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ライムンドゥス・ルルス『アルス・ブレヴィス』日本語訳

本稿はライムンドゥス・ルルスことラモン・リュイ Ramon Llull (1232-1315) の『アルス・マグナ Ars magna(大技法)』として知られる『究極普遍技法 Ars Generalis Ultima』の著者自身によるダイジェスト版である『アルス・ブレヴィス Ars brevis(小技法)』の全訳です。

この「ルルスの術」は、記憶術が人工記憶なら、こちらは人工思考とでも言うべきもので、コンピューターの始祖、AIの萌芽、などとして概要だけはよく紹介されているものの、『大技法』はおろか『小技法』にしても、まともに原著を全訳したものは無かったと思います。

解説等は後回しにしてとりあえず訳文を。


ライムンドゥス・ルルス『アルス・ブレヴィス』(1308)

Raymundus Lullus: Ars brevis (Baland, 1514)
https://books.google.co.jp/books?id=PaVRAAAAcAAJ

序文

主よ、汝の恵みと愛によって、これより『普遍技法』の要約である『小技法』が始まる。なお『普遍技法』の始まりはこのようであった「主よ、汝の至高の完全性によって、これより『普遍技法』が始まる」。

この『小技法』は、『大技法』をより簡便に知るために書かれたものである。もしこれを知れば『大技法』のみならず他の技法も容易に知り、学ぶことができるだろう。

この技法の主題は、語の意味の知れる限りにおいて、あらゆる問いに答えを出すことである。

この書は『大技法』と同じく13の章に分かれる。

1. アルファベット
2. 図
3. 定義
4. 方式
5. 表
6. 第3図の汲み出し
7. 第4図の乗算
8. 原理と方式の混合
9. 9つの主題
10. 適用
11. 質問
12. 学習法
13. 教授法

1. アルファベット

この術ではアルファベットを使用することで像を作り、原理と方式を混合して真理の探求をおこなうことを可能としている。1つの文字を多くの事柄に対応させることで知性は多くの意味を受け取り、知識を獲得して普遍的な知に導かれる。この術を上手く活用するには、このアルファベットを覚えておかなければならない。

B:善、差、~かどうか、神、正義、強欲
C:偉大、合、なにか、天使、慎重、暴食
D:永遠、反、なにの、天、勇敢、色欲
E:力、始、どうして、人間、節制、傲慢
F:叡智、中、どれだけ、想像力、信仰、怠惰
G:意思、終、なにか、感覚能力、希望、嫉妬
H:美徳、大、いつ、生命力、博愛、憤怒
I:真理、等、どこ、元素力、忍耐、虚偽
K:栄光、小、どのように、道具、慈悲、軽佻

2. 図

第1図

Ibid.

最初の図はA図である。これには「善 bonitatem」「偉大 magnitudinem」などの9つの原理と、B, C, D, E といった9つのアルファベットが含まれている。そして「善は偉大である」「偉大なるものは善である」などのように主語と述語が相互に入れ替わるため、図は円を成している。術者は図において主語と述語の結合と、配置、均整を探求することで結論を引き出すための手段を見つけるだろう。

「善」「偉大」などの原理はどれもそれ自体で完全に普遍的なものである。しかしある原理が別の原理と組み合わされると「偉大な善」などのように従属的な原理になる。原理が個体に限定されると「ペテロの善は偉大である」などのように全く特殊な原理となる。知性は、完全に普遍的な原理から、完全に普遍的でも完全に特殊でもないもの、完全に特殊なものへと上昇下降する。これは階梯を登ることに例えられる。

この図の原理は全存在を内包しているといえる、存在が総じて善であり偉大である等の故に。例えば神と天使は善であり偉大である。したがって全存在は上述の原理に還元できる。

第2図

Ibid.

2番目の図はT図と呼ぶ。これには3つの三角形が含まれ、それぞれが一切に対して普遍的である。

第1の三角形は「差 differentia」「合 concordantia」 「反 contrarietate」を扱う。すべては何らかの形でこの三角形に属している。全存在は相違、一致、対立のいずれかにあり、これらの原理の外には何も存在しない。

三角形の角には3種類があることに注意せよ。感覚的なもの同士、すなわち石と木など。感覚的なものと知的なもの、すなわち肉体と魂。さらに知的なもの同士の差、すなわち魂と神、魂と天使、天使と天使、神と天使など。合と反についても同様である。

第2の三角形は、一切の「始 principio」「中 medio」「終 fine」を扱う。これらの原理の外には何も存在しない。

始の角にある「原因 causa」とは、起動因、質料因、形相因、目的因を意味する。「量 quantitatem」と「時間 tempus」は別の述語および、それらに帰納できるものを示す。

中の角には3種類の媒質 (medium) がある。「結合 coniunctionis」の媒質は主語と述語の間にある。例えば「人は動物である」というとき、人と動物の間には媒質、すなわち生命と肉体があり、それ無しでは人は動物ではありえない。「計測 mensurationis」の媒質は行為者と行為の対象の間に存在する。恋する人と愛すべき人の間には愛がある。「極端 extremitatum」の媒質は2点間の間のようなものである。この中の角は普遍的な知への階梯である。

終の角には3種類がある。最初の種類「欠乏 privationis」の終は、欠乏状態や喪失を示す。「終結 terminationis」は線の2つの端点のような限界を示す。「完成 perfectionis」は究極の終であり、人は自らの種を再生し、神を理解し、愛し、覚えることでこの終わりに達する。
この角は普遍的な知への階梯である。

第3の三角形は「大 maioritate」「等 aequalitate」 「小 minoritate」からなる。これもまた普遍的であり、全存在は大きい、等しい、小さいのいずれかである。

「大」の角には3種類がある。第1にある実体が他の実体に対して大である場合である。例えば天は実体において火よりも大である。第2に偶有に対して実体が大である場合である。例えば実体は量よりも大である。なぜならば実体は独立して存在できるが、量はそうではないからである。第3にある偶有が他の偶有に対して大である場合である。例えば理解は見ることよりも大である。そして見ることは走ることよりも大である。上述の「大」に関することは「小」についても同様である。

「等」の角には3種類がある。第1に事物が実体的に等しい場合である。例えば実体的に同等のペトルスとグイレルムスのように。第2に実体と偶有が等しい場合である。ある実体とその量のように。第3に偶有と偶有が等しい場合である。例えば理解することと愛することは対象が同一であれば同等である。

この角は他の三角形の角同様、知性の上昇下降のための階梯である。知性が普遍的な対象に上昇するとそれは普遍的なものとなり、細部に及ぶと特殊化する。

このT図は第1図に奉仕するものである。差異によってある善とある善が区別され、善と偉大などが区別される。知性がこの図を最初の図と組み合わせて使用すれば知識を獲得し、この図が普遍的なものであるから知性もまた普遍となる。

第3図

Ibid.

第3図は第1図と第2図によって構成されている。すなわちこの図のBは第1図と第2図のBと同じである。他も同様。

この図は見ての通り36の部屋 (camera) を有する。各部屋はその2つの文字によってそれぞれ異なる様々な意味が込められている。たとえばBCの部屋はBとCによる様々な意味を持ち、BDの部屋はBとDによる様々な意味を持つ。これらのアルファベットの意味は既に述べてある。

各部屋には主語と述語を示す2つの文字が含まれる。術者は主語と述語を結合する媒質を求めよ。例えば「善」と「偉大」を「合」によって結合するなど。術者は媒質をもって命題を結論し宣言する。

図は各原理が他の原理にどのように関連付けられるかを示している。例えばBにはCとDが割り当てられ、CにはBとDが割り当てられる。これは知性があらゆる原理の結合を知り、問題に対して多くの推論を導くためである。
例として善を主語とし、他のすべての原理を述語として示す。

善は偉大、善は永遠、善は力、善は叡智、善は愛、善は美徳、善は真実、善は栄光、善は異なる、善は一致する、善は対立する、善は始まり、善は中間、善は終わり、善は大きい、善は等しい、善は小さい。

他の原理についても同様である。この図は全く普遍的であり、知性はこれによって極めて普遍的な知識を得られる。

この図の条件は部屋同士が対立せず、結論において一致することである。BCの部屋はBDの部屋と対立しない、他も同様。これによって知性が知識を獲得する条件が整えられる。

第4図

Ibid.

