結論です。

もっと優しく書くならば、宮崎駿おじいちゃんが子ども達にお話を聞かせているのを私は隣で見ている。そんな感覚でした。

感想をどう書こうかなぁと考えていると監督が貴方に向けて作ってませんって言っているのが脳裏に浮かんでしまう。過去の作品と過剰に比べてしまったり、必死にやるべきことがあったり、作品を楽しむ前にどんな感想を書こうか脳裏に過ぎってしまっている私自身の姿勢が正されるようだった。誤解を恐れず言うなら子どもが持つ感想以外は内容を問わず見当違いなんだろうとも思った。これは子どもなら面白いと思うって話ではなくて、この作品が誰に向けて作られたのだろうということを私がどう考えたかというだけの意味だ。ならばもう私はこれ以上感想を書くべきではないだろう。でも書いちゃうんだなこれが。

注意(いつもの)

本noteはネタバレを多く含みます。観てないなら感想を読む前に自分で観て判断してくれってのを一映画、映画館好きとしては言っておきます。映画も映画館も末長く存続して欲しいので。

感想

結論で書いたのが正直に言って10割で、この作品が誰に向けて作られたのかと言うと子ども達だとは思うのだが、ジブリという媒体が逆にもう大人が好きな”巨匠”の作品という側面も薄ら出てきてしまって子どもに届かなくなっちゃってるところもあるかとは思うので(少なからず子どもは大人の手垢がついた作品を好まない)、こうやってかつて子どもだった大人に感想を書かれるのは当然致し方ない流れである。大人の私にだって許されている自由がある。

まず好意的な感想、冒頭で炎の中を駆ける眞人のシーンは流石のジブリだと感じた。全体を通して作画、キャラクターの表情、アクション、建物、インテリア等々はジブリファンタジーのエッセンスがふんだんに盛り込まれており、独自性があって素晴らしい。画の力が強い。
一つ一つのカットから空間がどう構成されているかというのがありありと想像できる。ジブリだから着目してしまっているのか、画にその力があるのか、私にはもう客観的に判断することができない。
右側頭部が刈られているとわかる左斜めからの表情のカットは、私は絵を描く人じゃないので何で右側頭部が刈られていると感じられるんだろうこれ……となっていた。

そしてこれまでの作品がそうであったように超越した少年少女を描くのがとにかく上手い。眞人が罠だとわかっていても「わかってる」と答えて突き進む姿や、若かりし頃の母が力を行使する様は、ほとんど説明がなかったにも関わらず多大な説得力があり、意志の強さをその動きや表情からありありと感じる。このキャラクター作りは真似ようとして真似られるものではないだろう。

あとワラワラがシンプルに可愛いくてビックリした。こういったマスコット的なキャラクターは今作ならば青鷺やインコ、過去作で言うならこだまや千と千尋の神々がそうであるように、部分的にリアルな造形を与えたり、どこか不気味さを兼ね備えさせるデザインであったり、定まらない視線に意思疎通が測れるのか疑問に思わせ恐怖感を少し匂わせるようなデザインが多かったが、めちゃくちゃシンプルに可愛いものを出してきたので、何か考えが変わったのだなと感じた。うまく表現できているかわからないが伝わりやすい優しさを感じた。

そういった諸々を含めて監督は児童小説が担ってきた事柄をやりたいんだなと観ていて感じた。裏庭にある扉の先、クローゼットの中、学校で誰も使っていない教室、裏山のトンネル、自分以外に見えない人々が生活する場所、お屋敷の近くにある謎の建築物、少し不気味で、なぜか心惹かれる場所。何かしらの問題を抱えた少年少女が、そんな場所から不思議な世界へ繋がり、不思議な世界は現実の世界に影響を与えており、さまざまな冒険と出会いと別れを経験し、少年少女は精神的な成長を遂げて現実へ帰還する。

映画を観た後の観賞後感が児童小説の読後感と同じものを感じた。私が小さい頃に好きで読んでいた岡田淳の作品(二分間の冒険など)や、宮部みゆきのブレイブ・ストーリーやC・S・ルイスのナルニア国物語なんかも私が言いたい作品に入る。

そういった物語で重要なのは何故世界がそんな構造になっているのかということではなく、子どもが不思議な体験を通して成長することだ。それ以外はかなり大雑把に言ってしまうと不思議な出来事で良い。

