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茶道は自然と美学と知識の、大人の謎かけ遊び!

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2021年11月の記事一覧

靖国神社洗心亭で、茶道教室のお茶会に参加

「お茶会」に行って来ました。茶道教室のお茶会です。靖国神社の洗心亭で行われました。結構な人数でしたが、席にも恵まれて、真横でお点前を見ることができました。お点前を行うお姉さんの、緊張のあまり手が震えているのも、バッチリ見えました。濃茶、薄茶と進んでいく中で、正客と主人の問答が始まります。軸の話から始まり、花器、花、香合と、道具を話題に、どんどん話が進んでいきます。これが、問答か、と聞き耳をそば立てていました。道具の話をしながら、時節や身の回りの話を交えて展開していきます。

芸術家を超え芸術そのものに…段々、欧米人向け冗談に思えて来た

《(※前略)ゆえに、茶の宗匠たちは茶室で得た風流の高い規範で彼らの日常生活を律しようと努めた。》  茶室で得たあらゆる「美」を、茶の匠たちは日常生活に昇華させようと努めた。そしてさらに、こうとも……。 《全ての場合に平静を保たねばならぬ。そして談話は決して周囲の調和を乱さないように行わなければならぬ。着物の格好や色彩、身体の均衡や歩行の様子など全てが芸術的表現でなければならぬ。これらのことがらは軽視することのできないことであった。というのは、人は己を美しくしてはじめて美に

露地から茶室へと、ドラマが生まれる

新古今和歌集の、藤原定家の一首。 見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮れ  こういう心持ちで静かに、その聖なる庵に近づいていく。そして、もしあなたが武士ならば、その刀を軒下の刀架(とうか)にかけて置く。それは、茶室がすごく平和な場所であるからである。客は低く身をかがめて、高さ1メートル弱の狭い入口である躙り口(にじりぐち)から、にじって、その聖なる空間に入る。この動作は身分が貴い人も、そうでない人も同様に、全ての客に負わされる義務であって、自分を低め相手

「偉い茶人は皆禅を納めた人」−岡倉天心

 日本人が初めて英語で書いた本、岡倉天心の「THE BOOK OF TEA」。この本は明治39年(1906)、米国ボストン美術館で中国・日本美術部長を務めていた天心が、ニューヨークの出版社から刊行した。茶道を仏教(禅)、道教、華道との関わりから広く捉え、日本人の美意識や文化を解説している。この本によって日本の茶道の詳細が世界に知られるようになった、と言って過言ではないだろう。と、茶道を始めて三ヶ月の私ごときヒョッコが言うべき事ではない、とは思うのだが。  しかし、敢えて、こ

風炉、いい顔していると思いませんか?

 今年の9月から茶道教室に通い始めて、はや三ヶ月。合計六回のお稽古が終了しました。その間に、これだけ、お道具が揃ってしまいました。みんな中古の廃品になる直前の様な品物ばかりですが………。でも、自主練のお稽古用としては、十分に使えます。写真の右上の「風炉」なんて、風雪に耐えて年輪を刻み、時代と共に幾多の苦難を乗り越えて来た、といういい顔をしてると思いませんか? ポカンと口を開けて。「お前、何を考えとんじゃ!」と一言いいたくなります。  まだ、はじめて三ヶ月ほどですが、お道具が

利休、秀吉、朝顔の花、嫁入り道具

 ダイヤモン社のサイト「DIAMOND online」で、こんな記事を見つけた。 《(※前略)利休の庭には、朝顔が見事に咲き誇っていました。あるとき、その評判を当時の天下人である豊臣秀吉が聞きつけ、「見せてもらおうではないか」ということになりました。わざわざ殿が見に来るとなれば、花に水をやって手入れをしたり、庭の雑草を抜いたりして万全に備えるのがふつうでしょう。  しかし、利休がしたことは正反対でした。利休は当日の朝、なんと庭の朝顔の花をすべて摘み取ってしまったのです。

茶室の数寄屋は「好き家」だ、そうです

(※前略)「グレースの神より多く、ミューズの神より少ない」と言う言葉を思い出させるような五人しか入れないしくみの茶室本部と、茶器を持ち込む前に洗って揃えて置く水屋と、客が茶室に入れと呼ばれるまで待っている玄関(待合=まちあい)と、待合と茶室を連絡している庭の小道(路地)とから成っている。茶室は見たところなんの印象も与えない。それは日本のいちばん狭い家よりも狭い。それにその建築に用いられている材料は清貧を思わせるように出来ている。しかし、これは全て深遠な芸術的思慮の結果であって

書く事とnoteと生きることは三身一体。時代がわたしの中で、そうさせる…

 最近、筆が止まっている。集中できない。理由は、わからない。いつもは敏感に反応する心のセンサーが、ここ数日、機能を停止している。いつも通りのスケジュールで動いているのに、何かが違う。  焦っても仕方がないと自分に言い聞かせる。そんな事を書いていると、筆が止まっている一番の原因が見えて来た。それは、等伯の資料が手に入っていない事だ。どうして手に入っていないかというと、茶器に小遣いを使いすぎて、ヤフオクの自粛を自分に課しているからだ。「貧すれば鈍す」と学生時代に仲間内で、よく言

「天下一のお点前でした」と、利休の言葉の意味した事 -⑩

 私が隔週で通っている銀座の歌舞伎座の側にある茶道教室。そこの先生は、多分、特別講師のような事をしていて地域の小中学校や、もしくは大学で、授業の枠を持っているのだろうと思われる。  先日、先生から「蜻蛉さん。よかったら、これをお貸しします。蜻蛉さんには、特にこの辺りがピッタリかも知れませんね」と、教科書を渡された。しかも、欄外のあちこちに書き込みがされている。どうも、どこかの高校あたりで、授業で使ったものらしい。  家に帰って早速読んでみた。「利休の逸話」といいうページで

茶道における男性の袴の重要性

 せっかくの写楽の版画ですが、今回のテーマが「袴」のため、こんなトリミングになりました。失礼いたします。  今日は、茶道のお稽古でした。まっ、いいだろうと、着流し姿でお稽古に行ってしまい、さっそく先生に「指導ー1」をいただいてしまいました。 「蜻蛉さん。お茶を始めたばかりの方は着流しでのお稽古の参加は、できれば避けてください」  いままで三度、着物に袴の格好で、お稽古に出席していた。しかし、袴を履いていたのは個人的な理由からであって、作法のことは知らなかった。それで今回