第4図には3つの円がある。見ての通り外側の1つは固定だが、内側の2つは可動である。

外側の円の下で中間の円を回転させてBの下にCを配置し、中間の円の下で内側の円を回転させCの下にDを配置せよ。これによりBCD、CDEというように9つの部屋が作られる。

次に内側の円のEを、中間の円のCの下に配置すると、BCE、CDFなど別の9つの部屋が得られる。そのようにして内側の円のすべての文字が外側のBと中間のCと順に結合されるとき、BとDはCが意味するものを通じて相互に関係するため、CはBとDの媒質である。他の部屋も同様である。このように部屋を通して求める結論を見いだせるだろう。

次に外側の円のBと中間の円のDを合わせ、中間の円と内側の円を順に移動させよ。外側の円のBに対し中間の円がI、内側の円のがKとなるまでに252の部屋が得られよう。

第2図が2つの文字からなるのに対して、第3図は3つの文字よりなるためにより普遍的である。故に第4図は第3図よりも普遍的な知を与える。

第4図の条件は、知ろうとする者が目的に相応しい文字を適用することである。部屋を作成したら主語と述語の媒質の適合性を見て不適合を避けよ。そうすれば知性は第4図を通して多くの知識を築き、結論に対して多くの論拠を得るだろう。

このように述べた4つの図はまとめて理解されなければならない。これら無しに術者はこの技法をうまく適用したり実践することはできない。

3. 定義

この術は原理をその定義によって理解されるように、そして肯定や否定によって損なわれないように定義する。そうして知性は知識を構築し、媒質を見つけ、無知を追い払う。

  1. 「善」とは善きものが善きことを為す理である。

  2. 「偉大」とは善、持続などが大なる理である。

  3. 「永遠」ないし「持続」とは善などが継続する理である。

  4. 「力」とは善や偉大などが存在し作用する理である。

  5. 「叡智」とは賢者の知の理である。

  6. 「意思」とは善や偉大を愛し望む理である。

  7. 「美徳」とは善や偉大などの調和の源である。

  8. 「真理」とは善や偉大などが真実であることである。

  9. 「栄光」とは善や偉大などが安息する喜びである。

  10. 「差」とは善や偉大などの原理が混乱なく明確である理である。

  11. 「合」とは善などが単一および複数において合致することである。

  12. 「反」とは目標の違いによる相互の抵抗である。

  13. 「始」とは他のすべてに先行する順位である。

  14. 「中」とは終わりが始まりに流出し、始まりが終わりに流入するところのものであり、両者の性質を分別するものである。

  15. 「終」とは始まりの安息するところである。

  16. 「大」とは善や偉大の量り知れぬ様である。

  17. 「等」とは善や偉大などが最終的に調和して安息するところのものである。

  18. 「小」とは無に近いものである

4. 方式

この術の方式(regula)は10の普遍的な質問であり、作成されるすべての質問はこれらに集約される。

B:~かどうか (Utrum)
C:なにか (Quid)
D:なにの (De quo)
E:どうして (Quare)
F:どれだけ (Quantum)
G:なにか (Quale)
H:いつ (Quando)
I:どこ (Ubi)
K1:どのように (Quo modo)
K2:なにによって (Cum quo)

B

「~かどうか」、これには疑い、肯定、否定の3つの側面があるため、まず偏見にとらわれずにどの選択肢も可能であると仮定せよ。そして最も理解を与えるものを選択すれば、それが正しいだろう。

C

「なにか」には4種類がある。
第1のものは定義的なものである。例えば「知性とは何か」と問われたならば、答えは「理解に適合した能力」である。

第2は「知性が本質的に有しているものは何か」というような質問のものである。これに対する答えは「知る者、知識、知る行為」となる。知性はこれら無しには存在できず、性質も、目的も、休まることもないだろう。

第3は「これが他のもとにあるとき何か」というものである。「知性が他のもとにあるとき何か」という質問の答えは、知が善のもとにあれば善良となり、知が偉大のもとにあれば強大となる等、また文法の知は文法学であり、論理の知は論理学、修辞の知は修辞学である。

第4は「これが他のものに及ぼす影響は何か」というものである。「知性が他のものに及ぼす影響は何か」という質問にはこう答える「学問には知があり、信仰には信念がある」。

D

「なにの」には3種類がある。

第1は起源についてのものであり、例えば「知性は何によるものか」という質問である。その答えは「知性は普遍的なものから自然に派生するものではないので、それ自体による」。

第2は「知性は何からできているのか」というような質問である。その答えは「特有の形相と質量から成り、それによって特有の理解力を示す」。

第3は「これは誰のものか」と問うようなものである。「知性は誰のものか」という質問に対する答えは「部分が全体に属するように、馬が持ち主に属するように、知性は人間に属する」。

E

第4の方式「どうして」には形式と目的の種別がある。

第1の形式の場合は「どのようにして存在しているのか」というような質問である。すなわち「どのようにして知性は存在しているのか」という質問に対する答えは「知性は特有の形相と質量から成り、特有の理解力を示し、特有の作用をする」。

第2は目的を問うもので「知性は何のために存在しているのか」というようなものである。その答えは「事物を理解し、事物の知識を得るため」。

F

第5の方式「どれだけ」は量を問うものであり、2種類がある。

第1は連続量を問うもので、その意味で「どれだけの知性があるのか」と問われた場合、その答えは「魂の許す限りであり、その量は点や線の観点からは測ることは出来ない」

第2は離散量を問うもので、その意味で「どれだけの知性があるのか」問われた場合、その答えは「それに関わるもの、それによってその本質が広がり維持されるもの、つまり知る者、知識、知る行為と同じだけの量である。それが理論的であるか実践的であるか、普遍的であるか特殊であるかに関わらず」

G

第6の方式「どのようか」は性質を問うものであり、2種類がある。

第1は「知性自体の本質的で最も重要な性質は何か」というような質問であり、その答えは「知性自体の習性である理解能力である」。しかしながら知性が人間やライオンなど外部のものを理解するのは二次的で本質から離れた性質に過ぎない。内在的な理解の習性こそが知性の本質であり、それが外部の理解にも適用される。

第2は「知性特有の性質は何か」というようなものである。その答えは「信じる、疑う、あるいは推測するなど」。しかしこれらの行為は本来的には知性に属するものではなく、理解能力だけが知性自体に属している。

H

第7の方式「いつ」は時間に関するものであり、15種類があって『大技法』ではC、D、Kの方式で解説しているが、これは簡易版であるから簡潔にこの方式を説明する。例えばこのように問う「知性はどのように時間の中に存在しているのか、点や線で測れるものではないが」。答えは「知性は時間の中に存在している、それが始まりを持つために、そしてそれが接続されている肉体の動きを通じて継続的に存在し続けている」。

I

第8の方式「どこ」は場所に関するものであり、15種類があって『大技法』ではC、D、Kの方式で解説している。例えば「知性はどこにあるのか」という質問に対する答えは「全体の中の部分のように、知性はそれが存在する主体の中にある」しかし押し込められているのではなく、拡散しているのである。知性は点や線、面のような性質を持っていないのであるから。

K

これには方法(modalis)と手段(instrumentalis)の2つの方式がある。

前者には4種類ある。例えば「知性はどのように存在しているのか」「それはどのようにしてある部分が他の部分の中にあり、全体の中に部分があり、部分の中に全体があるのか」「それはどのようにして外部にその特徴を伝えるのか」などの質問である。その答えは「知性は主観的には上述の種の形式で存在する。客観的な知性は主語と述語の間の媒質を見つける形式である。それは感覚と想像力によって抽象化された異種を掛け合わせる図で示され、特有の知覚可能な特性で特徴づけられ理解される」

後者には4種類ある。例えば「知性は何によって存在しているのか」「それは何によって部分が他の部分の中にあり、全体の中に部分があり、部分の中に全体があるのか」「それは何によって特徴を外部に伝えるのか」などの質問である。その答えは「知性は相関関係によって存在し、それ無しでは存在することも理解することもできない。それは異種を理解の手段とし、それによって事物を理解する」。

以上、方式について述べた。これらによって知性は質問に対処する。知性は方式に導かれ、方式とその主題の意味を考慮し、原理と方式によって質問を導く。知性は原理の定義に関して疑わしい質問を退け、質問を肯定と否定を通じて理解し、正しい選択を行うことで疑念を払拭する。

5. 表

Ibid.

