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#転職体験記 #メンタル #コーチング #整体 #トレーニング #歌手

影山雄基です。note初投稿という事で、まずは自己紹介したいと思います。
転職コンサル、メンタルコーチング、整体、トレーニング、歌手、IT、色々な事業を行っております。

現在私は、下記のようなお仕事をさせて頂いています。

【個人事業主(神の御業)】
・施術
・トレーニング
・転職コンサル
・メンタルコーチ
・IT企業のPMO(プロジェクトマネージャーの補佐)

他にも、愛知県のクリニックでストレッチ教室を行ったり、産業能率大学や東洋大学にて講演活動を行ったりしています。

今回は今に至る経緯をご紹介します。

JR東日本、営業、ベンチャー、NTTドコモ案件を経て現在に至る

千葉県船橋市出身。36歳まで会社員をしていましたが、一念発起し37歳のタイミングで個人事業主として活動を始めました。

両親は普通のサラリーマンと主婦。唯一、母方の祖父が栃木で酒屋の経営者をしていました。

もともとの僕は仕事に関してはとても安定志向で、2011年に新卒でJR東日本に入社しました。当時は、2008年にあったリーマンショック後で、就職超氷河期と呼ばれた時代に就職活動をしていました。

大学もそこそこ名前の知れた大学に入っていたこともあり、名前の知れた一流企業に入って安定した生活を送りたい!と思っていました。

今でもはっきり覚えているのですが、2010年4月19日(月)18:30頃に内々定を頂きました。ですが、あくる日から僕の悩みが始まります。

それは、 「JRに入社したら、レールの上だけ行く人生になるけど、良いのか」 そう自分に問いかけたところ、ものすごい冷や汗をかいた記憶があります。

当時の僕はどういうわけか 「仕事とは、辛い事を耐え忍ぶものだ」 という思い込みがあったため、その自分の心と反対の選択、即ちJRへの入社を決めました。入社して6年目の2017年1月に、仕事が本当に忙しくなり、1月に丸一日休んだのは1月3日のみ。 という経験をして、このままだと体調を壊すかもしれないと思い、そこから違う人生を歩もうと決めました。

そこから趣味を10個くらい増やしたり、

仕事も人材派遣の営業 → ITベンチャーのマネージャー → スタートアップ事業部のPMO を大小様々な企業を経験してきたこともあってか、

今は自分のやりたい事がかなり明確になりました。

自分にどんな働き方が理想なのかを探すために、交流会に連日参加して、

LINEの友達を1000人まで作ったり、1か月毎日朝活に参加したり。。。 沢山の方に会う中で、自分の夢を語って否定された経験もありました。 それでも自分の思いややりたい事を伝え続けて行ったり、自分の理想に受けて勉強を続けていった結果、不思議と今ではこういう事をやりたいと伝えると、応援し、アドバイスをくれる方が増えました。

右も左もわからない事ばかりでしたが、それでもあきらめずに沢山のチャレンジをしてきました。

そこで得た経験として、一つ結論が浮かびました。それは、

やりたい事を叶えた方は誰よりも行動したということ。

例えば学校の勉強が最初から出来ているような方とか見かけませんでしたか?

それはシンプルに、それよりももっと前から塾に行ったり、自分で勉強したりし続けてきた というだけです。

自分の夢に対してもそうです。 叶えたいと思って、その夢に向かって行動し続けた。

ちなみに↓は、実際自分が叶えたいと思って叶った事の一覧です。

・合唱で全国大会に行きたい。

・数学、物理が苦手だけど、大学でいい成績を取って研究室の推薦枠を取りたい。

・プログラミングの案件をとりたい⇒独学で学んで1週間で案件受注。

・個人で仕事ができるようになりたい。 などなど。。

そして、今僕がこうして会社員から一歩踏み出していこうと決めたきっかけは、

二人の祖父の存在です。 一人は、父方の祖父です。


小学生の頃。僕は6年間ずっといじめられていました。幼稚園では一番元気いっぱいのグループに入って、毎日遊びまわっていました。

その元気のまま小学生を迎えた時、運の悪いの事が重なって、遊んでいた友達が毎日怪我をしてしまうという事がありました。

勿論、自分が着き飛ばしたり叩いたりとかは一切していません。

しかし、怪我をしていた遊び相手が皆僕だったこともあり、ある日クラス全員の前で立たされて、

「影山君からいじめられた人は手を上げて、いじめられた内容を発表してください」

そう言われました。

先生からは1年間で連絡帳が5冊埋まるくらい指導事項を書かれました。

落ち着きがない子 そういうレッテルを張られた僕は、

怒られることを恐れ、学校でほとんど自己主張をしない子になりました。

2年生以降は自己主張しないことがきっかけで、いじめられっ子からいじめられるという経験をします。

たまに何か言い返すと、 「お前生意気だな!」 そう言われ、ますますふさぎ込んでしまいました。

そんな中、家に帰るといつもニコニコ笑顔で遊んでくれたおじいちゃんがいました。

祖父と遊んでいるときはつらかった学校の思い出を忘れさせてくれました。

そして、夏になると、毎年母親の実家である栃木県の板室温泉という温泉街に帰っていました。

そこにももう一人、母方の祖父がいました。


母方の祖父はいつも厳しそうな顔をしていて、最初はとても怖かったです。でも、遊びに行くときはいつも一緒に遊んでくれました。


母方の祖父は中学校1年生の時に、すい臓がんでなくなったのですが、

温泉街の街おこしのリーダーとして頑張っていた祖父は、

街に架かる橋を提案したり、

部屋に飾り切れないくらい賞状や勲章、感謝状があり、

僕はそんな祖父の姿を見てとてもワクワクした記憶があります。

何より一番心に響いたのは、

祖父が亡くなったある日、街の方に

「おじいちゃんが生きていたら、街はもっと盛り上がっていたと思う」

そう言われたのをきいて、

亡くなってからも尊敬される生き方って本当に素敵だな、 と心から思いました。

学校ではいじめられていましたが、僕は二人のおじいちゃんに背中を押してもらいました。

そして、自分の人生における生きる目標を見つけてもらいました。

僕も尊敬していた祖父達のように、

誰かの背中を押す生き方をしたいそう思うようになりました。

僕自身もこれからも沢山実践し、沢山気づき、より多くの人がやりたい目標を叶えられるようにしていきたいと思っています。


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