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茶道は自然と美学と知識の、大人の謎かけ遊び!

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記事一覧

友の死後、伯牙は琴を二度と弾かなかった

 中国のテレビドラマをhuluで観ていた時、時代劇に使われていた「知音」という言葉が耳に入った。ほとんど中国語は分からないが、この一言は耳に飛び込んできた。  中国の古典「呂氏春秋」に出てくる古事である。琴をとても上手に弾く伯牙。そして彼の弾く曲を正確に理解する友の鐘子期。彼が死んだ時、伯牙は琴の弦を切って、二度と琴を弾くことはなくなった。最良の理解者を失った伯牙にとって、琴を弾く意味がなくなったからである。  そんな中国の故事が、現代の中国のテレビドラマの時代劇に使われてい

お茶室でデジャブー=既視感

 世の中に、あっても不思議じゃない事の一つに、思わぬ場所で同じ社中の人に出会う事。当然、ありうる。ただ、そうなる事を一切、想定していなかった。そのため思いもかけない場所で、突然、 「ごきげんよう」  と挨拶されて、その時はまさか俺に言ってる? と惑って挨拶を返せなかった。だだ、声のした方へ視線を向けて訝しげな表情を浮かべた私に、彼女は微笑んでいた。そこにいた女性は、最近配置転換で移動してきた女性だった。しかし、私に「ごきげんよう」と声をかけてきたからには、同じ茶道教室に通う兄

もりくる月の影見れば……

 木の間より もりくる月の 影見れば           心づくしの 秋はきにけり  古今和歌集の読み人知らずの一句である。なんとも優しさに溢れた一句ではないだろうか。心の悲しみを、訳もわからないうちに癒されてしまう様に思える一句である。  最近、ずっと漢詩ばかりを読んでいた。 「漢詩は志を表し、和歌は心を表している」  と何かに書かれていた様に思う。  漢詩ばかりを読んでいると、頭の中がロジックで固まったように思えてきた。そこで口直しに和歌を読んでみた。一発で、心を撃ち抜

一つの欲望が消え「看脚下」を実感した瞬間

 近頃、ずっと気に掛かっていたことに一区切りついた。諦めることができたと言った方が正しいだろう。そうなると気分が一新して気が楽になった。気持ちがスッキリして、次の一歩を踏み出す気力が湧いてきた。自分にとっては、この上なく、いい状況である。  どうして踏ん切りがついたのかというと、自分を誤魔化したのではなく、自分の気持ちの赴くままに突き進んでみたのである。当然、経済的にも痛手を負った。だが、それ以上に気持ちが晴れたことが、私にとっては大きな収穫だった。そのおかげで、自分の足元を

「澗水湛えて〜」、字面のままに涼を味わうのが、一番!

「カゲロウさんは、茶箱の準備を一人でできないの?」  水屋で講師の方の手を借りながらお稽古の茶箱の準備をしていた私に、容赦のない先生の声が、お茶室から聞こえてきた。思わず手が止まってしまった。そして講師の男性と目が合い、私は苦笑いを浮かべた。  幸いなことに茶箱のお稽古は先生ご自身では無く、もう一人の男性講師の方が担当だった。  そうはいっても、流れる様なお点前とは行かない。講師の男性とアイコンタクトを取りながら、なんとかお点前は進んで行った。私たち二人のコンビネーションを、

「鹿鳴館」と中国最古の詩集「詩経」に納められている詩

 日比谷公園の東側、帝国ホテルの南隣り辺りに「鹿鳴館」があった。明治時代の日本の外交の最前線だった。その名前となっている「鹿鳴」の出典をご存知の方は少ないと思う。  たまたま漢詩の解説本を読んでいて、偶然に知った。中国の最古の詩集と言われる「詩経」に「鹿鳴」と言う漢詩が載せられていた。詩の解説に、 「鹿が鳴く様をもって、大切なお客様を賑やかな宴席で歓待することを表している。鹿鳴館の名は、この詩に由来する」  と、大要、この様に説明されていた。  長年、その名の出典など気に留め

春慶塗の鶴瓶の水差しに、「もらい水」の銘の付いたお茶杓の説明……

 先日の茶道のお稽古は、木製の春慶塗の水差しである「鶴瓶」を使った薄茶のお点前だった。  扇子を自分の膝前に置いて先生に、 「鶴瓶の薄茶のお稽古、よろしくお願いいたします」  と挨拶し、お客様の方に向きを直して、 「お客様、よろしくお願いいたします」  と一言。そして、お点前が進んで、いつもの「棗とお茶杓」の問答になった。  お客様から、 「お茶杓の作は?」  と聞かれて私は、 「鵬雲斎大宗匠にございます」 「御銘は?」 「もらい水、にございます」  するとお客様は、そのまま