この表は知性を普遍へと至らしめるものである。これによって知性はあらゆる事柄の多くの詳細を理解し、そこから抽象化し、具体的で客観的な原理と主観的な方式を通じて、それぞれの質問に20の推論を適用して明らかにする。すなわち各柱の各部屋から1つの推論を引き出す。

見ての通りこの表には7つの柱がある。これは『大技法』で説明されている84の柱の一部である。この表の「t」 は、tの前にあるアルファベットの意味が第1図のもので、tの後は第2図のものであることを示している。

知性はこの表によって上昇下降する。柱を上にゆけばより前の普遍的なものに上昇し、下にゆけばより後の具体的なものに下降する。さらに柱同士が接続される。例えば柱BCDは柱CDEに接続し、他も同じである。

6. 第3図の汲み出し

第3図において、知性は部屋から汲み出し (evacuatione) を行う。すなわち知性は文字が意味するものを各部屋より読み取り、目的に適うように抽象化する。そうして知性は応用的で探究的で創造的になる。1つの部屋についての例を示す。他の部屋もこれに従う。

知性は「BC」の部屋より以下の12の命題を汲み出す。

・善は偉大
・善は相違
・善は一致
・偉大は善
・偉大は相違
・偉大は一致
・相違は善
・相違は偉大
・相違は一致
・一致は善
・一致は偉大
・一致は相違

このように主語と述語を入れ替えることで12の命題を作成し、部屋から汲み出す。

次に知性は12の媒質(media)を部屋から汲み出す。これらは主語と述語の間に位置するので媒質と呼ばれ、同様に普遍的あるいは特殊な特性を有する。この媒質によって知性は具体的な議論に備える。例えばこのように言う「偉大さによって偉大になったものは全て偉大である、そして善は偉大さによって偉大にされる、故に善は偉大である」他も同様。

その後、知性は部屋から24の質問を汲み出す。なぜならすべての命題は2つの質問を含んでいるからである。

善は偉大
・善は偉大であるのか
・偉大な善とは何か
善は相違
・善は相違するのか
・相違する善とは何か
善は一致
・善は一致するのか
・一致する善とは何か
偉大は善
・偉大は善なのか
・善き偉大とは何か
偉大は相違
・偉大は相違するのか
・相違する偉大とは何か
偉大は一致
・偉大は一致するのか
・一致する偉大とは何か
相違は善
・相違は善なのか
・善き相違とは何か
相違は偉大
・相違は偉大なのか
・偉大な相違とは何か
相違は一致
・相違は一致するのか
・一致する相違とは何か
一致は善
・一致は善なのか
・善き一致とは何か
一致は偉大
・一致は偉大なのか
・偉大な一致とは何か
一致は相違
・一致は相違なのか
・相違する一致とは何か

このように質問を汲み出した後、知性は善と偉大の定義を部屋から汲み出し、次に第2図に示された3種の相違と一致を部屋から汲み出す。さらに3種の方式Bと、4種の方式Cを部屋から汲み出す。

これらが完了すると、知性はそれに従って肯定ないし否定の答えをもって質問を解決する。こうして知性は疑念を払拭し、断定的な状態に安息する。そして知性は自らの普遍性と精妙さを認識し、広範な知識を有する存在となったことを知る。

7. 第4図の乗算

第4図では以下のように乗算 (multiplicatione) する。第4の図ないし表の最初の部屋BCDが意味するのは、BがCと一つの条件を有し、Dとは別の条件を有するということ。そしてCはBと一つの条件を有し、Dとは別の条件を有する。DはBと一つの条件を有し、Cとは別の条件を有する。これらの条件によって知性は整理、調整、調査、発見、反論、証明し、結論に導かれる。

これらの6つの条件の後、知性は最小の円を回転させ、中間の円のCの下のDの場所にEを移動させることによって別の6つの条件を得る。部屋が変化すればその条件も変化する。こうして知性は12の条件を習得し、回転によって他の部屋から更にそれを増やしていく。

このようにして増殖する条件を列挙するのは難しい。第3図の部屋BCから12の命題と24の質問を得たように、第4図の各部屋からは30の命題と90の質問を汲み出すだろう。

これによって知性は自らが他の知性よりも普遍的で精妙になったことを知るだろう。この術を知らない者の迷妄を暴くことでそれを証明するだろう。詭弁家たちはこの種の知性に対抗することはできない。なぜならこの術で訓練された知性は一次的で自然な条件を使用するのに対し、詭弁家は自然から取り出した二次的な条件を使用するからである。このことは『大技法』で説明している。

8. 原理と方式の混合

ここにおいて知性は原理を他の原理と混ぜ合わせ、定義づけられた各原理を他のすべての原理と順番に組み合わせ、また全ての方式と組み合わせる。これを実行することで知性は多くの知識を得、異なる混合をするたびにそれぞれの原理についての知識を多様化させる。先に部屋BCを汲み出したように、この混合より汲み出される結論を導くための媒質はとても数え切れない。

この混合は多くの命題、質問、媒質、条件、解決、そして反論を見つけるための中心にして基盤である。しかしそれを具体的に説明することは煩雑であるため、勤勉な知性に委ねるものとする。これは要約であり、『大技法』にはその詳細が述べられている。

この混合こそはこの技法の主題にして拠り所であり、これによって術者は望みのものを見出すだろう。もし善について知りたいと願うなら、すべての原理と方式を通じて善について推論し理解することができるだろう。善について言えることは他の原理にも当てはまる。

この混合は事物の固有の条件により秩序をもった区別のもとに行われる。なぜなら神の原理と方式によって推論する場合、神の善についての推論は天使の善よりも高級な定義と方式を必要とし、天使の善についての推論は人間の善よりも高級な定義と方式を必要とし、人間の善についての推論はライオンの善よりも高級な定義と方式を必要とするからである。これは他の原理についても同様である。

9. 9つの主題

ここではアルファベットで示される9つの主題を取り扱う。これらの主題は全存在を構成しており、これらの主題の外には何も存在しない。第1の主題は神であり、B で表される。第2の主題は天使で、C で表される。 第3の主題は天で、D で表される。第4の主題は人間で、E で表される。第5の主題は想像力で、F で表される。第 6 の主題は感覚能力で、G で表される。第 7 の主題は生命力で、H で表される。第 8 の主題は元素力で、I で表される。第 9 の主題は道具で、K で表される。

『大技法』では各主題を一連の原理と方式に組み合わせているが、これは簡易版であり、またその演繹についてはこの『小技法』にも含まれているため、ここでは立ち入らない。すべての原理を善に適用する例が第3図の箇所で示されており、すべての方式を知性に適用する例が第4章で述べられている。

この主題に関する論考ではそれぞれに4つの条件を考慮する。これらの条件にのもとに知性は定義された原理と方式を通じてこれらの主題を探求することができる。それぞれの主題はその本質と性質によって条件付けられている。神の善は神において一つの条件を持ち、天使の善には異なる条件があり、他の主題もそれぞれ独自の条件がある。方式についても同じことが言える。

第1の条件は、各主題が他と区別された固有の定義を持つことである。そして主題についての質問には、否定的であれ肯定的であれ、その主題の定義と原理の定義が合致するように答えなければならない。原理と方式を損なわないためである。

第2の条件は、実際の判断において主題の区別が保たれるべきであるということである。神の善は無限と永遠という点で天使の善とは異なる。天使の善は有限で新たなものである。

第3の条件は、異なる主題間の一致が損なわれないことである。例えば神と天使は精神的な存在であるという点において一致している。他についてもそれぞれの形で同様である。

第4の条件は、ある主題が他の主題よりも崇高で高位である場合、その主題には他の主題よりも高位な原理と方式が与えられなければならないということである。例えば神は天使よりも崇高で高位な主題であるがため、それに対しては他の何よりも崇高で高位な原理と方式が適用される。同じく天使は人間よりも高位な主題であり、そのような主題にはそれに相応しい原理と方式が適用される。

1. 神

神 (Deum) は原理と方式によって論じることができる。神には善や偉大などの多くの特性があり、様々な定義が与えられるが、ここでは一つの定義を取り上げる「神は自らの外に何も必要としない存在であり、あらゆる完全性が神の内にある」。この定義から神は他のどの存在とも異なることが分かる。なぜなら他のすべての存在は何かしら外部のものに依存しているからである。

神には「反」や「小」は無い、それらは欠如や欠陥の原理であるから。一方で神には「大」と「等」がある。なぜなら神は「善」「偉大」など平等の原理を有し、平等な関係と行為を有するからである。

神には相関性における「差」がある。それが無くては相関性は存在し得ず、神がその無限で永遠の作用を為すことはできない。それが無くては神の理は虚しいものとなり、それはまったくありえない。

神には「合」がある。それによって神は対立から無限かつ永遠に解放されており、その相関性は一なる本質と性質において無限かつ永遠に会合する。神の理もまた同様である。

神の内には量も時間も偶然も存在しない。神の実体はあらゆる偶然を離れ、無限かつ永遠である。

これらの4つの条件によって神を理解するための条件付けが神に相応しい原理と方式によってなされたことが理解されるだろう。そして神は天使やその他の有する性質よりも遥かに崇高な主題であることは高低の序列から理解されよう。

2. 天使

天使 (angelum) は原理と方式によって演繹可能である。天使は「善」「偉大」「持続」などの性質を有し、次のように定義される「天使は肉体に縛られない精神である」。

