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利休いわく、「数寄(すき)に親も子もない!」

 茶道の世界で千利久、古田織部、細川三斎(忠興)、小堀遠州を「茶道四祖」というらしい。織田信長の時代、豊臣秀吉の安土桃山時代、そして江戸時代初期の彼らの逸話を集めて現代語に訳し、読みやすくした本がある。神津朝夫の「長闇堂記 茶道四祖伝書(抄)」という本である。その中に、こんな話が紹介されている。

(前略)そもそも侘数寄(わびすき=特に茶の湯が好きな人:筆者注)とは、貧しいためによい茶道具がなく、よい料理も出せない茶人のことであり、茶会のことでした。江戸時代中期末の明和八年(一七七一)に出版された入門書の『茶道早合点』でも、「事を略することを侘びるという、侘びとは貧乏人という心なり」と説明されています。(後略)

 茶道って、何? やっと理解する糸口を掴んだかなと思ったら、何、これ。わざとそんなことを言って、茶道を始めようと志を立てたばかりの人間を、歴史上の人間も含めて茶道関係者全員で混乱させようとしているとしか思えない。
 さらに、利久の信じられないような逸話も紹介されている。

(前略)少庵が小座敷に突上げ窓(=天窓:筆者注)を二つ明けました。利休が見て「ありえないことだ。燕が羽を広げたようで、見られたものではない。ふさげ」と言われましたので、その日のうちにふさぎました。利休に見せると「それでよい」とのことでした。ところが、利休の小座敷に突上げ窓が二つ明けてありました。「これはどうしたわけですか」と少庵が尋ねると、利休は「数寄に親も子もない。私が二つ明けるためにふさがせたのだ」と言われました。(後略)

 何、これ。ただの意地悪じゃないか。もっとわからなくなってきた、茶道って。少庵とは利休の養子で娘婿。しかも、千宗旦の父。そういえば、思い当たる節が……。

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