見出し画像

かがっちはこんな人|広報前の世界3

まめでらすか。
今回で「かがっちはこんな人」の連載は終わりにしようと思う。
今後は定期的に広報についてのアレコレを書いていく予定だが、まずは私について詳しくなってもらえると嬉しい。(コメントも気軽にくれると泣いて喜びます笑)

その為には「かがっちはこんな人」「かがっちはこんな人2」も下記リンクから是非読んでください!


怠惰から生まれた偶然は必然の出会い

三陽工業の一次面接が通り最終面接となる社長面接が決定した時、私には第一希望の会社があった。秋田から上京して大学生活を送りながらレースクイーン・モデル活動を行ってきた私は「これというスキル」は持ち合わせていと感じていた。その為、「ブログ更新・SNS更新」といった内容のいわば広報系の仕事ならば少しは出来るのではと考え、バイト形態で募集していた「不動産系の広報」に第一志望を定めていた。

関西に越してきて「会社員」を経験するという目標を立てていたが、正社員だろうがバイトだろうがそこはどっちでもよかった。(私の中でレースクイーン・モデル活動以外の仕事で毎日会社に出社する=会社員という位置づけ)第一志望の不動産系広報のお仕事は、バイトとの記載があったが週5勤務。一日4~6時間の調整可能とのことで、手始めに行ってみるにはベストだと思っていた。ナビで調べると勤務地が家から1時間ほどかかる事が少々不安ではあったが、面接に挑むべく意気込んでいた。

第一志望の不動産会社の一次面接は二日後。
そして三陽工業の最終面接は明日。まぁ、第一志望の会社と日程もかぶっていないし・・・なにより三陽工業は家から徒歩でも行ける距離。
「暇だし近いしリハがてら最終面接いってみるか」そんな怠惰な気持ちで私は三陽工業の最終面接に挑んだ。

当時の三陽工業明石支店

最終面接は社長面接。
当日当時の三陽工業明石支店に到着すると、裏にある会議室に通してもらった。私の記憶だと、私が会議室に入ったら社長がドーーンと構えていたイメージなんだけど、どうやら私が先に会議室に入りその後社長が入室してこられたらしい。(記憶の書き換えってホント凄い)

「わ~一次面接の方もそうだったけど、やっぱりみんな関西弁なんだな~」なんてしみじみ思いながらも無事最終面接は終了。結果は後日とのことで、私は家に帰りながら明日の第一志望の会社面接に向けて気合を入れなおした。

そして、次の日の朝。
スーツに着替え、履歴書や筆記用具など持ち物の最終チェックを行ったのち車に乗り込んだ。ナビを設定するために会社の住所が必要。事前に送られてきていたメールを開く。住所をナビに入れたあたりで、メールに記載されている面接日時が目に入った。

・・・・・・

・・・・・・・・・

メールに記載されている一次面接の日付は昨日の日付。

あれ・・・・?あれ?!?!

そう。私は第一志望の面接日時を勘違いしていた。本来は昨日一次面接だったのだが、勘違いにより三陽工業の二次面接に行ってしまっていたのだ。盛大なる勘違い。これにより後日内定をいただいた三陽工業に入社することになるのだが・・・この勘違いがなければ私は三陽工業の二次面接には行っておらず、三陽工業に入社していなかったかもしれない。私の怠惰から生まれた偶然の出来事だが、これは必然な出来事だと今は思っている。


偶然から生まれた広報との出会い

三陽工業には営業としての求人を見てエントリーしたが、面接時「求人関係の部署を作ろうと思っている」という話を聞いていた。その為、営業のお仕事もしながら何か求人系のお仕事もするんだろうか?くらいな気持ちで入社。

当時は明石支店勤務で、一つの事務所で営業さん事務員さんを含む8名ほどが仕事をしていた。私もそこに加わり業務がスタート。入社二日後、社長が「かがっちさん、きりん書いてみて」と声をかけてくださった。どうやら、先日放送されていたらしい「絵が下手芸人さん」の番組をまねして事務所のみんなできりんを書いてワイワイしていたらしい。

「これは〇〇さんが書いたきりんwww」
「これはきりんに見えないきりんww」

と言った形で皆さんが書いたきりんも見せていただいた。そこで私もきりんを書く。

き・・・りん。

かがっちが当時書いたきりん(色つけたもの)

何となくなイメージできりんを書いた。今見るとこれきりんなの?と思うのだが当時は絶賛された。(笑)それをきっかけに・・・

「社員のイラストを描いてほしい」
「今度掲載するポケットティッシュのデザインどう思う?」
「ホームページをリニューアルしたいと思っている」

と話が進み、営業職の求人を見て応募した私は、採用関係の仕事をするかもと面接でいわれ、内定をもらったのち、ひょんなことから「広報」というお仕事を一人ですることになった。偶然にも、もともと第一志望で希望していた職種に就くことが出来たのである。


一人で広報立ち上げ

広報を一人で立ち上げたというと聞こえがいいが、はじめは手探りだった。たまたまキリンの絵を褒めていただいたが、PCで絵を描いたこともなければデザインを勉強してきたわけでもない。しかし、高性能なPC・ペンタブを用意していただき、絵を描けるソフトも完備。

ここから私の自分との戦いがスタートしました。

ペンタブでの絵の描き方はもちろんだが、基本的な操作の仕方や色、影の書き方等から始まり、Adobeのソフトの使い方も独学で勉強。SNSの運用の仕方や、デザインについて、マーケティングについて、カメラの撮り方についても全独学。現在もまだ日々勉強中ですが、当時に比べると・・・・ちょっとだけまともな線を書けるようになりました。


入社後すぐの絵


現在の絵

という形で、広報を一人で立ち上げてきた私が、さまざまな分野に分けて広報活動をするにあたってのお話を書いていきたいと思います。

これについて書いてほしい等、要望があれば気軽にコメントください。では、また次の記事でお会いしましょう。

んだば、まんつね~!!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?