天使は「反」の性質を持たない。なぜなら天使は朽ちることがないからである。天使は方式Dの第2種にあるように、善や偉大に関する疑似物質で構成されている。

天使は「大」を有する。天使は人間よりも神に似ているからである。故に人間よりも高位の原理と方式を有する。人間は器官なしに感覚を行使できないが、天使がそうではないのは、天使の性質が優れているからである。かくして天使たちが器官を用いずに互いに対話し、我々に作用し、中間を経ずにある場所から別の場所に移動できることが理解されるだろう。その他のことについても知性は方式を通じて推論できる。

天使は「差」を有する。なぜなら彼らの知性、意思、記憶は互いに異なっているからである。

天使には知と愛と想の「等」がある。なぜなら天使の至上目的であるところの神は、等しく知られ、愛され、想われるべきものであるからである。

天使は「小」を有する。なぜなら天使は無より創造されたからである。

3. 天

天 (caelum) は「善」「偉大」「持続」などの性質を有し、次のように定義される「天は運動する第一質料である」。

天は「反」を持たない。なぜなら天は相反する原理から構成されていないからである。天には本能と欲求があり、また運動がある。運動なくしては本能も欲求も生まれ得ない。

しかしながら天には「始」がある。なぜなら天は下位のものに効果を及ぼし、各々の形相と質量を持つそれらの種に応じて作用するからである。
その運動は「終」であり安息である。

天にはその場所がある、肉体が皮膚の中に閉じ込められているように。

そして天は時間の中にある、それは新たなものであるから。原因が現象の中にあるように、それは時間の中にある。そして他の偶発事も同様である。

4. 人間

人間 (hominem) は魂と肉体から構成されている。したがって人間は精神的な方法と物理的な方法の両方の原理と方式に基づいて演繹可能である。そして人間は次のように定義される「人間は人間を生み出す動物である」。

人間は二重の性質、すなわち精神的なものと肉体的なものの両方で構成されているため、すべての原理と方式を二重の形で有している。したがって他のどの被造物よりも普遍的である。故に人間が世界において最も「大」であると疑いなく言える。

5. 想像力

想像力 (imaginativam) においては、磁石が鉄を引き寄せるように、想像対象を想像するため特有の原理と方式がある。想像力は次のように定義される「想像力とは想像することに適合した力である」。想像力は想像に特有の原理と方式によって導かれる。知性は想像力について、そしてそれに属するものについて多くを知っている。想像力は感覚から得られた像を抽象化する。それは方式Cの第2種で示された関係による。「善」によってそれらの像を善くし、「偉大」によってそれらを大きくもする。例えば大きな黄金の山を想像するように。一方で「小」によってそれらを小さくもする。例えば不可分な一つの点を想像するように。想像力には本能がある。それは無知な動物の生存行為のように、ヤギがオオカミを避けるように、想像対象を想像する欲望が存在する。そしてそれを想像することで安息する。

感覚器官による感覚が想像力の活動を妨げることもある。例えば目で色を見ているとき、想像力はその活動を行うことができない。すなわち他の対象を想像することができない。その際には目を閉じるか、視覚を遮断する必要があり、そうして想像力が活動できるようになる。

視覚によって見る者は想像するよりも色を深く理解する。なぜなら感覚は感覚自体により関係しているからである。想像力が想像対象に到達するには感覚を介する必要がある。これは触覚において明らかであり、石を持つ人は同時に石の重さ、冷たさ、ざらつき、硬さなど様々な感覚を同時に得るが、想像力は順次的にしかできない。他についても同様であり、要約としてはこれで十分だろう。

6. 感覚能力

感覚能力 (sensitivam) には特有の原理と方式がある、なぜなら視覚を通じて一つの対象が認識され、聴覚を通じて別の対象が認識されるからで ある。そしてこれらは主に本能と欲望という2つの特性による。感覚は次のように定義される「感覚能力は感じることに適合した力である」。感覚は特有の原理と方式によって感じる。それには感覚に共通する普遍的なものと、特定の感覚の特殊なものがある。共通の感覚は共通の相関性を持ち、特定の感覚は特定の相関性を持つ。感覚の活性の根源は生命力であり、生命のように元素に根付いている。感覚はすべての感覚器官をもって対象を感じる。すなわち視覚によって色彩を見、聴覚によって声を聴き、そして霊感が媒介して述べる。霊感なくして聴覚は声を認識することができない。かくして知性は霊感こそが感覚であることを知る。

7. 生命力

生命力 (vegetativam) は植物においてその種の生態に応じた特定の原理と方式を有する。コショウには特有の生態があり、バラやユリについても同じである。生命の原理は感覚の原理よりも濃密であり、同じく感覚の原理は想像力の原理よりも濃密である。生命力は次のように定義される「生命力は生きることに適合した力である」。生命力は元素を発生の方法によって自らの種に変質させ、生まれ、生長し、養う。確かに生命は元素の不足によって死ぬ。ランプの油が無くなると光が消えるように。

8. 元素力

元素力 (elementativam) には特有の原理と方式があり、それによって多くの種が存在する、例えば金や銀など。そして次のように定義される「元素力とは元素に適合した力である」。感覚と同じく、それにも共通の相関性があり、また特殊な相関性、すなわち地水火風がある。これらはそれぞれ特有の相関性を持っており、それがなければ元素は存在できない。そして元素がなければ相関性は存在できない。これが元素の究極の基盤である。元素はそれ自体で点、線、形、長さ、幅、高さ、体積、性質、結合、硬さ、粗さ、軽さ、重さ、その他を有する。そして知性は元素的なるものに実際に、ただし控えめな形で、元素が存在していることに気づくだろう。そうでなければ元素は存在するためのものを持たず、物質に属さず、いかなる形相、質量、運動、本能、長さ、幅、そして満たされることも欲望も持たないことになり、それは全く不可能であり非合理的である。

9. 道具

この主題では道具性 (instrumentativam) を扱う。それには2通りがあり、自然のもの、すなわち目は見るための道具である、そして倫理的なもの、すなわち正義は裁きを為すための道具であり、そして槌は工作のための道具である。

自然の道具については特定の原理と方式を論じることで知ることができ、倫理的なものについても同様に特定の原理と方式を論じることで知ることができる。

自然の道具と倫理的な道具には違いがあるが、しかしそれについての推論や議論は勤勉な知性に委ねるものとする。術者の理解が不足している場合は『大技法』を参照すれば、そこで倫理の問題がより広範に扱われている。

しかしながら我々はアルファベットで倫理に触れているため、術者が定義と原理と方式によって倫理についての知識を持てるように幾つかの倫理的道具を定義しよう。

1. 「道具性」とはそれによって倫理を備えた者が倫理的に行動するための力である。
2. 「正義」とは正しい者が正当に行動する性質である。
3. 「慎重」とは思慮深い者が賢明に行動する性質である。
4. 「勇敢」とは強い心の者が果敢に行動する性質である。
5. 「節制」とは節度ある者が行動において節度を守る性質である。
6. 「信仰」とは感じることも理解することもできないものを真実であると信じる性質である。
7. 「希望」とは人が主から赦しと栄光を授かることを期待し、善良で強い友を信頼する性質である。
8. 「博愛」とは己の富を分かち合う性質である。
9. 「忍耐」とは忍耐強い者が勝利し、不屈である性質である。
10. 「慈悲」とは慈悲深い者が隣人の苦しみを悲しむ性質である。
11. 「強欲」とは富者が貧者の如く物乞いをする性質である。
12. 「暴食」とは飽食者が後に病気や貧困に苦しむ性質 である。
13. 「色欲」とは婚姻に逆らって自らの力を不当に行使する性質である。
14. 「傲慢」とは高慢な者が謙譲を顧みず他者を凌ぐことを試みる性質である。
15. 「怠惰」とは怠け者が他者の幸運を嘆き、不幸を喜ぶ性質である。
16. 「嫉妬」とは妬み深い者が不当に他者の富を羨望する性質である。
17. 「憤怒」とは怒れる者が己の判断と自由を拘束する性質である。
18. 「虚偽」とは嘘つきが真実に反する発言や証言をする性質である。
19. 「軽佻」とは浮気な者が度々変化する性質である。

かくして9つの主題が論じられた。術者はこの技法の原理と方式を理解することで、これらについてさらに学ぶことができるだろう。

10. 適用

適用は3つに分かれる。第1は暗黙的なものに明示的なものを適用する場合。第2は抽象的なものに具体的なものを適用する場合。第3は本技法の箇所が質問に適用される場合である。

1. 質問の用語が暗黙的である場合は「神は存在するか」「天使は存在するか」など明示的な技法用語を適用する。「善」「偉大」なども同様に適用される。例えば「神や天使が存在することは善であり偉大であるか」。

