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書く事とnoteと生きることは三身一体。時代がわたしの中で、そうさせる…

 最近、筆が止まっている。集中できない。理由は、わからない。いつもは敏感に反応する心のセンサーが、ここ数日、機能を停止している。いつも通りのスケジュールで動いているのに、何かが違う。

 焦っても仕方がないと自分に言い聞かせる。そんな事を書いていると、筆が止まっている一番の原因が見えて来た。それは、等伯の資料が手に入っていない事だ。どうして手に入っていないかというと、茶器に小遣いを使いすぎて、ヤフオクの自粛を自分に課しているからだ。「貧すれば鈍す」と学生時代に仲間内で、よく言っていたものだ。

 渋谷の道玄坂での取材を終えて、社に帰る30歳台の記者とカメラマンを乗せた。アイドルグループを卒業して、舞台から再出発するという女性タレントの取材だったようだ。二人の会話は、いつしか精神科医の話になっていた。「心の混乱を整理するために書くという作業は良いと、精神科医が言っていた。自分のことを客観的に見られて、心を整理することができると」

 私は後ろを振り返ることもなく、二人の会話に割って入った。

「私も心の整理のために毎日書いていて、noteと言うサイトにアップしてます」

 といってスマホのnoteのサイトを見せた。そして、

「noteに書いている人に『書く事は生きる力になっている』という人は多いですよ」

 と教えた。

「そうなんですか。わぁ、フォロワーが400人もいる。これを通じて仕事の依頼とかも来るんですか?」

「来ます。だから、駆け出しのウェッブ・ライターとか一生懸命、自分を売り込むための記事をアップしてます」

「そうか。俺もそろそろ始めないと、まずいかな?」

 と、第一線の芸能記者が言った。

「始めるんなら、やはり、早いに越したことはないですよ」

『庭の草をむしりながらでも、かぶらを切りながらでも、また、お茶をくみながらでも、いくつもいくつも重要な論議がつぎからつぎへと行われた。茶道いっさいの理想は、人生の些事の中にでも偉大を考えるというこの禅の考えから出たものである。道教は審美的理想の基礎を与え、禅はこれを実際的なものとした。』(岡倉天心著「茶の本」より)

創作活動が円滑になるように、取材費をサポートしていただければ、幸いです。