夢幻能 業平の装束を着て

 ここしばらく、心の旅の後遺症を引きづりながらも、茶道のお稽古の「茶杓の銘」を探す作業だけは続けている。どれだけ気力が失せても、そんな時ほど茶道の先生の、 「カゲロウさん、こちらへ。あなたはねっ……」  と、叱咤激励する時のお顔だけは、時を選ばず現れては消えて行く。先生の存在が私の中で、とうとうここまで来たのかと感慨深いものを感じる。  そんなことで、いかに心が折れている時でも最近は、濃茶の「お茶杓の銘」のために「漢詩」のページを開くようになった。そんなおり、一片の詩に出会っ

「心の旅」の果てにたどり着いた「人の振る舞い」の意味

 この1年余り、私は日常生活の空間をそのままに、「心の旅」をして来た。日常生活は全く変わらないのだが、意識の上で全く違う世界で、多くのことを学ばせてもらった。あえて詳しいことは書かない。そこはご想像にお任せする。  その一年余りの「心の旅」の果てにたどり着いた場所は「気配り」、果ては「おもてなし」や「人の振る舞い」の「意味」だった。その結論に達した最後の決定打となったのは、一流と言われている人の「一言」だった。その一言は、私の発した「気配り」に対する、相手の方からの「気遣いの

腰から下げた紫の帛紗は、娘との幸せの記憶

 先日の茶道のお稽古でのお点前は、惨憺たるものだった。気持ちが落ち込み気味のまま、娘と銀座でランチの約束があるため、待ち合わせの場所へと急いだ。当然、お稽古の着物に袴姿のままである。焦り気味でお茶室を後にした。  約束の時間にお店に着くと、お店のスタッフは、 「お連れ様がつい先ほど、お着きになりました」  と、笑顔で席に案内してくれた。  お店は、日本料理を出す由緒ある旅館の東京の支店。  臨月を迎えた娘と楽しく和食のランチを終えた。娘は帰りに、三越で友人へのお返しのプレゼン

「一斗詩百篇」は、言い訳

 近頃、どことなく気の晴れないままに日々を過ごしている。その一番の原因は濃茶のお手前が全くできないことである。  まず、お茶室の風炉の隣りに水指とお茶入れを据えておくことすら忘れている。そこで「月夜の千回濃茶お点前」を決意をしたものの、その準備すら手につかない。なんとか意を決して試みると、その難しさは薄茶が簡単に思えてくるほどである。しかし、私には、その薄茶すらまともに点てられないが。  そんなことを考えながら、昨日は二回ばかり濃茶を点ててみた。そこで、塗り蓋の水指が無いこと

Myお茶碗から紐解く、茶道の濃茶と落涙ストーリー

 浅田次郎先生の「蒼穹の昴」を読み返している。というのも本来、濃茶のお稽古が本格化して、茶杓の銘も禅語や漢詩からピックアップする作業に専念する時期。しかし、先日、「Myお茶碗」で失敗したショックがトラウマとなって、自宅にある練習用のお茶入れに手が伸びない。お茶入れは丹波焼の肩衝。お茶入れの紐の練習を、この丹波焼のお茶入れでやっていた。しかし、My黒楽茶碗で先生に、 「ご自身のお点前がしっかり出来ていないと、せっかくのお道具の価値も半減ね」  とのお言葉をお稽古の最後にいただき

十六代目、樂吉左衛門、篤人のお茶碗

 お点前もさることながら、お茶碗についても先生の言葉を借りれば、 「普段使いには、丁度いいお茶碗だと思います。使い込めば、もっといい趣が出てくると思います」  と、最高の褒め言葉をいただき、私のハートはズタズタに引き裂かれてしまった。しかし、このことがあったからこそ、今まで耳にしてきた先生の言葉のいくつかが、より鮮明に、より確かに私の心に刻み込まれた。  その一つは、「MAY お茶碗」の意味である。 「マイ•お茶碗でお稽古をすると、上達が早くなりますよ」  と言われたこと。

白居易の「酒に対する」に、お茶碗の銘にいいのがあった

 先日の李方子作のお茶碗には、お茶室に居合わせたみなさんに、幸せを少し分けていただきました。それで気を良くした私は、次の作戦を練ることにしました。選んだ漢詩は、白居易の「酒に対する」です。この漢詩は五首連作の作品だそうですが、特に有名なのは二首目だとか。 蝸牛角上に 何事をか争う 石火光中 この身を寄する 富に随、貧に随う しばらく歓楽せよ 口を開いて笑わざるは これ痴人  上記の漢詩から「口を開いて笑う」の「口開笑」にしました。  白居易と言う詩人は70歳代で退官し、そ