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人生のマジックアワー、その瞬間ー『明け方の若者たち』を読んで

今さらながら、6月11日に発売されたカツセマサヒコさんの『明け方の若者たち』を読んだ。
タイトル、帯文、装丁からして、多かれ少なかれ自分の好みの小説であろうとは思っていた。

読んだ結果、どうも自分でも思ってもみなかったような感想が出てきたので、noteにまとめてみようと思う。(以下、ネタバレ含むかもしれません。未読の方はご注意ください。)

◇◇◇

この小説は、主人公の「僕」が、明大前の沖縄料理屋で出会った「彼女」と出会うところから始まり、「僕」が大学を卒業し社会人になってからの数年間を描いてる。

「私と飲んだ方が、楽しいかもよ?笑」
その一言で、沼のような5年間が幕を開けた。
初見で、なんて上手いんだろう、と思わずにはいられなかった。誘い文句として、およそ日常で聞いたことがないとすら思うのだけれど、それでもこの小説においては寸分の狂いもなく、そこに当て嵌まっているかのようだった。

個人的に印象深かったのは、主人公と尚人が入社3年目の時点で、「こんなハズじゃなかった人生」に対し、「このままでいいんだっけ?」を繰り返して悶々とする日々を過ごしつつも、その会社に留まって仕事をしている描写だった。

私は学生時代、「やりたいこと」がないことに悶々としていた。
働き始めたとき、「仕事をしたい場所」はあっても、「やりたい仕事」はあってないようなものだった。(ちなみに、その時やりたいと思っていた業務にはしばらくして配属され、諸々の事情もあるがやった結果、あまりにも不向きなことが判明した。早めにわかってよかったと心から思う。)
そのため、入社1~2年目の段階で、「やりたい仕事がやれない」というような悩みとはあまり縁がない、というよりは考えないようにしていたので、主人公や尚人の葛藤は、なんだか新鮮だった。

◇◇◇

“クリエイティブ”に憧れる主人公と尚人は、私から見ると「夢組」そのもののような存在だな、と思う。(ちなみに、「夢組」という言葉は、サクちゃんさんの著書『世界は夢組と叶え組でできている』より借りている。)
それでやりたいことがやれていないんだとしたら、まあ悶々とするだろうな、と思う。

そのくらいには、私の場合主人公と尚人には共感するポイントが少ない、と思うのだけれど、ここに「彼女」の存在が入ってくるだけで、まったく違ったものになる。

「彼女」と主人公が過ごした日々、そしてその後。その日々は、どん底も含めて、なんて輝かしく、美しいものなのだろう、と思う。まるで青春のすべてをそこに注ぎ込んだような時間だ、と思った。泡沫のような日々。夜と朝の間、現実と夢の狭間。

そして不思議なことに、その儚いような日々のきらめきは、何故かわからないけれど、まるで自分のことのようにも感じられるのだ。自分を顧みたとき、ああ、あの日々のことだな、こんな感じだったな、と感じられる時間が存在する。痛くて切なくて、それでもうつくしい。懐かしい、といっても過言ではないのかもしれない。

そのことが、何より不思議でならない。主人公にも尚人にも彼女にも、個々で見れば共感する点は少ないにもかからず。

「それでも、振り返れば全てが美しい。
 人生のマジックアワーを描いた、20代の青春譚。」
帯文に書かれたその言葉が、この小説のすべてを表しているかのようだった。

◇◇◇

懐かしい、と感じるのは、私にとってはその時間がまだ比較的最近だからだろうか。また何年か経って読んだら、違う感想を抱くのかもしれない。数年後の自分の感想が楽しみだな、と今から少しわくわくしている。

とにもかくにも、いろんな方に読んでほしいです。
「何者にもなれない」「こんなハズじゃなかった」現実に悶々としている人にとってもそうじゃない人にとっても。きっと、なにかしら響くところがあるでしょう。そしてその時間こそが、人生のマジックアワーになるかもしれません。


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