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「偉い茶人は皆禅を納めた人」−岡倉天心

 日本人が初めて英語で書いた本、岡倉天心の「THE BOOK OF TEA」。この本は明治39年(1906)、米国ボストン美術館で中国・日本美術部長を務めていた天心が、ニューヨークの出版社から刊行した。茶道を仏教(禅)、道教、華道との関わりから広く捉え、日本人の美意識や文化を解説している。この本によって日本の茶道の詳細が世界に知られるようになった、と言って過言ではないだろう。と、茶道を始めて三ヶ月の私ごときヒョッコが言うべき事ではない、とは思うのだが。

 しかし、敢えて、この場を借りて言いたい。岡倉天心のこの一冊は世界の「日本の茶道」の概念の、基礎になっているということを。これは、我見ですが、状況的にそうとしか思えない。

 その中の一文に、《わが国の偉い茶人は皆禅を修めた人であった。そして禅の精神を現実生活の中に入れようと企てた》とある。

 私も、上記の記述の通りであると信じて、「茶道教室の門」を叩いた。もし、「茶禅一味」が虚妄であるならば、歴史小説の糧にはならない。戦国時代の武将たちが、こぞって茶道にのめり込んで行った現象には織田信長の力もあるだろうが、そこには彼等武将たちが乱世の中で生死の狭間を生きて行く縁(よすが)となり得るものが茶道には包含されていたからだ、と考えたからなのである。だから、興味を持ち、資料を読み込む日々が続いている。

 もし、天心のこの一文が虚妄であるならば、日本の「茶道」は精神性の薄弱な、単なるセレモニーでしかなくなる。「様式美」の伝承が六百年あまり綿々と受け継がれて来ただけになる。

 さらに茶室の床の間の「お軸」に禅語が多くいのも、そのことによるのだと思う。また利久もそうだが、「わび茶」の開祖と言われる村田珠光。彼は奈良称名寺の僧で諸国放浪ののち、京都の大徳寺の一休和尚に参禅。かたわら茶事にも精進し「茶禅一味」の境地を会得した、と言われている。

 最近は「茶道」というと女性の参加が多いようだが、元は男性が主体だった。ゆえに、もっと男性が興味を持ってもいいと思うのだが。みんな、仕事が忙しいからなぁ……。


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