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「隣の回復するやつから」と←メタあるある【2020年3月4日】

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昔、土器を焼いてた写真です。あと
「主人公って大体炎使いだよな」ってよく耳にしますよね?

【導入】「社会の質」と「あるあるネタ」

昨今、情報社会が急進し、知らんやつともかかわることが多い。故に、現代に求められるのは一般的コミュ力(注1)である。

甚だ面倒である。

知らんやつとの会話において、私たちは、当たり障りのない内容で、後味のよいインタラクションを共に体験‐共有する必要がある。全ては「次」につなげるためである。

面倒である。

面倒なのである。知らんやつの「地雷」を踏まぬように神経をとがらせ、かつ多少なりとも「おもしろい人だったな」なんて評価を受けようとするのは面倒この上ない。もうパターンで攻略するほかない。

何か策はないか!

そこで頭を捻る。そして案を出す。(注3)
捻るなんて表現はいささか誇張されているけれども、とにかく案は出た。
それは、「あるあるネタ」をもちいることである。

【本文のちょっと前】「あるある」の構造

ここでは「あるある」がなぜ有効であるかを説明する。

「あるある」というのは、すなわち「ある行為・体験において、多数が経験しうる、最大公約数的な性格をもつ小話」と言い換えられる。さらに、もう一度言い換えれば、「とにかく多くの人の共感を呼べるネタ」ともいえる。

最適解ではないか…。

導入でも述べたように、とにかく共感さえさせてしまえば、ある程度の満足感を相手に与えることができる。さらに「あるある」はたいてい、誰しもが行うことという範囲の中から抽出されるので、「地雷」を踏み抜くこと能わず。
(加えると、面白い話ができない人々というのは、凡人の人生を歩んできた人々が大半だ、聞こえは悪いが。しかし「凡」という漢字が示すように、凡人こそあるあるネタの貯蔵ダムであると言える。あるある界の三峡ダムである。)

また、その性質ゆえ、単純にネタ作りに励むことができる。というのも、日常のなかで、「○○をしてるとAということが起こりがちだ」というのをメモすればいい。案外、あるある探しのフィルターを通してみてれば容易なものである。

つまり誰でもできるのです!!
まあ、これが罠なわけだが。


【本文】一皮めくれば、ボケを殺す。

さて、本当にそうだろうか。真に簡単なのであろうか。

答えは否である。残念である。

その理由は簡単。かぶるのである。

「誰でも」参入できるという言葉から、その多様性が保障されそうなものであるが、答えは否である。残念である。あなたの思いついたそれ、たいていだれかがもう言ってます。

例を挙げよう。「ドラゴンクエストシリーズ」は1986年発売以来、幅広い世代、そして世界規模に至る販路によって爆発的な人気を集める。なるほど、これなら地雷は誰ももっていなさそうだし(注4)、ネタを作ってしまえば幅広い相手に適用可能だ。

罠である。かつての経済学者が間違えたように、世界の資源は無限ではないのだ。すなわち、ドラクエ界に埋もれる「あるあるリソース」は有限であるのだ!ここへ多数の人間が、幅広い世代の、世界中から集まってみろ。切り分けたパイはどうなる?極々微小なものになってしまうだろう。そんなの食べても食べた気がしない。錯覚パイである。

さて、人はこのようなときどうするか。答えは複製である。幸い(に見せかけたドツボにはまる不幸)なことに、ネタというのはパイのように実態を持たない”情報”であるため、複製(コピー)が可能なのである。劣化もしない。

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(図を使うことを覚えた猿です。どうです?わかりやすいでしょう。)

人間というのは楽な道を選びたがる。だから人のコピーをする。哀しいな。
(例)
(ボス戦の話になったときに)「これ先に隣の回復役を倒してまはへんと、ボス復活するやつですやん!!

もう何度聞いて見てきたことか。「百聞は一見に~」なんて言うけれど、もう1000000億万回見たし聞いた。音だけで言ってるやつの顔まで浮かぶ。
こんな繰り返しの人類総かぶり&リピートAB再生は聞いてられない。

ではドラクエなんて人気な界隈から逃げればいいのか。いや、それでは「地雷のない穏やかな平原」の保証が消える。打つ手なしである。座して死を待つばかりである。

以上のように、①凡人では凡人並みのあるあるしか見つけ出せない。②オリジナリティと地雷原のトレードオフ、ジレンマのパラドクス的性格の2つの面から、「あるあるネタ」は牙をむく。

人々を現代の「人間交際」から救うあるあるネタすら、一皮めくれば、凡人のボケを殺すのである。

「何か、何か策はないのか!」


【終点】パラドクスからメタドクス化される人間交際

解決方がない訳ではない。ただし、これはウロボロスの円環に踏み入ることになるし、根本の治療にもならない。

解決方:「あるある」の「あるある」を語れ。

要するにこのコラム記事の本分で行ったように、「こんなあるあるばっかりだね」であるあるを狙うのだ。
しかしこれでは5年後10年後には「「あるある」の「あるある」の「あるある」の……」といった円環に飲み込まれてしまい、また未来世代の「あるある」作成に大きな負担を強いることとなる。抜本的な解決にならない。

しかし、私はこれ以外にこの社会を生き抜く術を知らない。
これを封じられてはもう知らんやつとは、天気と出身の話くらいしかできん。詰みである。
しかるに、パラドクス的にボケ殺しに遭ってしまうのだったら、メタドクス的に、より上の階層へ上って死神から逃れる手を選ぼう。ただ、出口というのは一番「下」の階にしかないのだけれど。

脚注

注1)ここでいう「一般的」とは社会学的文脈を汲んでほしい。要するに「誰とでも、隔たりなく、知らんやつとでも」といった意味である。

注2)地雷は、兵器ゆえに人通りの多いところに仕込む。個人のタブーはそんなところには置かないだろう。この点では「タブー」=「地雷」と言うのはイマイチな表現だと感じる。

注3)「ゆっくりではないから、頭を捻っても餡はでないな」って書こうとしたが思い留まり、脚注に書くまでに抑え込んだ。

注4)花嫁はビアンカ一択である。

全体を通して。ずっと温めていた不満だった割に、冗長な書きぶりになってしまった。普段記事なんて書かないことがアクみたいにコポコポ浮き出して恥ずかしい。気が向いたら再投稿して読みやすくしたい。

試しに押しても罰は当たらないはずです。知りませんけど。