2. 質問の用語が抽象的である場合は、良いものは「善」、素晴らしいものは「偉大」、色のあるものは「色」などのように具体的な用語を適用する。そして原理と方式によって論じることで抽象的な用語と具体的な用語の関係を見よ。

3. 質門に技法の箇所を適用する場合は、以下の13箇所が挙げられる。

1:第1図、2:第2図、3:第3図、4:第4図、5:定義、6:方式、7:表、8:第3図の汲み出し、9:第4図の乗算、10:原理と方式の混合、11:9つの主題、12:100の形式、13:質問

質問の内容は上記の箇所に適宜適用される。質問の主題が第1図に適当な場合は、第1図を適用し、本文の内容に違反しないように肯定ないし否定の回答を導き出せ。第1図について言えることは他の箇所にもそれぞれに当てはまる。

これは簡易版であるため適用についてはここまでとする。しかし術者が用語を適用するにあたって助けが必要である場合は『大技法』を参照せよ。そこではこれらの事柄がより詳細に扱われている。

100の形式

ここでは100の形式がその定義とともに与えられる。これによって対象が知性の手の届くところに来るだろう。なぜなら形式の定義によって知性が原理と方式によってそれらを論じるための条件が整えられるからである。この論考を通じて知性は質問や定義で提起される形式について知識を得るだろう。以下が形式とその定義である。

1.「実在 Entitas」とはあるものが他のものを生起させる原因となるものである。
2.「本質 Essentia」とは存在より抽象化され、存在の中に保持される形式である。
3.「統一性 Unitas」とは結合に適合した形式である。
4.「多様性 Pluralitas」とは様々な異なるものより構成される形式である。
5.「性質 Natura」とは自然に適合した形式である。
6.「属 Genus」とは異なる種を熟慮して多く混合したものである。
7.「種 Species」とは複数の異なる個体よりなるものである。
8.「個性 Individuitas」とは他よりも属から離れていることを表す用語である。
9.「特性 Proprietas」とは行為者が特定の方法で行為する形式である。
10.「単純 Simplicitas」とは他よりも合成から離れている形式である。
11.「合成 Compositio」とは複数の本質から構成される形式である。
12.「形相 Forma」とは行為者が物質に作用する本質である。
13.「物質 Materia」とは単に受動的な本質である。
14.「実体 Substantia」とはそれ自体で存在するものである。
15.「偶有 Accidens 」とはそれ自体で存在せず、目的も持たないものである。
16.「量 Quantitas 」とは量にまつわる形式であり、それによって量が作用する。
17.「質 Qualitas 」とは質の原理であるものである。
18.「関係 Relatio 」とは多くの異なるものに関する形式であり、それらなしでは存在できない。
19.「能動 Actio 」とは受動に付随する形式である。
20.「受動 Passio」とは本質的に能動に付随して存在するものである。
21.「状態 Habitus」とは対象に身についた形式である。
22.「配置 Situs」とは対象における適切に秩序付けられた部位の位置である。
23.「時 Tempus」とはそこにおいて存在が創造され生起するところのものである。また時とは多くの瞬間が前後に配列されて形成されているものである。
24.「場所 Locus」とは存在が置かれたるところの偶有性である。また場所とは物体を内包する表面である。
25.「運動 Motus」とは動かすものが動かされるものを動かすための道具である。また運動は始、中、終の性質を含む。
26.「不動 Immobilitas」とは動く欲望を欠いたものである。
27.「本能 Instinctus」とは知性に類似した像である。
28.「欲望 Appetitus」とは意思に類似した形式である。
29.「引力 Attractio」とは引きつけるものが引きつけられるものを引きつける形式である。また引力とは対象を引きつける本能と欲望を有する形式である。
30.「受容 Receptio」とは受けるものが受けられるものを受ける形式である。また受容とは対象を受ける本能と欲望を持つ形式である。
31.「幻想 Phantasia」とは想像力によって事物から抽象化された類似物である。
32.「充溢 Plenitudo」とは空虚の除かれた形式である。
33.「拡散 Diffusio」とは拡散するものが拡散されるものを拡散する形式である。
34.「消化 Digestio」とは消化するものが消化されるものを消化する形式である。
35.「排除 Expulsio」とは自然が対象に属さないものを取り除く形式である。
36.「記号化 Significatio」とは秘められたものを記号表現によって明示することである。
37.「美 Pulchritudo」とは視覚ないし聴覚ないし想像力ないし概念作用ないし愉悦に受け入れられる魅力的な形式である。
38.「新規性 Novitas」とは対象が新たな状態を身につける形式である。
39.「イデア Idea」は神においては神である。しかし創造のイデアは被造物である。
40.「数学 Mathematica」とは人知によって実体から偶有性を剥ぎ取る形式である。
41.「潜在 Potentia」とは動き、量、質など無しに対象の内に存在する形式である。
42.「点状性 Punctuitas」とは点の本質であり、物体の小部分に存する。
43.「線 Linea」とは多くの連続する点から構成され、その端が2つの点である長さである。
44.「三角形 Triangulus」とは3つの角と3つの線から構成される像である。
45.「四角形 Quadrangulus」とは4つの直角を有する像である。
46.「円 Circulus」とは円形の線で構成される像である。
47.「物体 Corpus」とは点、線、および角で満たされた実体である。
48.「像 Figura」とは配置と状態から構成される偶有である。
49.「一般方向 Generales rectitudines」とは中心から6方向に相対する線である
50.「怪異 Monstruitas」とは 自然の動きからの逸脱である。
51.「派生 Derivatio」とは普遍から特殊へと下降する物質的な主題である。
52.「影 Umbra」とは欠如の状態である。
53.「鏡 Speculum」とは受け入れたすべての像を映し出すように配置された透明な物体である。
54.「色 Color」とは像に含まれる状態である。
55.「比率 Proportio」とは比例に適合した形式である。
56.「配置 Dispositio 」とは配置に適合した形式である。
57.「創造 Creatio」とは永遠においてはイデアであり、時間においては被造物である。
58.「予定 Praedestinatio」とは神の知恵においてはイデアであり、創造においては被造物である。
59.「慈悲 Misericordia」とは永遠おいてはイデアであり、予定においては被造物である。
60.「必然性 Necessitas」とはそれ以外ではありえない形式であり、必然的なものに含まれている。
61.「運 Fortuna」とは対象に付随する偶有である。それに向けて配された人は幸運である。
62.「序列 Ordinatio」とは順序付けることに適合した形式であり、順序付けられたものがその対象である。
63.「助言 Consillium」とは疑わしい提案であり、熟慮なるは沈黙である。
64.「恩寵 Gratia」とは初め恩寵に値せずに恩寵の中に置かれた形式である。
65.「完全 Perfectio 」とは完全な対象の完成に適合する形式である。
66.「解明 Declaratio」とは区別によって知性が安息するところの形式である。解明とは対象が解明された状態である。
67.「変質 Transubstantiatio」とは古い形相を脱ぎ捨て新たな形相をまとう自然の行為である。
68.「変化 Alteratio」とは変化したものに生じる形式である。
69.「無限 Infinitas」とはあらゆる限界から離れた無限の行為の形式である。
70.「欺瞞 Deceptio」とは欺くものの肯定的な状態であり、欺かれた者の否定的な状態である。
71.「名誉 Honor」とは名誉を与えるものの能動的な状態であり、名誉を受けるものの受動的な状態である。
72.「容量 Capacitas 」とは供給されるものを受け入れる形式である。
73.「存在 Extensia」とは存在するものが存在する形式である。「作用 Agentia」とは存在を目標に動かす形式である。
74.「会得 Comprehensio」は無限に類似するものであり、「把握Apprehensio」は有限的である。
75.「発明 Inventio」とは知性が発明を発明する形式である。
76.「類似 Similitudo」とは類似させるものが類似させたものが類似する形式である。
77.「先行Antecedens」とは「後続 Consequens」 の原因の形式である。後続とは先行の止むところである。
78.「能力 Potentia」とはそれによって知性が目的に達する形式である。目的とは知性の安息する対象である。行為とは能力と目的の結合である。
79.「生成 Generatio」とは被造物における場合、新たな形相の原因となる作用の形式であり、破壊とは古い形相の喪失である。喪失はそれらの間に存在する。
80.「神学 Theologia 」とは神について語る学問である。
81.「哲学 Philosophia 」とは知性があらゆる学問に専心する主題である。
82.「幾何学 Geometria」とは線や角や図形を測るために考案された技術である。
83.「天文学 Astronomia」とは下界に影響を与える天の美徳や運動を天文学者が知るための技術である。
84.「算術 Arithmetica」とは多くの単位を数えるために考案された技術である。
85.「音楽 Musica」とは一つの歌において多くの声が調和するよう整えるために考案された技術である。
86.「修辞 Rhetorica」とは弁論家が言葉を彩るために考案された技術である。
87.「論理 Logica」とは論理学者が主語と述語の自然な結合を発見するための技術である。
88.「文法 Grammatica」とは正確に話し、かつ書くために考案された技術である。
89.「倫理 Moralitas」とは善行ないし悪行への習慣である。
90.「政治 Politica」とは市民が国家の公益を管理するための技術である。
91.「法 Ius」とは正義の状態に人を規制する行為である。
92.「医学 Medicina」とは医者が患者の健康を管理するための慣習である。
93.「統治 Regimen」とは君主が国民を支配するための形式である。
94.「軍事 Militia」とは兵が君主を助け、正義を守るための慣習である。
95.「商業 Mercatura」とは商人が売買をするための慣習である。
96.「航海術 Navigatio」とは船乗りが海を航海するための技術である。
97.「良心 Conscientia」とは知性が犯した行為が魂を悩ます形式である。
98.「説教 Praedicatio」とは説教師が人々に良い道徳を持ち、悪を避けるよう教える形式である。
99.「祈り Oratio」とは祈るものが神との聖なる会話をする形式である。
100.「記憶 Memoria」とはそれによって物事を思い出すことができるものである。

