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ライデン瓶について、後編1:電気砲列と七面鳥

1746年1月にミュッセンブルークらの実験がフランス科学アカデミーで取り上げられると、この「ライデン瓶」を使用した電気実験は絶大な反響を呼びおこしました。

ライデン瓶は電気を貯めるものというより、起電機の出力を増大させるブースターと捉えたほうが良いでしょう。一般的なライデン瓶の静電容量は1000pF程度ですが、これを付加することで摩擦起電機の出力は2桁アップします。ライデン瓶は、それまでせいぜいちょっと火花を飛ばす程度であった電気の力を、人が命の危険を感じるレベルにまで引き上げたのです。

Bernard S. Finn, Output of Eighteenth-Century Electrostatic Machines, The British Journal for the History of Science, Vol. 5, No. 3 (Jun., 1971), pp. 289-291.

しかしながら、ミュッセンブルークは結局のところ既成のガラス容器をそのまま使用していたわけで、それに何か工夫を加えたりしたわけではありません。これをライデン瓶の「発明」と呼ぶのは、少し違和感がありますね。

器具としてのライデン瓶の改良は、まず、ヨハン・ハインリヒ・ヴィンクラー (1703-1770) が、ガラス瓶を直接手で持たずとも、鉄の鎖を巻けば良いことに気づきました。これでもう毎度感電せずに済みます。

ウィリアム・ワトソン (1715-1787) は水の代わりに鉄粉や水銀を入れても機能することを確認。

彼の共同研究者であるジョン・ベヴィス (1693-1771) はガラス瓶の外側を金属箔で覆うことを考案し、さらに両面に金属箔を貼ったガラス板でも電気を蓄えられることを発見します。

そこでワトソンはガラス瓶の内外に金属箔を貼ることで水を不要としました。こうして早くも1747年頃にはライデン瓶の基本仕様が完成します。

一方その頃、大西洋を隔てた植民地アメリカでは、ベンジャミン・フランクリン (1706-1790) が電気研究に取り組んでいました。

彼はライデン瓶が電気を貯めているのは水ではなくガラスである、ということをワトソンとベヴィスとは独立に発見し、同様にガラス板の両面を金属で覆った形のコンデンサーを作っています。

18. これに基づいて、我々は「電気砲列 (Electrical Battery)」と呼ぶものを作りました。これは両面を薄い鉛板で覆った11枚の窓ガラスを縦に置き、絹糸で2インチの間隔に保持したものです。

その両面から、互いに離れた位置で上に立てた鉛の太い針金のフックがあり、送り側と受け側を針金と鎖で連絡することで1枚のガラス板にチャージするのと同じ労力ですべてにチャージできます。

さらにもう一つの工夫は、チャージ後に送り側と受け側に1本づつ接続する長い針金です。この2本の長い針金によって、環になった動物の体に、全ての板の力を一度に与えることが出来ます。板はそれぞれ個別に、あるいは必要な数だけディスチャージすることもできます。

しかしこの装置はあまり使っていません。10番の理由により、チャージのやり易さの点で我々の意図に完全には応えられなかったからです。我々は大きなガラス板でこれから説明する魔法の絵や自動車輪も作りました。

19. 私は最近入手した創意的なワトソン氏の最新の著書によって、ベヴィス博士が我々よりも先にガラス板を用いて衝撃を与えていたことを知りました。私はその本がもたらされるまでは、これを新発明だとあなたにお知らせしようと思っていたのです。

ここで説明をお許し願うのは、我々が異なる実験をし、異なる結論を引き出したからです(ワトソン氏は依然として火がガラスに接触している非電気質に蓄積していると考えているようですが p.72)そして我々がこれまで知るところは、さらに先に進んでいるのです。

Letter from Benjamin Franklin to Peter Collison dated April 29, 1749

この電気砲列 (Electrical Battery) というのがバッテリー(電池)の語源です。チャージ(充電)やディスチャージ(放電)というのもフランクリンが使い出した言葉で、本来は「装填」「発砲」の意味。物騒ですね。

ガラス板の「バッテリー」は実用的ではなく、結局普通のライデン瓶を並べるようになります。現存するフランクリンのバッテリーとされるものは、35個のライデン瓶が使用されています。

"Electrical battery" of Leyden jars, 1760-1769
http://www.benfranklin300.org/frankliniana/result.php?id=72&sec=0

後に電池がバッテリーと呼ばれるようになったのは、これもたくさんのユニットを連ねるものだったからです。

Alessandro Volta, On the electricity excited by the mere contact of conducting substances of different kinds, 1800

電気は興味の尽きない研究対象でしたが、それが何の役に立つかといえば、18世紀の地点では、せいぜい見世物か、あるいは胡散臭い疑似医療ぐらいにしか使い道がありませんでした。

フランクリンもこれを遺憾に思っており、前掲の手紙の最後では電気を活用した愉快なパーティーを開く計画を披露しています。

些か悔しいことに、我々はこれまで人類の役に立つものを何も発見できていません。そして電気実験にはあまり好ましくない暑い季節がやってきます。そこで今シーズンの電気実験をちょっとユーモラスに終えるため、スクールキル川の岸辺でパーティを開催しようと思います。そこでは川の岸から岸に送られるスパークによってスピリッツが同時に点火されます。我々のディナーのために七面鳥を電気ショックで殺し、電気瓶でおこした火の前で電気ジャックでローストします。そしてイギリス、フランス、ドイツの全ての有名な電気学者の健康を祝って、電気砲列の祝砲の元、帯電したバンパーで乾杯するのです。

To Peter Collinson Esqr. F.R.S. London

Letter from Benjamin Franklin to Peter Collison dated April 29, 1749

これは冗談ですが、フランクリンは後に実際に七面鳥を電気で殺す実験をしています。

箔付きの大きな薄いガラスの瓶2つ(それぞれ約6ガロン、フルチャージには直径9インチの球を2000回転しなければならないもの、これは普通の半パイントの瓶ならうまくすれば50回転でチャージ可能)は、普通の雌鶏を即死させるのに十分であることを我々は発見しました。しかし七面鳥は激しい痙攣に陥り、その後数分間死んだように横たわっていたものの、15分も経たない内に完全に回復しました。しかしながら、私とキナーズリー氏の瓶を合わせて5つ不完全にチャージしたもので10ポンドの七面鳥を殺しました。もっと大きなものでも殺せたと思います。私見では、この方法で殺した鳥は食べると非常に柔らかいです。

Letter from Benjamin Franklin to Peter Collinson, February 4, 1751

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