モーツァルトの弾いたピアノ③:アンシャン・レジームのピアノ事情(188)
1778年の3月から9月にかけてモーツァルトは求職活動のためにパリを訪れています。この三度目のパリは苦難に満ちたものとなりましたが。
上に引用したのはモーツァルトが父親への手紙の中でド・シャボー公爵夫人 Elisabeth Louise de La Rochefoucauld (1740 - 1786) を訪問したときのことを回想しているところです。この訳者は、昭和18年という時代的に致し方ないことながら、「Clavier」を全部「ピアノ」と訳してしまっているので注意が必要なのですが、この「ひどいぼろピアノ」は原文でも「miserablen Elenden Pianforte」なので、間違いなくモーツァルトはここでピアノを弾いています。
1716年のジャン・マリウスの「Clavecin a maillets」の特許がフランスのピアノの始まりと言えますが、これは外国の発明の盗作であるという物言いがついたために頓挫し、おそらくすぐに忘れられたようです。
フランスでは18世紀後半になっても鍵盤楽器の主流はクラヴサンで、ピアノといえばイギリスから輸入したスクエア・ピアノが主なものでした。
フランスの文化人のピアノに対する見解はあまり好意的なものではなく、1774年にテュイルリー宮殿でイギリスのピアノを聴いたバルバトルは「新参者がクラヴサンの王座を脅かすことはないだろう」と述べ、ヴォルテールは1775年に「クラヴサンに比べればピアノフォルテは金物屋の楽器に過ぎない」とこきおろしています。
とはいえバルバトルは1770年に出版したノエル集の対象楽器に「FORTE PIANO」を加えているのですが。また彼自身もブランシェのクラヴサンを改造したピアノを所有していたようです。ついでに言えば彼の最後の作品も《ラ・マルセイエーズ》のピアノ編曲でしたね。
フランスはイギリスからツンペや「十二使徒」のスクエア・ピアノを盛んに輸入していましたが、スタンドだけはフランス風の優美な物を現地で誂えました。
ところでこの楽器のネームボードは「Johannes Zumpe Londini fecit 1778」となっていますが、1769年から1778年にかけてのツンペのピアノはブンテバートとの連名であるはずなので、ツンペ単独のこれは偽作の疑いがあります。ツンペのピアノはフランスでも品薄で、フランス製の模倣品や偽作が横行していました。モーツァルトの弾いた「ひどいぼろピアノ」もその手の代物だったのかもしれません。
なお、この時モーツァルトが演奏したのは《フィッシャー変奏曲》K.179/189a、ヨハン・クリスティアン・フィッシャー (1733-1800) の《オーボエ協奏曲 第1番 ハ長調》の終楽章の主題による変奏曲です。
こちらのコブコレクション所蔵の同じく1778年のツンペは間違いなく本物。しかもJ.C.バッハのサイン入りです。
この楽器はパリ近郊のサンジェルマン・アン・レーで保存されていたもので、J.C.バッハは1778年8月に同地を訪れていることから、その際に持ち込んだものではないかと考えられています。彼はツンぺの宣伝塔であり、ピアノ販売の窓口も請け負っていたようです。彼の直筆サイン入りのピアノは他にも知られています。
そしてこの時モーツァルトもまたサンジェルマンにいて、J.C.バッハとの再開を喜んでいます。7月3日にパリで母を亡くした悲しみも少しは慰められたでしょうか。
残念ながら服部訳にこの手紙は含まれていないので、私の翻訳で勘弁願います。
テンドゥッチ Giusto Fernando Tenducci (c. 1738-1790) はシエナ出身の主にイギリスで活動したカストラートで、J.C.バッハとはオペラ《Adriano in Siria》(1765) 以来の付き合いです。
この時モーツァルトが彼のために作曲した曲(K. Anh. 3/315b)は残念ながら失われていますが、しかしその編成には確かに「piano-forte」の文字が見えます。サイン入りのツンペのピアノがノアイユ元帥 Louis de Noailles, Duke d’Ayen (1713-1793) のためのものだとしたら、テンドゥッチの舞台で使用されたのもこのピアノでしょう。そしておそらくモーツァルト自身が演奏したのではないでしょうか。
フランスもスクエア・ピアノばかりであったというわけでもありません。
ゴットフリート・ジルバーマンの甥のヨハン・ハインリヒ・ジルバーマン(1727-1799)はストラスブールでやはりクリストフォリ式のピアノを製作していました。しかし1台1500リーブルという法外な価格ではとても普及は望めませんでした(それでもパリに4台存在したという)。
フランスで作られた最古のピアノという触れ込みで2022年にオークションに出たのが、ヨハン・キリアン・メルケン Johann Kilian Mercken (1743-1819) が1768年頃パリで製作したものと見られるグランド型ピアノです。ちなみにそれまでフランス最古だったものも同じくメルケンの1770年製のスクエア・ピアノでした。
メルケンのグランド・ピアノのアクションは、低域はクリストフォリ=ジルバーマン式ながら、高域はエスケープメント無しの Prellmechanik というハイブリッド型です。これは改造の結果ではなく元からこうであるらしい。メルケンはアーヘン出身で1767年にはパリに移住していますが、それまでにストラスブールのジルバーマンの元で学んだものと思われます。
モーツァルトがパリでこういったハイエンドモデルに触れる機会を得られたかどうかは、まあ無きにしもあらずというところでしょうか。
このパリ時代のモーツァルトの鍵盤作品といえば、無論有名な《ピアノソナタ 第8番 イ短調》K.310/300d ですが、この悲壮な傑作は異例なほどダイナミックな強弱表現が要求されているため、ツンペのスクエア・ピアノでは些か荷が重すぎるかもしれません、ジルバーマンなら申し分ないでしょう。
とはいえモーツァルトをジルバーマンやクリストフォリで弾く人はまずいないと思います。大概はウィーン式のフォルテピアノでしょう。
いっそパリらしくクラヴサンの演奏はどうでしょう。自筆譜に見られる綿密な強弱指示を無視することになりますが、これはこれで壮絶。
Giulia Nuti『Les Sauvages 革命前夜のパリのハープシコード』(2014)使用楽器は1788年製パスカル・タスカンのオリジナル。
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