11. 質問

この章は12の部分ないし場所に分かれ、様々な主題に応じた質問を配置し、配分している。つまりある部分ないし場所である質問の回答が示され、別の場所では別の質問の回答を示している。そのため上述の場所に様々な質問を適用している。

ここでは2通りの方法がとられる、すなわち質問を提示してその回答を示すもの、そして質問を提示するが回答は示さず、それは勤勉な術者に委ね、むしろ場所ないし部分から解決を効果的に抽出できるようにするものである。簡潔にするべく本書では限られた質問だけをとりあげて解決する。本書の技法は『大技法』から要約されたものであり、その概要を示している。それによって知性は少ない記号で多くを理解できるようになり、より普遍的になるだろう。そしてここにある解答例によって他の質問の解決法も各自で見出すことができるだろう。

冒頭で述べたように以下の12の部分に質問を提示する。

  1. 第1図

  2. 第2図

  3. 第3図

  4. 第4図

  5. 定義

  6. 方式

  7. 第3図の排出

  8. 第4図の乗算

  9. 原理と方式の混合

  10. 9つの主題

  11. 100の形式

第1図

Q1: 第1図全体を通じて、その実体、本質、性質、及び数の同一性をもって、主語と述語に交換できるものはあるか。
A: 然り。さもなくば主語と述語の交換性や等価性が完全に損なわれるだろう。永遠がその持続の無限性によって優れているとし、善、偉大、力には限りがあるので劣っているなどとすることは不可能である。

Q2: 主語と述語が交換されるものは何か。
A: その答えは神である。このような交換は無限で永遠の対象でなければならない。

Q3: 神の善性の善は、神の知性の知と同じく偉大であるか。

Q4: なぜ神の存在はその行為と同じく偉大なのか。

Q5: なにが神をかくも強力にしているのか。

Q6: なぜ人は動物と交換できないのか。
A: 交換は優れたものと劣ったものではなく、同等のものの間でしかできないため。

Q7: 天使の力、知性、意思は交換可能か
A: 否。さもなくば彼らは神と同じく無限の作用と永遠を有することになるだろう。

第2図

第2図についての質問は3通りの方法で行うことができる。すなわち人とライオンは種において「差」があり、属において「合」があり、堕落と高潔によって「反」がある。他の場合もそれぞれの形で同様である。

Q8: 「差」は「合」や「反」よりも普遍的か。
A: 然り。なぜならば「合」と「反」のあるところに必ず「差」もまたあり、しかしその逆は常には成り立たないため。多くの場合「差」は「合」と共に見出されるが、自然には「反」を伴わない。例えば霊的存在のように。

Q9: 「合」と「反」ではどちらが大なる原理か
A: その答えは「合」である。肯定的な原理は「合」から派生し、「反」からは否定的な原理が派生するため。

Q10: 「人間は人間を生み出す動物である」という定義は「人間は理性があり死すべき定めの存在である」というよりも明示的か。
A: 然り。人間を生み出すのは人間だけに適合し、理性と死すべきことは他の多くのものにも適合するため。(※訳注:この質問がここにあるのは不可解で、おそらく本来は「9つの主題」の「人間」の箇所のものだろう)

「始」「中」「終」の三角形について3通りの方法で質問ができる。次に第1の方法の質問を示す。

Q11: なぜ第一原因は単独であり複数ではないのか。
A: 唯一の終焉が無限であるため。

第2の方法。

Q12: 主語と述語の間の媒質は連続的か離散的か。
A: 「極端」の媒質は連続的であり、「結合」と「計測」の媒質は離散的である。

第3の方法。

Q13: 主題における究極の目的は何か。
A: それは固有の目的であり、適当な目的ではない。

「大」「等」「小」の三角形について3通りの方法で質問ができる。次に「大」の質問を示す。

Q14: なぜ神は天使の上にあり、天使は人間の上にあるのか。
A: 神が天使の上にあるのは、神の善や偉大さは量と時間において無限であり、天使の善や偉大さはそうではないためである。しかしそれは人間の善や偉大さよりも上である。なぜなら分割や受容が無いためであり、人間の肉体の善や偉大さはそうではない。

第2の方法

Q15: なぜ魂において知性と意思と記憶が本質的に等しいのか。
A: 第一原因の善や偉大さなどが、等しく理解し、思い出し、愛するべきものだからである。ここで知性は実証が3通りに行えることを認識する、すなわち何、何故、そして同等性ないし対等性によって。

第3の方法

Q16: なぜ罪は何よりも虚無に近いのか
A: 罪が存在の目的に極めて反しているためである。

Q17: 感覚的な存在と感覚的な存在の差は、感覚的な存在と知性的な存在の差や、知性的な存在と知性的な存在の差よりも大きいか。

Q18: さらに「始」と「中」の差は「中」と「終」の差よりも大きいか。

Q19: 同じく実体と実体の差など。
A: 上述の三角形において主観的及び客観的に方式Bの適用によって見出されよう。

第3図

第3図では原理同士がそれぞれ互いに適用されると述べた。そこで質問する。

Q20: 「反」は「合」と同様に「善」や「偉大」に適用されるか。
A: 否。「反」は欠乏と対立によってそれらに適用され、「合」は付与と一致によって適用される。

第3図において「善は偉大」とされる。そこで質問する。

Q21: 偉大な善とは何か。
A: 偉大な善は「反」や「小」なしにすべての原理とそれに関係するものに適合する。

Q22: 善はどこにあるのか。
A: BIの部屋を参照し、その意味を取れ。

Q23: 善は何でできているか。

Q24: 善はどのように存在しているか。
A: 部屋BDおよびBKを参照し、その意味を取れ。他も同様。

Q25: いつ知性は普遍となり、また特殊となるのか。

第4図

Q26: 部屋BCDについて問う。永遠のごとく限りなく偉大な善はあるのか。
A: 然り。さもなくば永遠の偉大さが完全な善ではなくなるだろう。

Q27: 部屋BEFに付いて問う。神の善は神の知性と同じく強力であるか。
A: 当該部屋を参照し、関係するものや定義の意味を取れ。

Q28: 上位存在である天使は天使を生み出すか、下位の人間が人間を生むように。
A: 否。なぜなら天使は外部から増加を受けることがないため、それは本質を空にするだろう。しかし人間は肉体を持つためそうする。

定義

Q29: 神は必然的な存在か。

Q30: 無限の作用なき無限の統一はあるか。

Q31: 単独にして唯一なる神は存在するか。

Q32: 神が悪となる可能性はあるか。
A: 「善」「偉大」「永遠」の定義を参照し、その意味を理解せよ。もし善が偉大で永遠であるならば、善は必然的に善と偉大と永遠の理であり、善と偉大と永遠を作り出すだろう。他の原理の定義に関する質問も同様である。

方式

Q33: 信じることは理解することに先行するか。

Q34: 能力と特有の作用による定義と、属と差異による定義ではどちらがより明確か。
A: それは能力と特有の作用によって与えられるものである。前者によれば対象とその特有の作用についての認識が得られるが、後者によっては区別しか得られない。

