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「がんばる」ことと、承認欲求について

「こんなにがんばっているのに、どうして認めて(褒めて、労って)もらえないんだろう」

日頃はさほど思わなくても、疲れていたり、忙しかったり、仕事が立て込んでいたりすると、このような思考が頭をよぎることがある。

そういうときに、ときどき思うのだ。
「どうしてこんなに、(労られるわけでも褒められるわけでもないのに)がんばらなければならないのだろう」と。

がんばっていたら、そのがんばりを、認めてほしい。
がんばっていたら、その努力を、褒めてほしい。

多かれ少なかれ、少なくない人が感じたことがあるんじゃないのかと思う。
そしてふと思った。
「がんばる」ことは、えらいのだろうか、と。



そんなことを考えていたら、昨日ゆうすけ先生の以下のnoteを読んだ。

こちらのnoteによると、「がんばる」ことには、「忍耐・辛抱」のニュアンスが含まれているらしい(最近はもっとポジティブな意味合いでも使われているそう)。

忍耐して、やりとおしている。
困難に屈さず、努力しつづけている。

だから、えらい、と言ってしまうことは簡単なのだけれど、なんとなくモヤモヤしたものが胸に溜まる。

それでもたぶん、心のどこかで、「がんばることは、(褒められるに値することだから)えらい」と思っているのかもしれない。

わからないけれど、思っている確率は低くはなさそうだなぁ。
でないと、「こんなにがんばっているのに、どうして認めて(褒めて、労って)もらえないんだろう」とか、思わないような気がする。

「がんばる」ことについては、もう少し考え続けてみたいな。

今週末は台風がやってくるらしいので、がんばらないでおこう。身の安全が第一。

どうか、無事に過ごせますように。

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