なので世界の着想や元ネタが何かという考察は多々あれど、私にとってはそれらは重要な話ではないと感じた。勿論知っていることで深い洞察を得る人もいるだろう。ただしそれはあくまでも余剰で、それらを知っている人にだけ届けたいと思っていないことは明らかだろう。眞人が冒険の元で成長し、母の死を受け入れ、新しい母を受け入れ、先達が提示する世界を受け入れなかった。その一連の流れこそが重要で、それらを観て何か感じ、不思議な世界から帰還した子ども達に向けて「君たちはどう生きるか」と問うているように感じた。

なので、これは私に向けられた物語ではないと感じた次第である。それは抜きにして前述したようにアニメーションの素晴らしさと超越した少年少女像は好みではある。

ここからはやや批判的な感想に入る。

この作品を宮崎駿の総決算だと評する向きがあるが、私はむしろこの映画で伝えたいであろうことは、これまでの作品で全て語られていたと感じた。ハッキリ言ってしまえば新規性はなかった。ただし、それもまた作家性というものなので何度語ってもいいし、新規性がないなんて感想はこれまでのジブリ作品を見ている私のせいではある。期待して観には行ったが……。それも含めて子ども達へ向けていると書いた。なので大人であってもこの作品が初ジブリ、もしくはそれに近い感性で見られる方であるならば、それは素晴らしいことだと思うし、他の人がどんな暗喩があると語ろうが、なぜ良作かなぜ駄作か説明してようが、自らの感性を大事にするべきだ。その力がこの作品には、ジブリ作品には、当然のようにある。

これまでのシブリで語られていたこと、技術と自然の融和性、宗教観、子供が大人になるための儀式的な行い、大人の在り方、超自然的存在、もっとシンプルな冒険のワクワク、生を貫く意志、物語の持つ力などなど……宮崎駿監督作品が示すエッセンスは語ると尽きない。監督が言う、考えて考えて考えた先に鼻の奥から血の匂いがツンとする。そこまでいってもまだ考えて考えて……ようやく答えが出る、という話の通り一つ一つのテーマだけでも膨大な情報量になってしまう。私なんかでも今こうやって軽く感想を書こうとしていたはずなのに今作には関係ない話に脱線したい欲求が凄くて終わらない気配がしてくるので削りに削っている。だからジブリ作品は多くの人を惹きつける。

今作にもその血潮を感じた。感じられてしまう。それらテーマは素晴らしい。しかし過去作でもそれらは素晴らしく表現されていた。
今作はそこに物語があるかと言うと微妙で、描きたい価値観やテーマが先にあり、物語に合わせてそれらを馴染ませられているのかは疑問が残ってしまった。もっと直接的に書いてしまうなら眞人という存在に言わせたい価値観を与えるための舞台を用意したように感じてしまった。それが悪いのかと言われると悪くはない。それも物語作りの一つだとはわかっている。ただ私が勝手に期待していたものが無かっただけだ。

感性に問いかける割合が高い作品だった。

クライマックスのシーン。
大叔父様が提示する世界を眞人が拒絶する。そこに悪意があるからと。それに気付けるお前だから継いで欲しいのだ。と言われるがインコ将軍が割って入ってそれは崩壊してしまう。
大人が提示する狡い選択肢を選ばず、自分たちで答えを出すのはジブリ作品でよく見られる結末だ。好き。バルスしかりシシ神に首を返すしかりここにはお父さんもお母さんもいないしかり。人生に答えはあるものではない、自らが何を選択するかだ、誰かに提示されたものには誰かの意図がある。ただしその意図もまた悪意ではなく誰かの意思だ。
ムスカだって、ジコ坊やエボシだって、湯婆婆だって悪意だけで行動をとっていた訳ではない。それはジブリ作品自身が描いてきた。
ただ今回は明確に悪意があるから嫌だと拒絶する。悪意もまた意思ではあるし、自らで自らに傷をつけた自分自身を良しだけのものとせず、正義感が強い眞人がそう表現しただけだと思ってもいいのだが、選ばない選択が何を導くかといえばインコが割って入ってくる猶予だ。

それは……どうなんだろう……。どうなんだろうか……君たちはどう生きるか……。うーむ……。そりゃ選択する間もなく時が過ぎ、迷っているうちに誰かが答えを出してしまうこともあるだろうが……。過去の作品とはまた違う答えにしたかったのだろうか……。私にとってあのオチを納得するには想像を巡らせるしかない。

トータルとして、私は今作が好きか嫌いかで言えば好きだ。しかし今作を見た上で過去作を見直すのが、なんなら熱量という点では漫画版ナウシカに勝るものはないと思っているので、それらを改めて見たいと思った。宮崎駿が各年代で残してきた足跡は、決して今に劣るものはない。

まじの余談

借りぐらしのアリエッティのセシル・コルベルのイメージ歌集アルバムはもっと評価されるべき。ガチの名盤だと思う。

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