Q35: その本質から外れた作用をする力はあるか。

Q36: 知性は記憶に対しては能動的で、意志に対しては受動的か。

Q37: 知性は感覚なしに対象を捉えられるか。

Q38: 神の力は無限の作用を有するか。

Q39: 作用は差異なしにありうるか。

Q40: 作用は力と対象のどちらか、あるいは両方から生じるのか。

Q41: 実体は原因を持たず、ただそれのみで存在できるか。

Q42: 意思は信念によって知性に対し力を持ち、知性は理解によって意思に対し力を持つか。

Q43: 魂において記憶と意思は等しいか。

Q44: 知性は相関性なしに普遍や特殊になりえるか。

Q45: 知性が学問を行う際、それを特性と差異によって行うか。

Q46: 知性は愛と記憶を処理できるか。またその逆も。

Q47: 知性は信じると同時に理解することができるか。

Q48: 知性はそれのみで学問を行えるか。

Q49: 知性はどのようにして種を生み出すのか。

Q50: 知性はその種を客観化するために種によって意思と記憶に命じるか。

Q51: 世界は永遠か。
A: 柱BCDを参照し否定を支持せよ。部屋BCTBにて世界が永遠であるなら多くの異なる種の永遠が存在することになるが、これはBCTCにより一致しBCTDにより対立する、それは不可能である。したがって否定が支持される。これは方式Bによって実証される。

Q52: 神はその永遠性と同じく偉大さにおいても無限であるか。
A: 柱CDEを参照し部屋CDTCより肯定を支持して、部屋CDTDに反対せよ。

Q53: 神はその知性によってと同じぐらい永遠性によっても事を為すか。
A: 柱DEFより部屋DETDを参照せよ。

Q54: 神はその知性や愛と同じく力においても強力か。
A: 柱EFGを参照し肯定を支持せよ。部屋EFTE、EFTF、EFTG、そして柱の終わりまで。

Q55: 神の知性と意志はその美徳よりも偉大か。
A: 柱FGHを参照し、全ての部屋を通して否定を支持し、部屋の意味を受け取れ。

Q56: 神の真理は神の意志と同じく等しい相互関係における美徳を有するか。
A: 柱GHIを参照し、すべての部屋を通して肯定を支持せよ。

Q57: 神の美徳、栄光、真理は、等しく時間、場所、および「小」を離れているか。
A: 柱HIKを参照し、すべての部屋を通して肯定を支持せよ。

第3図の汲み出し

部屋BCは善は偉大であるとしている。そこで質問する。

Q58: 善は偉大か。

Q59: その偉大さは何か。

Q60: 善と偉大は何において一致するのか。

Q61: 差異なくして一致可能か。

A: 善は偉大である。これは偉大の定義によって明らかである。そしてその偉大さは相関性によるものである。これは方式C第2種により明らかである。善は偉大によって偉大となり、その逆も然りであることで一致している。そしてこれらは相関性の差異なくして一致することはできない。

第4図の乗算

Q62: いかにして知性は普遍的な知により普遍的となるように条件づけられるのか。
A: 第4図の乗算を参照せよ。いかに知性がその対象とその理解を増やし、多くの偉大な学問を通じて普遍的となり、多くの習慣を身につけるかを見よ。簡易のため第4図の乗算についてはこれで十分とする。

原理と方式の混合

Q63: 善は偉大や持続によって論じることができるか。また逆も可能か。
A: 然り。第3図に示されるように主語と述語にできる。

Q64: 偉大や持続などの善とは何か。
A: 偉大においては偉大であること、持続においては持続することである。

Q65: 偉大や持続などにおいて善は何を有するのか
A:偉大の偉大さや持続の持続性の相関性を有している。善について具体的な例を挙げたことは他の原理についてもそれぞれの形で同様にできる。簡易のため混合に付いての説明はこれで十分とする。

9つの主題

Q66: 神は存在するか。
A: 第1図の質問で証明したように答えは然りである。

Q67: 神は何者か。
A: 神はその存在と同じく、それ自身のみで作用する存在である。

Q68: 方式C第2種によって質問する。神が本質的に有しているものは何か。
A: 神はその相関性を有している。それなしに無限かつ永遠の理を持つことはできない。

Q69: 第3種によって質問する。神は他のものにあるとき何であるか。
A: 造物主、統治者などである。

Q70: 方式C第4種によって質問する。神は他のものに何を為すか。
A: 神はこの世に対して力と支配を有し、人間に対しては裁きと恩寵、慈悲、謙遜、忍耐、敬虔の作用を有している。簡易のため神に関する説明はこれで十分とする。

天使

Q71: 天使は存在するか。
A: 然り。より神に似ていないものが存在するのであれば、より神に似たものも存在するであろう。また肉体的なものと知的なものの合成が存在するならば、知的なものと知的なものの合成はなおさら存在するはずである。またもしも天使が存在しない場合、差異と一致の階梯は空となり、世界もまた空となるだろう、それは不可能である

Q72: 天使は何によるものか、そして何に帰属しているか。
A: 方式Dによって回答する。天使はそれ自身によって存在する、なぜなら点や線で測れる存在ではないため。また同方式第2種により、天使は霊的な相関性、すなわち能動的、受動的、作用的な要素で構成されている。また第3種により、天使は神に帰属すると答える。簡易のため天使に関する説明はこれで十分とする。

Q73: 天は自力で運動するか。
A: 然り。そうしてこの原理は実体的な相関性をその星辰によって有する。

Q74: 天は移動するか
A: 天はそれ自身と下位のものにおいて循環するが、その外部へ行くことはない。なぜなら天は自らの外部にいかなる作用も持たず、持つことができないからである。

Q75: 天使は天を動かすか。
A: 否。もしそうであるとすると、その能動的な相関性は受動的な相関性よりも劣ることになり、その元素や元素によるものを形相ではなく物質的に動かすことになる。それは不可能である。

Q76: 天には活動的な魂があるか。
A: 然り。さもなくば感覚力や生命力に魂はなく、元素が動くこともないだろう。

Q77: 方式E第1種によって質問する。天はどのようにして存在しているのか。
A: それ自身の形相と質量によってできている。

Q78: 方式E第2種によって質問する。天は何故存在するのか。
A: 下位の存在を動かすため。簡易のため天についての説明はこれで十分とする。

人間

Q79: 人は肯定と否定どちらによるほうが神について深く学ぶことができるか。
A: 肯定。神は神なしで存在できるもののためにではなく、神なしでは存在できないもののために存在する。

Q80: 何故人は特定の形式によって作用するのか。
A: 方式E第2種に答えが暗示されている。

Q81: 人は作用を増やすことによって本質が増えるか。
A: 人は自らに作用することはない。

Q82: 人が思い出そうとして思い出せない場合、不足しているのは知性か記憶か。
A: 記憶。なぜなら記憶自体が自然に古いものを知性よりも早く意思に戻すからである。

Q83: 魂と肉体はどのように人間を構成しているのか。
A: 人間の中で霊的な善と肉体的な善が一つの善をなしている。他の原理も同様。

Q84: 人間の生命とは何か。
A: 生命力、感覚力、想像力、および理性から構成された形相。

Q85: 人間の死とは何か
A: 元素力、生命力、感覚能力、想像力、および理性の力の解消。

Q86: 人間は目に見えるか。
A: 否。なぜなら視覚は色と形しか見ることができないため。

Q87: 人間の知性と記憶は同じ力か。
A: 否。もしそうであれば知性は次々と概念を獲得することがないであろうし、忘れることも無視することもできないだろう。また自由意志に反する対象では強くないだろう。人間についての説明はこれで十分とする。

