「ねえ」

「ねえ」

「うん?」

「この船に乗って、何処かに行かない?」

「え?」

「この船奪って何処か連れてって」

ポンポン船が一艘、隅田川に繋がれているのを見ながら、彼女は言った。
絵本に出てくるような、可愛らしい船だった。

「それは」

彼はそこで言葉を止めた。

だめだ。
魅力的過ぎる。
そんなこと言われたら、そうせざるを得なくなるほど、引き込まれていた。

だめだ。
こんなこと、現実に口にできる女がこの世に何人いるだろう?
そんな女が欲しかった。男は思った。生身の身体を持って、現実に、ここにいる。そして、手を繋いでいる。

「人がいるよ。警備船って書いてあるよ」彼は言った。

「ほんとだ」彼女は言った「えいって。すぐ岸だから。ごめんねって」くすくす笑いながら言った。

冗談だとしても、彼の気持ちは半分そうしようかな、と傾きかけていた。

「あなたの長い足でえいって」

彼女はそんな仕草をしながら言った。
くすくす笑っていた。

「ごめんね、ちょっと借りるね、とか」彼は言った。

「そうそう」彼女は楽しそうだった。

二人はポンポン船を通り過ぎて言った。

「ねえ、この船に乗って、何処かに行きましょうよ」

「素敵な考えだね」

二人は歩きながら笑って言った。

隅田川の水面には夜景が映り、キラキラと輝いていた。

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