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芸術家を超え芸術そのものに…段々、欧米人向け冗談に思えて来た

《(※前略)ゆえに、茶の宗匠たちは茶室で得た風流の高い規範で彼らの日常生活を律しようと努めた。》

 茶室で得たあらゆる「美」を、茶の匠たちは日常生活に昇華させようと努めた。そしてさらに、こうとも……。

《全ての場合に平静を保たねばならぬ。そして談話は決して周囲の調和を乱さないように行わなければならぬ。着物の格好や色彩、身体の均衡や歩行の様子など全てが芸術的表現でなければならぬ。これらのことがらは軽視することのできないことであった。というのは、人は己を美しくしてはじめて美に近づく権利が生まれるのであるから。かようにして宗匠たちはただの芸術家以上のものすなわち芸術そのものになろうとつとめた。》

 彼の国の格言にも似た様なものがあった

《人は美しくなければ、生きる資格は無い》

 そうまでいうか、と反撃したくなるが、一部認めたくもある。そういうお前はどうなのか、と問われると、お腹まわりは、生きる権利を剥奪されるかも知れない。しかし、お腹周りの効果で、茶道のおっしょさんには「蜻蛉さんは、見た目は大茶人ね」とお褒めの言葉をいただき、どこぞの企業の信用度を調査している社長には「あなたの立って待っている姿が、良い」と、よくわからないお褒めのお言葉をいただいた。

 で、今回の結論は、「茶の本」から窺い知れる偉大なる岡倉天心は、けっこうユーモアのセンスに満ち溢れたお人柄だ、と結んでおきたい。

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