想像力

Q88: 感覚力が対象を固有の方法で感じるのと同じように、想像力も固有の方法で対象を想像するか。

Q89: 想像力が感覚から概念を抽出する理由は何か。

Q90: 想像力とは何か。

Q91: 想像力は相関性を有するか。

Q92: 想像力はその作用を増すことによってそれ自体も増加するか。

Q93: 想像力は感覚能力よりも優れた力か。

Q94: 想像力には特有の本能や欲望があるか。

Q95: 感覚能力はどのようにして想像力の作用を阻害するか。

Q96: 想像力は何故対象を感じる力が感覚能力ほど強くないのか。
A: 「主題」の「想像力」の箇所を参照せよ。

Q97: 感覚能力は想像力を感じることができるか。
A: 下位の力が上位の力に作用することはできない。

感覚能力

Q98: 飢えと渇きを感じるのは触覚か味覚か
A: 対象に最も親和性の高い感覚によって感じられる。

Q99: 視覚が色を見るように、味覚にも飢えを感じる本能や欲求があるか。
A: 方式E第2種を参照せよ。

Q100: 感覚能力は対象をどのように感知するのか。
A: どの感覚もその対象を特有の形相を通じて感知する。色の上に水晶があると水晶に色がつくように。

Q101: 感覚には点や線で測れる量があるか。
A: 感覚は遠近に関わらず迅速に対象に触れられることを指摘する。

Q102: 感覚に共通感覚があるように、共通する力、本能、欲求はあるか。

Q103: 感覚とはなにか。

Q104: 感覚は何によって普遍になり、特殊になるのか。

Q105: 感覚は何によって生き、養われるのか。

Q106: 感覚能力は感じられるか。
A: 「主題」の「感覚能力」の箇所を参照せよ。

生命力

Q107: 生命力はそれ固有の方法で作用するか。

Q108: 生命力も感覚能力のように共通のものと特有のものがあるか。

Q109: 生命力は点や線で測れるか。

Q110: 生命力とはなにか、そして方式C第2種により何を有しているか。

Q111: 生命力は何によって生き、養われ、育つのか。そして何に根ざしているのか。

Q112: 生命力の死とは何か。

A: 「主題」の「生命力」の箇所を参照すれば上記の質問の答えが見つかるだろう。

元素力

Q113: 元素力とは何か。

Q114: 元素力は感覚能力のように多くの種類があるか。

Q115: 元素力には相関性があるか。

Q116: 蝋燭に燃える炎の元素力は灯心自体のものか。

Q117: 視覚が光によって色を見るように、蝋燭の炎は空気によって灯心を燃やすのか。

Q118: 元素力は長さ、幅、深さ、容積の原因か。

Q119: 元素力は元素に共通のものか。

Q120: 元素の取り除かれた対象に元素力は残るか。

Q121: 元素力は点、線、形の源か。

Q122: 人間が人為的に足で自分自身を動かすように、元素力はその本能、欲求、軽さ、重さ、熱、その他によって自然に動くか。

Q123: 元素力は実体的な相関性なしに性質を有するか。

Q124: 元素的なるものの内に元素は実在するのか。

Q125: 元素力は月球下の領域に連続的な量を持っているのか。

Q126: 2つの熱性、2つの乾性、2つの白性などは存在するか。
A: 「主題」の「元素力」の箇所を参照せよ。そしてこの術によって整えられた知性によって答えを引き出せ。

Q127: 第5元素は存在するか。
A: 否。元素は4つの組み合わせで十分である。

道具

自然の道具性については上で論じているので、ここでは倫理について述べる。

Q128: 倫理とは何か。

Q129: 正義、慎重とは何か。

Q130: さらに問う、強欲、暴食とは何か、他。

道具に関する第9主題の項目を参照し、その論考の教えるところに従え。

Q131: 正義は善か。
A: 然り。さもなくば不正義が悪ではなくなるだろう。

Q132: さらに問う、正義は相関性を有するか。
A: 然り。さもなくばそれは習慣でありようがなく、維持し定着させるものもないだろう。そして同様にすべての原理と方式によって正義に関する質問ができる。また正義についてのことは他のすべての高潔な習慣にも当てはまる。

Q132: 悪徳は単なる欠乏の原理か。
A: 然り。なぜなら悪徳は美徳と両立しないからである。実に美徳においては行為者と行為と手段が美徳の対象の中で調和する。簡易のため倫理についての説明はこれで十分とする。『大技法』では、これらがより広範囲に扱われている。

100の形式

「実在」などの100の形式に関する質問は、それぞれについて9つの主題によって異なるものに作れる。例えば神において、あるいは天使において、あるいは天においてなど。

Q134: 神の実在は全ての実在の原理か。
A: 然り。神の善は全ての善の原理であり、神の偉大は全ての偉大の原理であり、神の永遠は全ての持続の原理である。しかしこれは天使や天などの実在については当てはまらない。そしてそれぞれの形式は他と異なるため、それ自身の原理と方式によって語られる。

Q135: 本質と存在は交換可能か。
A: 神においては交換できる。実に神において優劣はない。しかし天使や天においては交換できない。それらは本質によって存在しており、その逆ではないためである。したがってそれらにおいては本質が上で、存在が下である。

ある方法では神の統一性について、別の方法では天使の統一性について、また別の方法で天の統一性などについて質問を作ることができる。例えば次のように。

Q136: 神の統一性は無限を結合するか。
A: 然り。無限が結合されなければ結合が無限になることはない。その力は有限で束縛されており、無限に対しては無駄であるから。これは神の善や偉大にも言えることだが、不可能である。

Q137: 天使は結合するか。
A: 結合の条件を踏まえて答える必要がある。天使は倫理的に客観的に、愛の作用において、理解の作用において、善の作用において、別の天使と結合する。これはある天使が別の天使と結合するというわけではない、それはすでに述べたように不可能である。またある天と別の天が結合することもない。しかし天の統一性は下界に統一をもたらす。しかしながらこれは人間には当てはまらない。人間は人間を生み出すために他の人間と結合する。他についてもそれぞれの形で同様である。

Q138: 神には多様性があるか。
A: 然り、方式C第2種で示される彼の相関性によって。さもなくば神はその無限にして永遠なる、善化、偉大化、永遠化などの働きをなすことができないだろう。そして神の理は無為に限定されるだろう。それは不可能である。しかし天使の多様性についてはそうではない。神の単純性に対し天使は能動的な部分と受動的な部分で構成されている。同様に天は天使よりも複雑であり、人間は天よりも複雑である。

Q139: 神には自然があるか。
A:然り。そのため神は自然な記憶や理解、愛、そして自然な善や偉大などを有することができる。そしてこれらの理は神にとって自然なものであるから、無限にして永遠の善を生み出すことは神にとって自然なことである。しかし天使の自然は異なる。天使は有限で新しいものであるから。とはいえ、天使は自然であることができる。なぜなら天使は本能と自然の種別を有しており、それによって客観的で自然な作用をする。また天の自然についても独自の方法で述べられる。またその自然で特有の原理と方式を適用することによって、その自然で特有な作用を扱うことができる。他の対象の自然についてもそれぞれの形で同様である。

上に述べたことは、術者が100の形式について、それぞれの形式の独自の定義を保ちながら、9つの主題と組み合わせて質問を作成し解決することを可能にする。そして第3図の汲み出しと第4図の乗算で示された方法によって、質問の作成と解決のための高度に普遍的な方法が認識される。そのようにしてできる問題と回答の数はとても数えきれないだろう。簡易のため100の形式についての説明はこれで十分とする。

学習法

この技法の学習法について3つに分けて説明する。

第1に、この技法は13章に分かれている。各質問をその主題の条件に適切な場所に適用するために、術者はこれらに精通しておかなければならない。

第2に、この技法のテキストの方法と手順に習熟しなければならない。すなわちテキストで説明されている方法によって外部の問題を証明し解決できるようテキストの方法を覚えよ。一つの例によって他のものが解き明かされ例示されるように。

第3に、質問と解決を増殖させ同一の結論に至る方法を覚えることである。これは第3図と第4図、および表に示されている。簡易のため学習法についての説明はこれで十分とする。

教授法

ここは4つに分けられる。

第1に、術者はアルファベット、図、定義、方式、表の配置を暗記しなければならない。

第2に、他の権威に頼ることなく、理によってテキストを適切に説明しなければならない。生徒はテキストを読んで、疑問があれば術者や教師に尋ねよ。

第3に、教師ないし術者は生徒の前で問題を提起し、それらを技法の手順に従って合理的に解決せよ。術者は理性なしにこの技法を活用することはできない。したがってこの技法には3人の友、すなわち、鋭敏な知性、理性、そして善意があることを知れ。この3つがなければ誰もこの技法を学ぶことはできない。

第4に、術者は生徒に問題を提起し、彼らに答えさせよ。そして同一の結論に対して多くの理由を増やすこと、また解答と、解答の理由を増やす方法の見つかる箇所を特定するように指示せよ。しかし生徒が解答や理由の増やし方が分からなかった場合は、術者ないし教師がそれについて教授せよ。

結語

神の栄光と賛美、そして公共の利益のために、ライムンドゥスは我らが主イエス・キリストの降誕より1307年の1月にピサの聖ドメニコ修道院でこの本を書き上げた。アーメン。
(※訳注:3月25日の聖母受胎告知の祝日を年の始まりとするので現代の暦では1308年1月になる)


Bibliography

底本

http://www.ramonllull.net/sw_studies/l_br/t_ars.htm

参考文献

Austin, Amy M. and Johnston, Mark D. ed. A companion to Ramon Llull and Lullism. Brill's companions to the Christian tradition ; volume 82. 2019.
Bonner, Anthony. The art and logic of Ramon Llull: a user's guide. 2007.
パオロ・ロッシ著、清瀬卓 訳『普遍の鍵』国書刊行会、1990年
フランセス・イエイツ著、玉泉八州男 監訳『記憶術』水声社、1993年
山内志郎「ライムンドゥス・ルルス:アルス・ブレヴィス」『季刊哲学』4号「AIの哲学」哲学書房、1988年

https://plato.stanford.edu/entries/llull/

https://lullianarts.narpan.net/

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